山の幸フルコース、怪異風味(四)

「リョウくん……リョウくん、起きて」



 甘く優しい声が、耳をくすぐる。



 目を開けてみると、そこは風と一体化した高速地獄車の後部座席――ではなかった。



 僕を覗き込むハルカの顔の背景に、豊かに実る葉と立派な木の幹が映る。どこかの木陰に、寝かされているらしい。



「よく眠ってたね。レポートで寝不足だったんでしょ? 少しは元気になったかな?」



 飛び起きた僕に、ハルカが微笑みかけた。どうやら、ずっと膝枕してくれていたようだ。しかも、ショートパンツだからフレッシュな生足で!


 うう、慌てて起きるんじゃなかった。もっと太腿の柔らかあったかな感触と下から見上げるオパーイの絶景を堪能したかったよ……非常に勿体ない!



 寝不足のせいで寝てたわけじゃないんだけど……そこは突っ込まず、僕はまず辺りを見渡してみた。



 様々な樹木が、瑞々しく青々と茂っている。けれど僕達がいる場所は木々が開けていて、地面も平たく均されていた。


 奥に目を向けると、既に二つのドーム型のテントが設営されている。



「ここ……剛真ごうしんさんの山? もう着いちゃったの?」


「うん、リョウくんが眠ってる間に到着したよ。起こしたら可哀想だと思って、あたしがおんぶして連れてきちゃった。皆に寝顔見せないように顔に布被せて」



 え、おんぶ?

 僕、ハルカに背負われたの!?


 ひゃーー! 嬉し恥ずかしい!!


 でも、顔に布って……誰かに見られたら、死体遺棄と勘違いされそうだよ。布がなくてもゾンビみたいな顔してたと思うけどさ。


 何とも言えない表情で固まる僕から視線を景色に移し、ハルカは言葉を続けた。



「ここはね、パパの家で代々受け継がれてる土地なの。昔はこの場所に、パパが生まれ育った家があったんだって。でも嵐で大破しちゃったらしいの。あたしが小さい頃からこうして、毎年キャンプしてるんだよ。あたしが生まれる前からもママと二人で来てたって、パパ言ってた」



 この一帯が綺麗に整っているのは、元々は剛真さんの実家が建っていたから、ということらしい。



 今日も猛暑日になるとニュースでやっていたけれど、ここは木々が日射しを遮ってくれるおかげで、暑さはそれほど気にならない。それどころか吹き抜ける風が涼しくて、とても心地良い。


 ほんの少しの外出にもげんなりする下界と違い、素晴らしく快適だ。


 こんなに夏を気持ち良く感じるのは、久しぶりかもしれない。



「ね、体調良くなったなら遊ぼ! あたしが大好きなこの山のいいところ、リョウくんにたくさん見せたいの!」



 ハルカはそう言って立ち上がり、僕の手を引いた。


 子どものように無邪気な笑顔が、緑の世界に際立って鮮やかに映える。いつもいろんなヘアアレンジをしてるふわふわの長い髪は珍しくそのまま下ろしていて、木漏れ日の光を受けて淡く輝いていた。


 見惚れながらも僕は頷き、彼女に導かれるがまま、山道の散策を始めた。



「ねえ、剛真さんとレイさんは?」


「パパとママなら、テント設営してすぐ山菜とキノコ探しに行ったよ。お昼はリョウくんに、この山の幸を食べさせたいからって張り切ってた。ここに生るものはどれも美味しいんだよ。期待してて!」


「うん、楽しみにしてる」



 そっか、まだ昼前なのか。


 スマホや時計といった機器は持ち込まないのがルールとのことで、僕も手持ちのものは芳埜よしの家に置いてきた。なので、正確な時間はわからない。


 でも、こういう自然任せなのも新鮮でいいなあ。


 幼い頃から慣れ親しんだ場所にいるためか、隣を歩くハルカの横顔は普段よりも生き生きとして見える。これぞ水を得た魚ならぬ、緑を得た妖精。エンジェルハルカ改め、フェアリーハルカだ。


 木々の隙間を縫って進む道なき道ではあるけれど、傾斜がなだらかで足場は悪くない。落ち葉や枝の絨毯が、柔らかくスニーカーの足を跳ね返す感覚が楽しい。


 暫く進んだところで、樹木の葉と枝が織りなす自然の天井が途切れた。



「あ、ここだよ。この『ロープウェイ』に乗ってあっちに行くんだよ」



 ハルカが指差したのは、十メートルほど先にある向こう岸。


 こちらとあちらを隔てるのは、五メートルほどの高さの崖。



 そして、彼女がロープウェイと言って差し出したのは――――大木から伸びた、太く長い蔦。



 これを掴んで飛べ、と?

 う、嘘でしょーー!?



「いやいやいや! 無理無理無理! 僕、こんなのできないって! 僕が運動オンチなの、知ってるでしょ!?」


「大丈夫だよ、操縦はあたしがやるから」


「操縦って、これどう操作するの!? というかハルカ、高所恐怖症じゃなかったっけ!?」


「高いところは苦手だけど、このくらいなら全然高くないじゃん」



 ええ!? そういう認識!? どういう認識!?


 確かにデートで大騒ぎした観覧車に比べればマシかもしれないけど……十分高いよ!



「はい、リョウくん。これ持って。下の地面は固くなってて、落ちたらかなり痛いから気を付けてね?」



 かなり痛いで済むーー!? 済まないでしょーー!?



 ハルカに蔦を差し出されても、僕はそれを取る勇気が出ず、蒼白して固まっていた。


 すると彼女は、躊躇う僕の耳にそっと囁いた。



「あのね、パパとママには、秘密だよ? ……あっちに行ったら、美味しい果実、食べさせてあげる。誰にも触れさせなかったけど、リョウくんになら、いいかなって……ずっと思ってたから……」



 秘密の美味しい果実。



 そう聞いて、僕の目が自然に捉えたのは――眼下でたわわに実る、モスグリーンのタンクトップに包まれた二つの膨らみ。


 これか……これなのか?


 これなのだな?

 これを、食して良いと言うのだな!?



「い、行きます……結城リョウ、頑張りまっす!」 



 僕はぐっと蔦を握り、興奮のあまり裏返った声で返事した。



「それじゃ片手で蔦に掴まって、もう片方の手はあたしの体にしっかり回して。あたしが合図したら、蔦から手を離してね。でも、あたしだけは最後まで離さないで」



 あたしだけは、離さないで――何て素敵な言葉なんだ!


 悶え転がりたいのを堪え、僕は言われた通りに背後からハルカの腰に腕を回した。細くて柔らかくて温かい、力を込めたら壊れてしまいそうな女の子の体。


 こんな素晴らしいものに密着することが許されるなんて……彼氏の特権、最高です!



「よし、行くよ。助走つけるから、ついてきて!」



 両手で蔦を掴んだハルカと共に数メートル下がると――――そこから彼女は、腰にくっつけた僕ごと全速力でダッシュした。


 ついていける速度ではなかったけれど、ついていく必要なんてまるでなかった。僕は彼女に引きずられ、そのまますごい勢いで宙に放り出された。



「ウッホホ〜イ!!」



 ハルカが高らかに歓声を上げる。



「いやぁぁぁぁ!!」



 対して僕が放ったのは、乙女のような悲鳴。



 あっという間の短い時間に、濃縮したスリルを詰め込んだような経験だった。


 カップルの山遊びで、まさかターザンごっこすることになるなんて……想像もしてなかったよ!

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