働く者、恋すべからず(四)

 己の不細工っぷりを嘆きながら、シャワーのみで慌ただしくバスタイムを終えて部屋に戻ると、美味しそうな夕飯がテーブルに並べられていた。


 ハルカも夕食を摂らずに、僕を待ってくれていたという。


 そんな健気で愛しい彼女と向かい合わせに座り、僕は一緒にいただきますと頭を下げた。



「リョウくん、またケータイ忘れたでしょ? もーダメだよ、ケータイは携帯しなくちゃ意味ないじゃん」


「ご、ごめん……」


「まぁ、あたし以外の誰からも連絡来てなかったし。履歴もメッセージもあたし一色だったから、安心した!」



 そういう胸を抉るようなこと言うのはやめてよぅ……。ぼっち痛感して凹むからぁ……。



「全アプリとスマホの挙動もチェックしたけど、怪しいデータはなし。今日のところは合格ね! これからもこの調子で、あたし一筋でいてくれなきゃやだよ?」


「う、うん……もちろんだよ……」



 虚ろに返事して、僕はトンカツを口に入れた。


 スマホチェックなど、彼女と付き合う上では当たり前。

 何たってこの部屋には、監視カメラまで設置されているのだ。


 彼女曰く、『目を離してる隙に、リョウくんが誰かに取られないか心配で仕方ない』とのことで。僕みたいなショボーイを相手にする人なんか、ハルカ以外いるはずないのに。


 ん? このトンカツ、すごく美味しい!

 サクッとした軽い衣、しかし口腔粘膜を刺すトゲトゲしさはなく溢れる肉汁と共に優しく解けていく。

 この手作りソースのまろやかさは何だ? 甘さと旨味を主張しながらも、お肉のジューシーさを最大限に活かしているとは……名脇役にも程がある!



「美味しい? たくさん食べてね。でもその内、リョウくんに追い抜かれちゃうかもなぁ……」


「え、何が?」


「料理の腕だよ! あたしもパパに習って勉強してるけど、リョウくん、これからキッチンでお仕事するんでしょ? いろんなこと学んでく内に、あたしの料理なんか食べたくなくなっちゃうんじゃないかって心配……」



 ウッソー!


 ハルカの料理の師匠って、あのパパなの?

 仁王像吽形みたいなゴツい顔した剛真ごうしんさんが、エプロン着て娘にあれこれ教えてるの!?


 剛真さんのフリフリエプロン妄想は置いておくとして! 今はそれよりも聞きたいことがある!!



「ハルカ……何で『カレル』で働き始めたの? いつから働いてるの? あそこ、恋愛禁止なんだよ? もしかして、店長さんに言われなかった?」


「二日前から、シフト入ってるの。恋愛禁止については、ちゃんと言われたよ。結婚確定してる彼氏がいるって伝えたおかげで、採用されたから」



 結婚云々はさておき……じゃあ何で、と僕が再度尋ねるより先に、ハルカは逆に問いかけてきた。



「リョウくんは、知ってる? どうしてあのお店が『恋愛禁止』なのか」



 彼女の静かな声に圧され、僕は黙って首を横に振った。


 するとハルカは箸を置き、ぐっと僕の方に顔を寄せて告げた。




「あのお店…………『別れさせレストラン』なんだって。『レストラン・ワカレル』なんて呼ぶ人もいるみたいよ」




 『別れさせレストラン』? どういう意味だ?



 ポカンとして、僕は口からシャキシャキ千切りキャベツを零してしまった。ティッシュで僕の口元を拭い、落としたキャベツを拾いながらハルカは言葉を続けた。



「あそこのお店に行くと、カップルが別れちゃうらしいの。働いてる人もお客さんも、ケンカしたり気持ちが冷めたりして、破局することが多いんだって。あたし、リョウくんがあの店で働くって決まった時に調べたんだ。彼氏の職場を調査するのは、彼女として当然のことだもんね。おかしな輩がいたら、排除して環境を整えなきゃだし」



 調べるのは良いとして、排除って何!?

 グラウンドを土ならしするみたいに、軽く言わないで!



「そしたら、同級生からそんな物騒な話を聞いて……でも、ただの噂かもしれないから、ツテを辿って本人に突撃したの」



 すごい行動力だなぁ。

 探偵事務所に入って浮気調査専門になったら、右に出る者はいなさそう。



「噂は本当だったの。あたしが調べただけでも、五組以上のカップルが別れてた。それも、お店に入るまでは直前までラブラブだったのに、っていう人が殆ど。後で復縁したカップルもいるみたいけどね。でも友達同士だと、仲違いしたり絶縁したりしないの。おなしなことになるのは、カップル限定なんだよ。ね、変でしょ?」


