働く者、恋すべからず(十一)

 そっか……ハルカは中身が僕じゃないって、気付いてたんだ。

 だから彼女の守護しゅゴリラが現れて、僕を臼井うすいくんから引き剥がしてくれたんだ。


 ゴリビンタもかなり痛かったけど、あのパンチ食らうよりはマシだよね……。



 って、コソコソおっぱい見てたの、気付かれてたのーー!?


 やだーー! 恥ずかしいーーーー!!



 ちなみに、この百を優に超えるゴリラ達は生身の肉体を持つ生ゴリラではない。全て霊体――――ハルカを守る、ゴリラ守護霊親衛隊だ。


 僕の目にも見えないほど高位の存在で、普段は姿を潜めているんだけど…………しかし、登場する時は必ずドラミングする。


 ゴリラのドラミングは、平和的解決の要求。つまり『諦めて退け、そうすりゃ見逃してやるよ』という慈悲なのである。



 なのに今回に限って、恒例のドムドムがなかった理由は――彼らの様子を見れば明らかだった。




 ゴリラ達、ものっすごく怒ってます。


 ハルカ以上に、キレてます。マジギレ、ガチギレ、ブチギレです。




 そりゃそうだ……『愛する彼女』を騙して、えっちなことしようとしたんだもんね。




「オラオラオラオラオラァァァ!!」


「ウホウホウホウホウホォォォ!!」




 ハルカが臼井くんの腹部に、ゴリラ達は側面や背面から猛烈なパンチラッシュを浴びせる。

 おかげで臼井くんは倒れることもできず、宙に浮いたまま、サンドバッグ状態となっていた。




 このままじゃ、ぺったんこにされちゃうよ! 死んじゃうよ!


 ……って、もう死んでるんだっけ。




 少し離れた場所で、その恐ろしい光景を息を詰めて見守っていた僕は――――しかし必死に震える足を叱咤し、ゴリラサンドバッグの方へと近付いた。



「ハ、ハルカ……もう、やめてあげて……」


「…………あぁぁぁぁん?」



 ハルカだけでなく、ゴリラ達も僕を睨む。ちょっとチビッてしまった。



 ひぃぃぃ……頑張れ、僕!



「あ、相手はオバケなんだから、殴ったって無意味だよ……。この場所に縛られてるみたいから、すっ飛ばしても戻ってくる、と思うし……」


「じゃあ、どうしろってんだぁぁぁぁ…………? マイクロナノピコフェムトアトゼプトヨクトレベルにまで粉砕分解すればいいのかぁぁぁぁ…………?」



 怖い怖い怖い怖い怖い!!



 ハルカならいけそうだけど!!

 不可能も可能にしそうだけど!!



 でも……それでも。



「ちょ、ちょっとだけ、僕に話をさせてくれる? 本当にちょっとの間だから……ね?」



 不満そうにしながらも、ハルカ達はそっと身を引いてくれた。



 怒涛の鉄拳乱舞から解放されて床に崩れ落ちた臼井くんに、僕はそっと話しかけた。



「えっと、臼井くん……だよね? 君のこと、聞いたよ」



 臼井くんが虚ろな目を向ける。


 あ、確かに僕に似てなくもないな。同じ、影薄ションボリヒラメ顔類だ。


 僕はこんなに首長くないし、目も飛び出てないけどさ……。



「それで、あの……さっき、体の中に入られた時にね、君の気持ちを少しだけ感じて」



 勇気を出して、僕は身を起こした臼井くんの両肩を掴み、真正面から彼に言葉をぶつけた。



「何で死ぬ前に行動しなかったって、悔やんでるんだよね? だったら今、その思いを遂げなよ。じゃなきゃ……いつまでも、誰かを妬むばっかりになっちゃうよ。カップルを別れさせて、幸せになれた? 違うよね?」



 臼井くんが、目を逸らす。僕は構わず続けた。



「僕には、幽霊が見える。だから……こんなこと続けてたら、君がどうなってしまうのか、わかる。負の感情に飲み込まれた人間はね、どんどん自我を失っていくんだ。そんな人達を、僕はたくさん見てきた。自分が誰かもわかんなくなって、好きな子のことも忘れて、人を不幸にするだけの化物になりたいの? 辛くて苦しくて、なのに永遠に満たされない……そんな思いをしたくて、ここにいるんじゃないだろ?」



 こんなふうに気持ちを伝えようと思ったのは、彼に自分を重ねてしまったからだ。




 コミュ障で人見知りで、いつもひとりぼっちだったという臼井くん。


 僕にどこか似ていたというけれど、良い意味でも悪い意味でも僕より行動的だった臼井くん。


 僕と同じで、僕と違う――もし違う出会い方をしていたら、友達になれたかもしれない臼井くん。




 彼には、化物になんてなってほしくない。もう二度と、道を誤らないでほしい。


 死を選んだことだって、本当は責めたかった。だけど、それはもう取り返しがつかないことだから――。




 すると、臼井くんの姿が、首を吊って死んだ時の状態から生前の彼へと変貌していった。



 どうやら、決心してくれたらしい。



 こうして見ると……やっぱり僕と雰囲気が似てるなあ。何ともいえないダサくてモサくてショボったらしい感じが、そっくりだ。



 生前の姿を取り戻し、ついでにカレルの制服姿となった彼は、僕の背後に控えていたハルカにそっと歩み寄った。



 そして、今度こそ自分の口から声をかけた。



「あ……あの……っ!」

「あ?」



 ハルカが心底嫌そうに返事する。


 無慈悲ーー!

