働く者、恋すべからず(五)

 ハルカ・プレゼンツによる『コビガ、もとい恋の貧乏神討伐計画』に乗ることになった僕だが、恐る恐る条件を提示させていただいた。


 というのも、いくらお店のためとはいえ、あんなに優しくて可愛い店長と副店長を騙すのは、やっぱり気が引けたからだ。



 まず、付き合っていることは誰にも言わない。


 次に、期間は報奨金の継続条件となる三ヶ月。


 その間にコビガを退治できなかったら、店長に全てを打ち明けて謝る。もちろん、報奨金は辞退する。



 きっと怒られるだろうけれど、それだって僕達が傷付かないよう心配してくれてのことだし、クビを宣告されたら素直に従う。



 ハルカは概ね賛同してくれたのだけれど……。



「リョウくんが辞める必要ないよ! あたしはコビガ殺戮のために働き始めたから、クビにされても文句は言えないし言わないし、何ならお給料も全部お返しするつもり。だけど、リョウくんは違うでしょ? リョウくんは何も悪いことしてないじゃん。だからその時は、リョウくんだけは残してくれるよう、あたしが店長さんを説得する!」



 と言って聞かなかった。



 確かにこんなに条件の良いバイトは他にないだろうし、僕だって辞めたくはない。


 でも、彼女にだけ責任を押し付けて居座るなんて彼氏失格だ。これだけは、いくらハルカがごねても譲れない。


 なので懸命に宥め嗜めを重ね、何とか納得してもらった。



「あ、そうそう。もう一つ、気付いたことがあるの」



 帰り際、玄関で見送りをしていたら、ハルカが思い出したように振り向いた。



「別れを切り出したり、別れるきっかけを作ったりするのは、必ず『男』の方からみたい。もしかしたら、コビガには『性別』があるのかもしれないね」



 となると、別れさせパワーは男にだけ作用するのか……。


 じゃあ、ハルカから別れを告げられることはないんだな? おお、これは朗報だ!


 って、安心してちゃダメだろ!

 僕が彼女を傷付ける可能性が高いってことじゃないか!



 コビガ退治、気を引き締めて挑まなくちゃ!!




 アルバイトを始めて一週間。


 僕は皿洗いの合間に、サラダやデザート、定食の付け合わせの仕込みなど、簡単なものから調理を教わるようになった。


 仕事に慣れてきて、わかったのは――『レストラン・ワカレル』の異名は伊達じゃない、ということ。



「すみません! キッチンで手の空いてる人いたら、手伝ってもらえませんか!?」



 客席とキッチンの間にある、ホールスタッフがお冷を用意したりドリンクを作ったりする場所――確かパントリーという名称の空間から、ホール担当の女の子が焦った表情で声をかけてきた。


 オーダーを受けてキッチンスタッフに指示を出すデシャップ担当に就いていた副店長が、申し訳なさそうに僕を振り向く。



結城ゆうきくん、ちょっとホールに行ってきてくれる? 掃除道具と……あの感じだと、タオルとダスターも何枚か必要かもしれないな。キッチンからパントリーに出てすぐのところに用意してあるから、持っていって」


「は……はぁ」



 キッチンにまで届くくらいの派手な炸裂音がしたから、誰かが何かを割ってしまったことはわかった。きっとホールが忙しくて、片付ける人手が足りなくて呼ばれたんだろう。


 副店長に言われた通り、掃除道具とタオル持参でホールに出た僕は――声を失った。


 想像していた通り、床には食材や食器などが散らばっていた。キッチンの皆が一生懸命作ったのに、という悲しみが胸を焼く。



 けれど、その席に座る男性はそんな感傷を吹き飛ばすほどの大惨状だった。



 どうやらテーブルにあるものを、手当たり次第投げ付けられたらしい。仕立ての良さそうなスーツには、あちこち食材が付着していた。


 落下物の中には、恐ろしいことに鉄板まであった。


 彼が氷を詰めたビニール袋を左頬に当てているのは、火傷したせいだろう。



「大丈夫ですか? 救急車、呼びますか?」



 彼の側に付いて懸命に声をかけているのは、さっきキッチンに応援を呼びに来たショートヘアの女の子だ。



「いえ……帰ります。お騒がせして、すみませんでした」



 そう言って静かに立ち上がった男性の目は、ひどく虚ろだった。


 彼が隣を通り抜けた瞬間、ぞくり、と僕の全身に悪寒が走った。



 何だ、この感覚。



 もしかして、この人……何かに憑かれてる、のか?



 でも、彼の周りにはそんなに悪いモノは見えない。大して害のない動物霊くらいだ。


 だとしたら、『それ』は僕の目でも捉えられないくらいの……?




「…………コビガの仕業だよ」




 呆然と男性の背中を見送っていた僕の耳に、弱々しい囁きが届く。隣を見ると、いつのまにか側にハルカが立っていた。



「あの人、彼女と来てたの。すごく仲良さそうだった。なのに……こんな……」


芳埜よしのさん、ごめんね。私の担当テーブルだったのにお料理運ぶの手伝ってもらったせいで、目の前でこんなことになっちゃって。片付けは結城くんにお願いしたし、オーダーも落ち着いたから、少し休憩室で休んでおいで? ね?」



 僕を呼びに来たショートヘアの女の子が、震えるハルカの肩を抱く。


 彼女の話から察するに、ハルカはたまたま手伝っていたテーブルで、料理をぶち撒けるほどの痴話喧嘩に遭遇してしまったようだ。



 同僚の申し出に、けれどハルカは首を横に振って、微笑んだ。



「ううん、大丈夫。あたしこそごめんね、真木まきさん。ちょっと動揺しちゃっただけ。それと……『結城くん』も、忙しいのにホールにまで来てくれてありがとう。片付けはあたしがやるから、キッチンに戻って」



 『結城くん』――懐かしい呼び方に、付き合う前のことを思い出して、不覚にも胸がキュンとなってしまった。



「あっ……あ、いえ、せ、制服汚れるといけないし、お仕事もモモリモモモモリモリあると思うし、ぼぼぼ僕が床掃除しますですが。だから、あの……『芳埜さん』は、テーブルの上だけ、お願いしますんぐねんご!」



 ほーら、噛んだ!

 ちょっとドギマギすると、すーぐこれだ!


 ハイハイ、知ってた知ってた!!


 真木さんと呼ばれたショートヘアの子は、明らかに『何このキモい生き物……死ねば良いのに』といった視線を僕に向けている。その目から逃れるように、僕は速やかに床に膝を付き、落ちた食品やら砕けたグラスやらヒビの入った鉄板やらを拾う作業に移った。




「……ありがとう。結城くん、優しいね」


『結城くんって、すごく優しいんだね』




 初めてハルカと交わした会話をなぞるような言葉に思わず顔を向けて見れば、その時と同じ――大輪の花すら霞むほどの絢爛な笑顔が至近距離にある。



「じゃあ、床の掃除は結城くんにお任せするね。本当にありがとう、助かるよ」



 ひしゃげたブロッコリーを摘む僕の手をそっと握ると、ハルカは立ち上がり、いそいそとテーブルの片付けを始めた。



 ひ……ひゃあああ!!


 天然か、天然なのか!? 天然のボーイズハートキラーなのか!?



 付き合ってないフリしてるけど、こういうこと、僕以外の奴にやってないよね!? 僕だからこんな風に接するんだって、思っていいんだよね!?



 我ながらバカだとは思うけれど……『結城くん』に、ついうっかり嫉妬しちゃったじゃないか!!


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