山の幸フルコース、怪異風味(五)

「ね、大丈夫だったでしょ?」



 無事に着地すると、ハルカは涙目になっている僕に頭ナデナデをしてくれた。


 恐怖の名残でふらつく足で、僕は彼女に支えられながら再び山道を歩いた。こちら側は、傾斜が険しく地面も荒れている。きっと、あまり人が立ち入らない場所なんだろう。



 ということは……ご両親が来る心配はない、んだよね?


 お二人に気付かれず、こっそりひっそり、娘さんの秘密の果実をいただけるのですね!?



「ヌフッ、二つ食べていいのかなぁ……?」



 やばっ! 先走る妄想に任せて、思わず気持ち悪い心の声が出てしまった!!


 けれどハルカはドン引くどころか、僕を見上げて嬉しそうに笑った。



「もちろんだよ。リョウくんなら好きなだけ食べていいよ。二つでも、三つでも四つでも」



 え……?


 三つでも四つでもって、オパーイは二つだよね?


 もしや、オシーリ!?


 隠れた名品、オシーリ様も食して良いと……ハルカ様はそう申しておられるのですか!?



 いやでも、それはまだちょっと早いって! そこは結婚するまで取っておかなくちゃいけませんって!!


 ででででも、ちょこっと味見するくらいなら……。



「あ、あれだよ! あの木!」



 ハルカが華やいだ声で、獣道の奥を指し示す。



「良かった、去年よりたくさん実ってるみたい。今年は実がなってなかったらどうしようって、すごく不安だったの。毎年ドキドキしながら見に来てたんだよ」



 普通レベルの僕の目では、藪を透かして何となく大きな木が視認できる程度だったけれど、視力がずば抜けて良いハルカには実っている果実の数まで見えているらしい。



「パパとママには、もっと実が増えてから教えるつもりなの。本当に美味しい果実だから、食べ尽くされたら困るもん」



 目的の大木に到着すると、ハルカは武骨な線を描く立派な幹に触れながら、いたずらっぽく舌を出して見せた。


 高さは十メートル以上はあるだろうか。他の木に比べると、横幅がとても広い。合歓木、俗に言うネムノキに似た形状だ。


 けれど枝先には、綿毛みたいな花の代わりに紅色の実があちこちにぶら下がっている。これを食べさせたいって言ってたのか……。



 ――【悲報】果実は本当に果実でした!



 勝手に勘違いしてウハウハしてたドスケベな自分を脳内でビンタしていたら……何と、ハルカが木に登り始めたではないか!


 ターザンごっこの次は木登りって、どんだけアクティブなのさ!?



「ちょっ……ハルカ! 危ないよ!」


「平気平気、いつも登ってるもん。リョウくんはそこで待ってて」



 そう言うと、ハルカは太い幹の隙間に器用に手や足を引っ掛け、どんどん上へ上へと登っていった。


 いや……違う。


 幹が自ら形を変えて、彼女が登りやすくなるよう支援している。



 それに気付いて、改めて木を見ると――――幹の部分に、大きな顔が浮かんでいた。


 幹模様で形作られたその顔は、人間でいうと中年と老年の間くらいの男性といった雰囲気。ニコニコとした笑顔で、自分の体を登っていくハルカを見つめている。



 おい、待てよ。


 ニコニコ……というより、ニヤニヤしてない? 何かやらしいこと考えてる雰囲気じゃない!?



 その証拠に、奴の視線はショートパンツから伸びる白い足一点に注がれている。それが幹に触れる度、口を綻ばせて喜んでいる。今にもニョホホホホホ〜というハレンチでオゲレツな笑い声が聞こえてきそうだ。



 こいつめ、ハルカが木に登る時はいつもこんな目で見てたのか!


 多分、木の精霊だと思うけれど……何てえっちな奴なんだ!!



 しかも、眺めるだけでは物足りなくなったらしい。えっちな木の精霊はそっと枝を伸ばし、ついにハルカの肌に触れた。



「……っきゃあ!」



 突然、太腿を撫でられたことに驚き、ハルカが足を滑らせる。



「ハルカ!」



 何の役にも立たないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。



 五メートル以上もの高さから落ちてくる彼女を、僕に受け止められるか!?


 いや、受け止めなくてはならない。受け止める、絶対に!!



 かっこよく宣言した心とは裏腹に、両手を突き出してあたふたとハルカを待ち受ける僕の遥か頭上――――地上三メートルほどの空中で、彼女の体が止まった。



 そして、そのままゆっくりと降下してくる。



 ところが、唖然とする僕の前までくるや、いきなり時間の流れが戻ったかのようにハルカの身は伸ばしたヒョロい腕に落ちてきた。


「ぷぎゃ!」


 突然だったのもあったけれど、軟弱な腕力では女の子一人支えきれず、僕はハルカごとひっくり返ってしまった。



「……リョウくん、大丈夫!?」



 ハルカが下敷きになった僕を慌てて抱き起こす。



「う、うん……ハルカこそ、怪我はない?」


「あたしも大丈夫。本当にごめんね……リョウくんに迷惑かけるつもりなかったのに。リョウくんに、美味しい果実食べてもらって……この山のこと、好きになってほしかったのに……」



 ハルカの声が、徐々に潤んでいく。


 うわ、これは非常にまずいぞ! 泣いちゃう空気ムンムンだ!!



 彼女の表情に落ちた曇りと翳りを晴らそうと、あわあわと手を振りたくっていたら――――頭に、何かが当たった。


 続いて二つ、三つ、四つと、上から何かが落ちてくる。



「これ……!」



 ハルカが拾い上げたそれを見て、大きな目を輝かせる。


 僕目掛けて降ってきたのは、まさに彼女が求めていた紅色の果実だった。



「わ、ハート型のもある! こんなの初めて見た! すごいよ、リョウくん! ありがとう、リョウくん!」



 ハルカは忽ち笑顔を咲かせて、僕に抱きついてきた。



 ヒャッハー! どうだい、僕だってやる時ゃやるんだぞ!!


 ……と言いたいところだけど、僕がすごいわけじゃない。ハルカの守護霊のおかげだ。



 僕の目には見えていた――――彼女を抱き止め、無事に僕の元へ送り届け、そして果実を取ってくれた、『彼ら』の姿が。



 ついでに、エロ精霊にもお仕置きしてくれたらしい。幹が一部ひしゃげてるのは、強烈な『デコピン』でも食らったんだろう。


 ハルカが大好きな実のなる木じゃなかったら、今頃真っ二つに叩き折られていたに違いない。



 にしても……『ハルカが素の時』に彼らが姿を現すなんて、これまでになかったことだ。


 もしかして、精霊が住まうほどの大自然の中では、彼らの力も弱まってしまうのだろうか?

 それとも――。



 けれど『人の言葉を話せない』彼らに尋ねることもできず――――笑顔のハルカを前に、僕は一人、心を不安に曇らせた。

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