働く者、恋すべからず(九)
「やい小娘、貴様は
「狙うだなんて、失礼な言い方しないでください。そういうあなた方こそ、何でリョ……結城くんに付き纏うんですか? 明らかに嫌がってるじゃないですか」
「付き纏うてなどおらぬわ! 結城殿の秘密を共有し保護する、ガーディアンと呼べい!」
「はあ? ちょっとリョウくん! あの力のこと、この人達に話したの!?」
「何と小癪な! 結城殿の名を馴れ馴れしく呼ぶとは!」
「小娘風情が誠に無礼千万! 結城殿に即座に謝罪せよ!」
「謝るのは、リョウくんに迷惑かけてるイタイさんとキモイさんの方でしょ!」
「誰がイタイじゃ! 我が名は
「拙者はキモイではない!
「あたしだって小娘なんて名前じゃありません!
ひぃぃぃ……もうやだ。逃げたい。消えたい。隠れたい。
お店を出て他のスタッフと別れてから、三人はずっとこの調子で、僕を挟み、不毛な言い合いを続けている。
左に板垣君枝ペア、右にハルカ。
どっちを向いても地獄という状態。
なので、僕は俯いたまま必死に足を動かし、一秒でも早く帰ろうと歩いていた。
そこへ不意に、梅雨の湿気を切り裂き、ヒヤリとした空気が頬を撫でた。
顔を上げてみれば、道の左手に鎮座する色褪せた鳥居が目を射る。
濃度の高い闇の奥に目を凝らすと、崩れかけた建物――放置されて久しい廃神社が映った。
いつも早足で通り過ぎる、『危険な場所』の一つだ。
待てよ…………ここなら。
この場所なら――板垣さんと君枝さんの誤解を解き、納得させられるかもしれない。
僕一人であれば、こんな恐ろしいことを実行しようなんて思わなかっただろう。
この『見える』力の影響で『見せられる』ことはできたとしても、憑かれたり襲われたりしたら手に負えない。僕には祓う力なんてないのだから。
けれど今は、ハルカがいる。
絶大な力を持つ霊に守られている彼女と一緒なら、『ちょっと怖いモノを見る』程度で済むはずだ。
僕は板垣さんと君枝さんに気取られないよう、そっとポケットのスマホを操作してハルカにメッセージを送った。
『二人は僕の力を信じてない。それで困ってる。今から証明したい』
二人と会話しながら、ハルカも同じようにさり気なくスマホを取り出した。そしてメッセージをチェックして、頷く。
『ハルカも怖い思いするかもしれない。それでも協力してくれる?』
ハルカは迷うことなく、もう一度頷いた。
「ね、ねえ! 今思い付いたんだけど!」
僕は足を止め、板垣さんと君枝さんの方を向いた。
「さっきあった廃神社に行ってみません? こう湿っぽいと、涼しさが欲しくなるというか……その、肝試し的なノリで」
「いいね、面白そう! 試すまでもなく肝スモールな奴は来なくていいけど……お二人はどうします〜?」
ハルカも話を合わせ、二人を煽る。
「フン、良かろう。拙者の肝の大きさ、とくと披露してくれるわ!」
と板垣さんが薄っぺらい胸を張れば、
「子ども騙しの遊びだが、たまにはこんな余興も悪くないのう。付き合ってやるでござる」
と君枝さんも太ましい腕を組み、ふんぞり返ってみせた。
こうして策略にまんまと乗った二人を連れ、僕達は一度通り過ぎた廃神社に戻った。
もちろん、申し訳なさはある。
でも、仕方ないじゃないか。こんな僕に優しくしてくれる良い人達に、迷惑はかけられない。
僕との関係が密になるほど、影響は強くなる。中には『見た』だけで、危険なモノだっている。
下手をすれば、死。
運良く死を免れても、心を壊してしまうかもしれない。
――――僕にとって最後の友達となった、あの子のように。
僕は意を決して、古びても尚どっしりと威厳を放つ鳥居をくぐり抜けた。
すると、そこには――――。
「…………あれっ?」
素っ頓狂な声が漏れた。
「どうしたの、リョウくん?」
ハルカの問いかけに、答える余裕などない。
僕は慌てて首を巡らせ、草ぼうぼうの境内を見回した。
いない。何もいない。
でも、気配は感じる。あちこちに、確かに異形の存在はいる。
なのに、どうして…………『何も見えない』んだ!?
「ひゃあああ!」
背後の君枝さんが、甲高い悲鳴を上げる。油断していた僕は、思わず飛び上がった。
「板垣殿の背中に…………恐ろしく巨大なバッタが! 怖いでござるーー!!」
「君枝殿、後生だ、取ってくれ! 拙者、虫は苦手でござるーー!!」
「拙者も虫は無理でござるーー! キャーッ、来ないでぇぇぇ!!」
何だ……虫か。んもー、ビックリさせないでよ!
虫なんかよりも怖いモノが、周りにウヨウヨいるんですよ?
