働く者、恋すべからず(八)

 そんなこんなで、カレルに勤務して二週間。


 少しずつ慣れてきたおかげで、あれほど遅かった閉店後の締め作業も大分早くなり、初めてホールの人達と同じ時間に上がることができた。僕にとって、初の快挙である。



 なので、いつもはキッチン組だけで占領していた広い休憩室も、今日は人でいっぱい。


 自己紹介以来、口を聞いたことがない人達が殆どだから、ちょっと気まずいというか居づらいというか、入りにくいというか……。



「あ、お疲れ様です! 着替えてる間に、飲み物用意しておきますね。皆さん、何が良いですか?」



 談笑してる輪から立ち上がり、僕達に駆け寄って来たのは――皆に溶け込むどころか、既にホールグループの中心的存在となっているハルカだ。



「せ、拙者はアイスティーで」

「拙者は……オレンジジュースを」



 板垣いたがきさんと君枝きみえださんが、思いっ切り面食らいながらたどたどしく答える。そういえば、彼らがハルカと話しているところを見るのは初めてだ。



「ぼ、僕は……」


結城ゆうきくんは烏龍茶でしょ? 言わなくてもわかってるよ?」



 僕の言葉を遮っていたずらっぽく笑うと、ハルカは休憩室の隅に設置されている冷蔵庫に向かって行った。


 休憩室の奥にある事務室にいる店長と副店長に挨拶し、それからその左隣にある男子更衣室に入るや――先輩二人は問答無用で僕を室内の最奥へと引っ張り、ヒソヒソ声で尋ねた。



「お、お主、あの娘と知り合いなのでござるか?」


「は、はぁ……高校の同級生で、大学も同じ、なので」



 背の高い板垣さんに上から押し迫られながら、僕は予め用意しておいた答えを述べた。隠し事はしてるけど、嘘じゃないもんね。



「あの娘、何者ぞ? 我らに平然と話しかけよった……まさか、結城殿と同じ、能力者なのか?」


「いえ、普通の子ですよ。誰にでも気軽に接するタイプみたいで」



 背の低い君枝さんに下から突き上げられながら、僕はまた答えた。これも嘘じゃない。ハルカは皆に分け隔てなく優しい、天使のような子なのだ。


 僕の返答に納得したのか、二人は体を離してくれた――かと思ったら、床に転がり、激しく悶え出した。



「ありえん! 三次元の女子が我らに近付くなど、ありえんのじゃ!」


「ならぬ! 三次元の女子が笑顔で話しかけるなど、あってはならぬのじゃ!」



 転げ回る二人を放置して、僕はさっさと着替えることにした。



「あの娘……きっと何か企んでおるに違いない! でなければ我らに近寄るはずがないでござる!」


「金か? 権力か? だが結城殿を落としたとて、彼は我ら三天王の中でも最弱……!」



 勝手に三天王とやらの一員にされていたらしい。語呂悪い上に、最弱扱いかい。別にいいけどさ。



「お疲れ様でした。お先に失礼します」



 荷物を取り出して個別に割り振られたロッカーに鍵をかけると、僕は先に更衣室を出た。



 休憩室に戻れば、ホールの皆がそれぞれにお喋りを楽しんでいる。もちろん、僕の入る隙などない。


 ぼっちには慣れたけど、この空気はやっぱりキツい。


 更衣室で二人を待っていた方が良かったかも、と軽く悔やみつつ、僕は皆の邪魔をしないよう気配を殺しながら椅子に腰を下ろした。


 幸いにも、座る場所に悩むことはなかった。休憩室のテーブルは壁に対してコの字型に配置されているんだけど、その下辺に当たる部分に三つの飲み物が置かれていたので。



「ねえ、芳埜よしのさんの彼氏ってどんな人?」



 一息ついたのも束の間、そんな声が聞こえてきて、僕は思わず烏龍茶を吹き出しかけた。



「すっっっごーーく素敵な人だよ! カッコ良くて可愛くて、優しくて可愛くて、面白くて可愛くて、でもちょっと不器用なところもあって、そこが本当に可愛いの。何度萌え殺されたか、わかんないくらい!」