「うん……おかしいね。何でなんだろう? 僕には何も見えなかったし、オバケ関連じゃないっぽいんだけど」



 そう、ハルカはちゃんと僕の能力について知っている。彼女は零感だけど、僕のせいで何度かオバケを見たことがある。けれど、それでも側にいてくれるのだ。


 おまけに、ハルカには、僕の目にも捉えられないほど高レベルの強力な守護霊が憑いている。


 そのおかげもあって、安心して一緒にいられた、んだけど……。



「……でもさ、そこまで調べて同じ職場で働き始めたってことは…………ハルカ、僕と、別れたく、なっちゃった、の?」



 必死に絞り出した声は、呆れるほど弱々しくて――我ながら情けなくなった。


 何の取り柄もないどころか変な力のせいでマイナスに振り切ってる僕なんかと、皆が見惚れるほどの超絶美少女のハルカとじゃ、全然釣り合わないってわかってるのに。

 少しの間だけでも付き合ってくれただけで、幸せだと思わなきゃいけないのに。


 なのになのに――彼女がいない生活を想像するだけで、視界が絶望で真っ黒になる。



 重力に任せて俯き、肩を落として暗闇に沈みかけた僕を、凛とした声が引き戻した。



「そんなわけないでしょ! あたしがリョウくんと別れるなんて、ゴリラに生まれ変わったってありえないよ!!」



 顔を上げれば、強く澄んだ輝きを宿したハルカの瞳が映る。


 それからハルカは申し訳なさそうに眉を下げ、手を伸ばして僕の頭を撫でた。



「誤解させちゃったなら、ごめんね。皆の話を聞いて、あたし、考えたの。リョウくんがあの店で働くことを決めたのは、変なモノがいなかったからでしょ? だとしたら、何が原因なのかなって。それでね、前にリョウくんが『レベルが高すぎるモノは感知できない』って言ってたのを思い出して…………閃いたの」


「えっ、ハルカ、何かわかったの?」



 今度は僕が身を乗り出し、問い返した。ハルカが頷く。



 彼女は僕と違って、頭が良い。

 きっと、これまで盲点だった部分に気付き、原因を突き止めたに違いな――。




「これは、『恋の貧乏神』のせいなんだよ!!」




 それを聞くや、僕は一気に脱力した。


 ええええ……何それ?

 そんな神様、聞いたことないよ……?




「『コビガ』をこのまま放っておくと、お店だけじゃなくて周辺地域……ううん、世界全体にまで影響が出るかもしれない。皆が悲しい恋を味わって、恋することが怖くなって、ついには世界基準で恋愛禁止になって、人類が滅びちゃうかもしれない。そうなる前に、何としても止めなきゃ!」



 えっと……コビガって、『恋の貧乏神』さんとやらの略称? 逆に呼びにくくなってる気がするぞ?


 そして、話がやたら壮大になってるよね?



「止めるって、どうやって……?」



 気圧されながらも尋ねると、ハルカは大きな目を煌めかせながら答えた。



「決まってるじゃん、『愛の力』だよ! コビガは多分、愛を知らないの。でもね、失恋の痛みや悲しみを食い物にしてるのは、裏を返せば『愛を感じさせてくれる存在』を本当は待ってるからだと思うんだ。それで、恋人達の絆を試すようなことしてるんだよ」



 うぅん……少女漫画にありそうでなさそうな半端なシリアス設定盛ってきたなぁ、コビガ。

 いると仮定しても、神にしてはチョロすぎじゃないかなぁ、コビガ。



「だから、あたしとリョウくんの愛でコビガを滅殺しよ? あたし達なら、必ずできる。恋という斧で頭を叩き割って、愛という剣で尻から串刺しにして、想いを込めた拳で原型留めないくらいタコ殴りにするの! これぞ、神殺しの愛だよ!!」



 ひぃぃぃ! 追い払うだけじゃダメなの!?

 そこまでフルボッコにするの!? コビガが可哀想になってきたよ!!




「なぁにぃ、リョウくぅん……乗り気じゃなさそうだけどぉ、もしかして、嫌なのぉ……? それともぉ、ホールスタッフの誰かにぃ、一目惚れなんかしちゃってぇ、あたしと別れたいと思ってぇ、これ幸いとコビガに媚びようとしてた、とかぁ…………?」




 蒼白する僕を見て、ハルカが低く問う。


 天真爛漫な天使から一転、残酷非道な悪魔と化した彼女は、嫉妬と狂気に燃える瞳を僕に向けていた。



 やばい、闇ハルカの登場だ!



「そそそ、そんなことありません! ぼぼぼ僕にはハルカしか見えてませんから! それと、洗う皿しか見えてませんでしたから! コビガ退治、やりましょう! 僕達の強く清らかな至高の愛で、思い知らせてやりましょう!」



 視線だけで刺し殺されそうになりながら、声だけでショック死しそうになりながら、僕は必死に賛成の意を示した。




「強く清らかな至高の愛、って……もー、恥ずかしいこと言うんだから! でもつまり、あたしのこと、心から愛してるって、言ってるんだよね……?」




 愛のマジックワードで天使に戻ったハルカが、頬を赤らめる。


 改めて繰り返されると恥ずかしいし、聞かれると恥ずかしいし、恥ずかしいが恥ずかしいし!



 同じくらい、いやハルカ以上に顔を赤くして、僕は俯いた。


 しかし恥ずかしさを堪え、頑張って『……うん』と伝える。


 蚊の鳴くような小さな声だったけれど、何も言えずに黙り込むばかりだった昔に比べたら、これでも成長した方なのだ!



「もうもうもう! 嬉しすぎて死んじゃう! リョウくんが可愛すぎて萌え殺されそう! あたしもリョウくんのこと、愛してる! 大大大大、大好きっ!!」



 いつの間にか隣に移動していたハルカによる、歓喜のハグ!


 嗚呼、女の子って何でこんなにカオーリがイーニオーイなんだろう。

 至近距離で見る笑顔は、プリティーがキュート。


 そしてぐいぐい押し付けられるオパーイはモニューンてフニューン……まさにヘブンがパラダイス!!



「えへへ……喋ってたら、ご飯冷めちゃったね。すぐ温め直すね!」



 ハグファイヤーでホカホカに仕上げられた僕にそう告げると、ハルカはさっと料理が乗った皿を持ち、キッチンへと向かっていった。


 ……って、いつのまにかもう片手でお皿を四枚も持てるようになってるよ!? 見事なまでにウエイトレスじゃないか!


 二日早く勤め始めただけなのに、皿洗いも満足にできないまま一日を終えた僕とはえらい違い。


 心配しなくても、僕が彼女を追い抜く日など永遠にやって来なさそうだ……。

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