山の幸フルコース、怪異風味(七)
「リョウくんってば、こんなにびしょ濡れになるまで水遊びして〜。でも、水も滴る良い男だよ……きゃっ! 言っちゃった!」
「それだけ濡れたら、ちょっと寒くなったでしょ? 夏といっても、ここは涼しいもんね。焚き火して、少し暖を取ろっか。ついでにお魚も何匹か焼いちゃおうかな。リョウくんはどう? 食べられそう?」
「は、はい、いただきます!」
正直、そこまで寒くはなかったしお腹もそんなには空いていなかったけれど、僕は二つ返事で剛真さんの提案に飛び付いた。
捕れたて新鮮なお魚をその場で焼いて食べるという、アウトドアならではの醍醐味に惹かれたのだ。
「ん、あれ? しまったな、ライター置いてきちゃった。お昼の時に使って、そのまま忘れたみたい……ボクってば、本当におバカさんなんだから」
剛真さんがコツン、と拳を頭にぶつけてウインク舌ペロする。こういうのは女の子がやるからこそ可愛いのであって、ゴッツいオッサンがやるべきポーズではない。
なのに可愛く見えなくもないのが、とても悔しい。
捕れたて焼きたてのお魚はお預けか、と軽く残念に思っていたら、
「何とか火起こしするから大丈夫。頑張るけど、時間かかったらごめんね?」
と言って、剛真さんは微笑んだ。
そして手早く辺りの木々から立ち枯れた枝を見繕って折り、岩場の中でも平たい場所を選んで移動する。この山で育ったというだけあって、ウエストポーチに入っていた万能ナイフで枝を削る動作も手慣れていた。
うろ覚えだけど、きりもみ式とかいう棒状の枝をゴリゴリ回転させて臼にした板との摩擦熱で発火させる方法で挑むらしい。
でも、これって結構大変そう。おまけにここ、水場だから湿気も多いだろうし。
両手に挟んだ一本の棒を懸命に擦って回す剛真さんに、頑張ってという気持ちを込めて精一杯の応援の眼差しを注いでいたら――――不意に、彼の背後から黒い大きな影が現れた。
またもやゴリラだ。
魚捕りの時と同様、剛真さんは全く気付いていない。
背後から抱き着くようにゴリラが手を重ねて摩擦回転を補助し、臼となる木の両側からフゥフゥ息を吹きかけて支援しているのに、至近距離のゴリラを総スルー。
何ならゴツい外見のせいで、ゴリラの仲間入りして阿吽の呼吸で仲良く協力し合っているようにすら見える。溶け込み具合、半端ないです……。
剛真さんはゴリラを無視しているのでもなければ、ナチュラルに存在を受け入れているわけでもない。
このゴリラ達は生きたモノではなく、オバケなのだ。
そう、あの時、足を滑らせて木から落ちたハルカを助けたのも彼らである。
しかしこのゴリラ達はハルカの守護霊で、いつもは姿を隠してずっと彼女の側にいる――はずなんだけど。
妖怪や精霊が居ついているということは、それだけこの土地が清らかだという証だ。もしかしたら、高位の霊であるゴリラ達以上にレベルが高い、『神』と呼ばれるほどの存在もいるかもしれない。
彼らが主であるハルカから離れ、僕や剛真さんにまで付いてくるのは――――考えたくないけれど、そういった『神々』が己の住まう場所に僕らが侵入することを疎み、排除しようとしている、とか?
そのせいで、『主だけでなく全員を守らねばならないくらい危険な状況』にある……とか?
「…………ねえ、どうしてここにいるの?」
不安に耐えかねて、僕はクーラーボックスの中を見て鼻息荒くしてる二頭のゴリラ霊にこっそり声をかけてみた。
ゴリラ達は僕の方を向き、一頭は川を指差してクロールの形に手をバタつかせ、もう一頭は魚を指差してそれを口元に持っていくジェスチャーをした。
うん、川で泳ぎたかったのと魚が食べたいってのはわかった。でも聞きたいのは、そういうことじゃないんだよ……。
やっぱり、人とゴリラでは意思疎通が難しいようだ。
剛真さんが焼いてくれた魚は、大きな葉に包んで渡された側からゴリラ霊達に奪われ、結局僕は一口も食べられなかった。
でもお詫びとして、水をいっぱいに汲んだ重いポリタンクを運ぶ時に隣から半分持って手伝ってくれたからね……。
いいよ、今回は許すよ……。
予定外の焚き火をしたせいで遅くなってしまい、二人に怒られる! と剛真さんは焦っていたけれど……しかし戻ってみると、ハルカとレイさんの姿はなかった。
「ちょっと心配だから、探してくるね。リョウくんはお留守番をお願い」
ゴリラ達も不安で居ても立ってもいられなかったようで、彼らも剛真さんの後を追い、僕を置いて山の中に入っていった。
この山に来て、初めての一人きりの時間。
ハルカに膝枕してもらった木の根本に腰掛け、僕は幹にもたれて目を閉じた。
今が盛りと鳴き歌う蝉の声が、幾重にもこだまして聞こえる。下界と違って閉塞感がないせいで、耳障りどころか
まだしっとり濡れたままだった服を、木の葉の間から落ちる日光が優しく乾かしていく。
頬を撫でるのは、柔らかで涼やかな風。
山の空気がこんなに美味しいなんて、ずっと知らなかった。山がこんなにも楽しくて素晴らしいところだなんて、ずっと知らないままだった。
ここに連れてきてくれた
怖い顔してるけれど優しい剛真さん、美人だけれど見た目以上にアクティブなレイさん、そんな素敵なご両親の良いところを受け継いだ愛しいハルカ。
「最高の夏をありがとう」
おう!? つい口に出してしまった!?