「えー、いいなぁいいなぁ! 見てみたーい! 今度紹介してよー!」



 ショートヘアの……確か真木まきさんとかいう名前の女の子が、ハルカの肩を掴んでおねだりする。気の強そうな顔は、恋バナ効果でふんわり緩んでいた。



「俺も見たーい! 芳埜に愛されまくってるその幸せな野郎に、羨ましいぞ爆発しろって言いたーい!」



 茶髪の男の子……確かディナータイムのアルバイトリーダーの森崎もりさきくんとかいう奴が、真木さんの隣から身を乗り出して笑う。



「芳埜っちがこんだけノロケるってことは、相当なイケメンだよね〜。年上? それとも年下?」


「俳優でいったら、誰に似てる? そだ、芳埜っち英語勉強してるって言ってたから、外国人とかだったり〜?」



 真木さんの反対隣に座っていたギャルっぽい二人組は……えっと、そうだ! 仲良しニコイチで覚えた、二上ふたがみさんと一之瀬いちのせさんだ。



「ダーメ、見せないし教えない! 皆に好きになられたら困るもん。これ以上、ライバル増やしたくないし……本当に彼、モテすぎて困ってるんだ」



 ハルカはそう答えて溜息をつき、僕の方に一瞬視線を寄越した。



 いやいや……いくら何でも盛りすぎだよ。期待値マックスで目を輝かせてる皆様に対して、申し訳なくなってきたんだけど。


 皆様、本当にすみません! 実物はここで存在スルーされてる、空気以下のホコリのような奴なんです……。



 そこでふと、臼井うすいくんもこんな思いをしたのかな、と考えた。



 けれど彼は、ぼっちでも耐えることを選んだ。一目惚れした彼女のために。



 僕にどこか雰囲気が似ていたという、臼井くん。



 板垣さんと君枝さんが必要以上に僕を構うのは、臼井くんを救えなかった罪悪感にずっと苛まれ続けていたからなのかもしれない。



 もし彼が生きてこの場にいたら、今頃は四人で――いいや、ダメだ。仲良くなんてなれない。だって、僕は……。



「皆の者、お疲れ様でござるー」

「飲み物ありがとうでござるー」



 そこでやっと、板垣さんと君枝さんが更衣室から出てきた。


 嫌々吐きましたといった棒読みの挨拶に、ホールの人々も適当極まりない返事を返す。同じ職場で働いているからといって、仲良くしなきゃならないことはないけど……ホールとキッチンの間の溝は、やっぱり深いみたいだ。



「結城くん、一緒に帰ろっ!」



 しかし――その深い溝を、ひとっ飛びで乗り越える者が現れた。


 そう、ハルカだ。



「え……芳埜、さん……? 何で……?」



 僕よりもホールスタッフ達の方が驚いたようで、一様に唖然としている。



「何でって、結城くんとは家の方向が同じだもん。『高校からの付き合い』だから、家もお互い知ってるし。ね、帰りコンビニ寄ってこ? あたし、アイス食べたいんだ。結城くんにも、何か奢るよ!」



 ハルカは平然と答えて、天真爛漫なエンジェルスマイルを僕に向けてきた。



 ちょちょちょちょっと!

 つつつ『付き合い』って!


 いいいいくら何でも攻めすぎだって! ここここれじゃ、ババババレちゃうよ……!!



 激しく焦り狂った僕だったけれど――――そこへ不意に、天使の甘いいざないを分断するようにして、二つの影が立ちはだかった。



「笑止! 小娘、何を企んでおるのか知らんが、結城殿は我らがお送りする!」


「結城殿、安心召されよ! 我らが奴の魔の毒牙から、御身をお守りするでござる!」



 板垣さんと君枝さんは、敵意を剥き出しにしてハルカに宣言した。



 あれ、これ……やばいんじゃない?



 僕の嫌な予感に呼応するように、ハルカがゆっくりと立ち上がる。




「お二人共…………酷い言い様ですねぇ……? あたしが、何を企んでいる、と……?」




 キタキタキタキタキターーーー!




 口調こそ普段よりは多少まともだけど、あの暗黒オーラと殺意の波動渦巻く目付きは間違いない…………闇ハルカ、いや、闇芳埜さんの降臨だーーーー!!



 彼女が放つ凄絶な圧に飲まれ、皆が黙り込む。


 チラリと窺えば、事務室からツイン・コロボックルも蒼白した顔を覗かせていた。



 まずい、非常にまずい!



 こうなったら…………僕が何とかするしかない!!




「そ……そそそそれじゃ、よっよぉっよよ四人で帰りませんか? おおおぅおうっおうっ、大人数の方が、ききっききぃ、きぃきぃ、きぃぃぃっと、楽しいですよ!」




 オットセイとお猿さんが混じったような奇声を挟みつつ、僕は何とか捻り出した妥協案を提示した。



 双方あまり納得したような感じではなかったけれど、闇ハルカを鎮静化させ、二人の先輩の命を確保することには一先ず成功した――――さしあたって、今のところは。


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