見えないけど、いるんですよ……。
確かにいるはず、なんですけど……。
ハルカも呆れながら、恐慌状態に陥る二人の間に割って入り、その生物を摘んだ。
「バッタじゃなくてカミキリムシだよ。ほら」
「やめてぇぇぇぇ! 芳埜殿、拙者が悪かったでござるーー!!」
「これからは我ら四天王の長として崇め奉ります故、どうかそれを近付けないでぇぇぇ!!」
語呂の悪かった三天王から、ついに四天王へと昇格したらしい。最弱は変わらず僕なんだろうけど。
騒ぎ立てる三人を眺めながら、そんなどうでもいいことを考えていたら――――僕の耳に、いくつかのか細い声が届いた。
「あの…………お願いですから、とっとと帰ってくださいませんか……?」
「あの二人、何なんですか……? 何であんなに気持ち悪い空気を漂わせているんですか……? 本当に無理……」
「どうか二度とここへ来ないよう、取り計らってください……。死んでも関わりたくありません…………」
「もうね、空気というか存在そのものが生理的に受け付けません……。ああ、本当に気持ち悪い……吐くものないのに吐きそう…………」
え?
え……ええっ!?
こ、これは、もしや……オバケが、怯えてるーーーー!?
そういえば、と僕は彼ら二人を改めて見つめた。
板垣さんと君枝さんに憑いているモノは、他の人とは少し異なっているのだ。
ゲーム機本体だったり、パソコンだったり、フリフリのメイド服だったり、ウサ耳カチューシャだったり、キラキラの装飾が施された魔法の剣の玩具だったり、アニメの女の子、と思わせて等身大パネルだったり。
『生物』といったら、元は彼らのペットだったらしい太っちょの猫やブサカワな小型犬や亀やハムスター、あと何で憑けてきたのかよくわからない草や果実くらい。
つまり殆どが『無生物』で、人間に至っては皆無なのである。
普通に生活していれば、何体かの浮遊霊を引き寄せてしまうものだ。なのに、彼らに『人間の霊』が憑いているところをこれまで見たことがない。
憑かれてもすぐ落ちるタイプなんだろうと、あまり深く考えずに流していたけれど――――霊達の懇願を聞いて、僕はやっとその理由を理解した。
そうか…………板垣さんと君枝さんは、無意識の内に『もんのすんごくオバケに嫌われる』体質なんだ!
主に、『人間の霊』に!!
どうやらこの二人、霊に嫌悪感を催させるオーラを放っているらしい。
しかも、この虫除けスプレーならぬ『霊避けオーラ』の効力は、決して弱いものではないようだ。
その証拠に、霊達はブツブツ陰口や文句などを垂れながらも、彼らを追い出そうとしない。代わりに、僕にはどこからか小突いたり、背中を押したりといった子供じみた行動で『何とかしてくれ』と働きかけてくる。
板垣さんと君枝さんには、触れるどころか近付くこともできないみたいだ……。
この霊達、いつもはこんな弱っちくないんだよ? どっちかというと、オラオラ系なんだよ?
いやいや! 虫除けスプレーなんてレベルじゃないぞ、これ。もしかすると殺虫剤に例えた方が近いのかも?
だって、僕の目にも『見えない』ってことは、それだけ『弱体化させられてる』ってことなんだから!
オバケが姿を保つには、相応のエネルギーが要る。だからくっきり見えるモノは強いし、薄っすらとしか見えないモノは弱い。
ハルカの守護霊のように高次元すぎて僕の能力が追い付かない存在は例外として、この法則は殆どのオバケに当て嵌まるものなのだ。
確かに……彼らの周りだけでなく、彼らがいるキッチンでも『人の姿をしたオバケ』や『元は人だったと思われるオバケ』に遭遇したことがなかった。
それは、二人の力によるものだったんだろう。
何たって板垣さんと君枝さんは、カレルにおいてディナータイムの主戦力。そのため休みも片方ずつ取る。
二人揃ってカレルにいないなんてことは、ほぼないに等しい。
そして彼らの力の影響は、ホールにまで及んでいるに違いない。
それぞれ個別でどれだけの力を発揮するか、どの程度の範囲に通用するのかまではわからないけれど――――この状況から察するに、板垣さんと君枝さんの二人の力は虫除けスプレー以上、殺虫剤未満といったところで、『霊を追い払ったり完全に無力化したりまではできない』。
それでも『自分の身に寄せ付けず、周辺の霊も姿を顕現不能にしてしまうくらい弱体化させることができる』。
つまり、彼らの力のせいで見えなかっただけで――――別れさせレストランの原因は、カレルに『いた』。
いや、今も『いる』!
思うが早いか、僕は二人にカミキリムシをけしかけて遊んでいるハルカの腕を掴んだ。
「ハルカ、一緒に来て!」
「えっ……リョウくん!?」
「ぎゃあああ! カミキリムシとやらが頭にぃぃぃ!」
「ひぃやああ! 結城殿、芳埜殿! 助けてくだされーー!!」
二人の身を切る絶叫。
「ちょっと待ってえ! 行かないでーー!!」
「やだやだ無理無理! こいつらだけ置いてかないでーー!!」
続いて、ここを溜まり場にしてる霊達の悲鳴。
ごめんなさい、と心で謝りながら僕はそれらを振り切り、ハルカの手を握ったまま元来た道を戻った。
今こそ、この目で確かめるんだ――――コビガの正体を!!
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