驚いて、僕は慌てて目を開けた。
「はぁ、びっくりした。誰もいなくて良かったよ。皆に聞かれたら笑われちゃう」
てっきり独り言を漏らしたのかと思っていたけれど、どうも違うようだ。
『その声』は、振り仰いだ木の上から降ってきた。
高い場所にある太い枝に蹲っていたのは――――黒っぽい毛で覆われた物体。
「……ゴリラ? 違う、何だあれ」
そいつは唖然として見つめる僕の心の言葉を、的確に音声として吐き出した。
ゴリラよりも小さく、毛深く、何の生物なのかも判然としない。強いていえば形状は猿に似ているようだけれど、猿にしては大きい。
何より、猿は人の心を読まない。
「こいつ、まさか……人の心を読むとかいう『サトリ』ってやつか!?」
凍り付く僕をよそに、その妖怪『サトリ』はそれからも延々と話し続けた。話すというより、一方的な暴露だ。
「こんな妖怪までいるなんて……この山、怪異の宝庫じゃないか! 剛真さんも、小さな頃に何か見たことあるのかな? でも、そんな経験あれば話してくれるよね? だって僕の能力を知ってるんだから……もしかして、怖がらせないように黙っててくれたとか? んもう、だったらちゃんと教えてよ! そういうのは親切って言わないよ、むしろ不親切だよ!」
こんなにも自分勝手な考えを他者の口から聞かされるなんて、もはや拷問に近い。僕は自分の心の声から逃げようと、両手で耳を塞いで蹲った。
「ああもう、僕って最低だ。剛真さんは何も悪くないのに、ひどいことを考えてしまった。もしかしたら、妖怪達が嫌がらせするのは、見えるとかそんなの抜きにして、ただ僕が嫌われてるだけなのか? こんな根性の悪い部外者が神聖な場所に立ち入ってしまったんだ、『山の神』が怒っても仕方ないかも……」
けれど、耳に届く声は全く弱まらない。
そこで僕はやっと、この声は頭に直接響いているんだと気付いた。
「…………リョウくん? リョウくん、どうしたの?」
肩を揺すられて顔を上げてみると、剛真さんとレイさんが、心配そうに僕を見下ろしていた。
「あ、いえ……何でもありません。うっかり眠っちゃったみたいで」
「どうせ言ったところで、信じてもらえないよね」
曖昧に笑って誤魔化す僕に、追い打ちをかけるようにしてサトリが本音を被せてくる。
「クソ、鬱陶しい奴だな! もういい、決めた。お前なんか無視してやる!」
と、サトリが代弁してくれた通りに、僕は奴を徹底的に無視することにした。
「ごめんね、夕食に良さそうな食材見付けて遅くなっちゃったの。ハルカもすぐ戻るわ。あの子、服を汚しちゃってね。洗って帰るからって……全く、幾つになっても、おてんばが直らないんだから」
レイさんは眉を下げ、ノースリーブから覗く華奢な肩を竦めてみせた。
「おほっ、ハルカとは違った大人の魅力ムンムン。レイさんもグッドえっちだよなぁ。大人なえっちっぽさも堪らんけど、オパーイ対決はハルカの勝利だねっ!」
はーい、本心だから気にしなーい!
「この木の実、レイちゃんが発見したんだって。ボクも初めて見たんだよ。んふふ、どう料理しようかな?」
剛真さんがレイさんのカゴバッグから取り出したのは、ほぼ真円に近いボール型をした、ピンポン玉ほどの大きさの白い――――。
「ファッ!? それ何!? 人の顔が浮き上がってるんですけど! しかも、やたら表情豊か! 笑顔のはまだしも、マジギレ顔とか超泣き顔とか、食べるどころか持ってるだけで呪われそうだよ! これ明らか食用じゃないって!!」
二人には聞こえないだろうけど、こういう時に言いたいことを声にしてくれると、同意者が側にいるように感じられて若干気持ちが落ち着く。
王様の耳はロバの耳的な効果もあるかな? おかげで、これが夕食に出てきても悲鳴は堪えられそうだよ……。
このように華麗に躱している内に、本当に気にならなくなってきたのだが――サトリには、それが大変面白くなかったようだ。
木から離れて、僕達はテーブルセットの方に向かった。諦めてくれることを期待したけれど、サトリは木から飛び降り、一定の距離を保って後を付いてくる。
僕は背後を振り向き、奴を睨んだ。しつこい奴め!
ところが――モジャモジャの長い毛の隙間からチラリと覗いた口は、文字通り、思わぬ単語を放った。
「可愛い」
はい?
こいつ、可愛いって言った? 言ったよね?
いやいや、思ってない思ってない!
何で僕が、こんな迷惑な黒モジャ妖怪に対してそんなこと思わなきゃならないんだ!?
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