 そこはもうちょっとソフトに接してあげてーー!!




 けれど臼井くんはめげずに、しっかりと彼女を見つめて告げた。




「俺、一目見て、君のことが好きになりました! 彼氏にしてください!!」




 あるぇ!? ここで噛まないの!?


 スムーズかつスマートに告っちゃいましたね!?



 何だよ何だよ……臼井くん、僕なんかより全然器用じゃん。勝手に親近感を抱いてしまって、ごめんなさいだよ。バンジージャンプからのフリーフォール土下座ものだよ。




「お断りでーす。あたしが愛してるのは、リョウくんでーす。後にも先にも、あたしにはリョウくんだけでーす」




 しかし、ハルカの答えは僕の想像通り、いや想像以上に冷ややかなものだった。


 無情非情ーー!

 断るにしても最期の告白なんだから、もっと優しくしてあげてーー!!




「そ、そうだよね……うん、わかってた。でも、どうしても伝えたかったんだ」




 臼井くんは悲しげに微笑み、それから僕に頭を下げた。



「ありがとう。辛いけれど……おかげでスッキリした。あ〜あ、死ぬ前に、あの子にもこうやって当たって砕けてたら良かったなあ……。生きてたら、君と仲良くなれたかもしれないし、新しい恋もできたかもしれないのに……俺、本当にバカだった…………」



 ゆっくりと、臼井くんの姿が薄くなっていく。


 存在感皆無だなんて言われていた、臼井くん。


 けれど――そんな例えではなく、彼は本当に消えてしまうのだ。






「…………ハルカさん、リョウくん、お幸せにね」






 これが、臼井くんの最期の言葉だった。




 ウホォォォーーーーイ!!!!




 感傷に浸る間もなく、ゴリラ達が雄叫びを上げる。そしてプリッと排出したてホヤホヤのゴリウンチを投げてきた。



 これ、ゴリラの求愛行動らしいんだけど…………待って待って待って!?



 いつもはハルカにだけ投げるよね!?


 何で今回は、僕も巻き込まれてるの!?



 彼らのアイシテルのサインは、しかしハルカには当たらず、見えないバリアに跳ね返されるようにキラキラと輝いて昇華していく。


 光に包まれた彼女は、とても美しく神々しい。素晴らしく幻想的な光景だ。




 なのに……僕にはベシベシ当たるんですけど!




 くっさー! きったなーー! えっげつなーーーー!!




 臼井くんを説得したことを彼らなりに賞賛してくれてるんだろうけど…………こんなのやだーー!! ゴリラ式やだーーー!!




「リョウくん、やったね! コビガを退治しちゃったよ! これからは皆、堂々と恋できるね!!」



 ハルカが笑顔で抱き着いてくる。僕は、曖昧に頷いた。



 達成感だとか歓喜だとか安堵だとか、そんなもの感じる余裕は少しもなかった。



 だって僕、ゴリウンチ塗れで、しかもちょこっとお漏らしまでしちゃってるんですよ……。


 こんな状態なのに密着してしまって、申し訳ないやら情けないやら。バレたら引カレルこと間違いなしだよ……カレルだけに…………。



 そんな大惨事の僕をよそに、ゴリラ達は客席や窓際などに置かれているフルーツの置物に興味を示していた。


 何やら集まって相談をして、彼らが僕に向かって指し示したのは、バナナ――ではなく、ハルカの好きなイチゴ。

 プレゼントしてやれ、と言ってるみたいだけど……うん、それ偽物だから。食べられないから。それにお店の備品だから。バイト代出たら、本物買って贈るね……。




 僕の力の影響を受けて、臼井くんが見えたハルカにも彼らの姿は捉えられない。彼らが働きかければ感知できるようだけれど、彼女はそれを『勘』として受け止めているし、彼らの存在すら知らない。


 何故なら、ゴリラ達が敢えてそう仕向けているから。


 ゴリラ達は、自らの意志で『影の騎士』であり続けることを選んだのだ。



 ハルカの前世は、伝説と謳われるほど美しいメスゴリラだったという。しかし、数多のオスゴリラに求愛されるも、彼女は全て跳ね除け、種を超えた悲恋に身を捧げた。


 心から愛した人……じゃなくてメスゴリラの死を悼んだオスゴリラ達は、心に決めた。


 もう二度とこんな過ちは繰り返すまい、と。

 邪な想いは捨て、皆で彼女を心から純粋に愛そう、と。

 今度こそ幸せな恋ができるよう彼女を見守ろう、彼女が幸せになるのを見届けよう、と。



 人間に生まれ変わった彼女は、そこでついに結ばれることの叶わなかった運命の相手――――僕、結城ゆうきリョウに出会った。




 この話を聞かせてくれたオスゴリラは、もう親衛隊の中にいない。




 種を超えて、人の言葉を話せるまでに魂が成熟した彼は、この話を語り終えると、僕の目の前で美しい光に包まれ天へと昇っていった。


 消滅したのか、輪廻の輪に取り込まれたのか、はたまた更なる高位の存在となったのか――――僕にはわからない。



 けれど、もしいつかまた会えたら、お礼を言いたいな。


 ハルカと出会わせてくれてありがとう。

 あなたには及ばないかもしれないけれど僕なりに精一杯彼女を守るよ、って。



 あの時、伝えられなかった言葉を聞かせて、彼を安心させてあげたい。


 それが僕の願いの一つだ。


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