働く者、恋すべからず(三)
コックコートを着用して、紙製のコックハットを被り、マスクを装備して身支度を整えた僕は、ドキドキしながらキッチンに足を踏み入れた。
「あ、新人の
コックコートに身を包んだその人は、何と! 名前だけでなく顔から髪型、コロンとした体型まで店長と瓜二つ!!
驚いて固まる僕に、副店長の方の宝田さんは『店長とは双子の兄弟で、このお店は二人で経営しているんだ』と苦笑いしてみせた。分身できるなんて、やっぱり妖精さんだったのか! と激しくビビった自分が恥ずかしい……。
念入りに手洗いの仕方を実施トレーニングした後は、副店長さんと共に、まずキッチン内部を見学。
その間、忙しいディナータイムに突入したにも関わらず、
こんなに息ぴったりってことは、仕事以外でもすごく仲が良いんだろうな。
ちょっと……ううん、すごく羨ましいと思った。僕には、友達なんて一人もいないから。
大体の説明が終わると洗浄機の使い方を教わり、僕は皿洗いを任された。副店長さんは、あの二人と一緒に戦場と化した厨房の最前線へ。
たかが皿洗い、されど皿洗い。
洗浄機にかけるといっても油汚れはしっかり落とさなきゃならないし、何より量が半端ない。
洗うものの優先順位から、お皿や調理器具の種類と名称、収納場所、どういった料理にどれを使うかなどを覚えながら、手が空いたら簡単な仕込みを学び――――僕の初アルバイトの時間はあっという間に過ぎた。
ほんの四時間だったけれど、閉店作業を終える頃には、もうくたくたのへとへとになってしまった。
「結城殿、よく頑張ったでござるな。この板垣が褒めてつかわそう」
「では、拙者からは次回デザートを作る権利を与えるとしよう。喜べ、結城殿」
疲れたせいで口数が更に少なくなった僕を、二人の先輩が優しく労う。
今日だって何枚も皿を割ってしまったのに叱ることなく励まし、後片付けまでしてくれた。店長の言った通り、本当に良い人達みたいだ。
「ありがとうございます……頑張ります……」
けれど僕は、目を背けて俯き、肩を抱く二人の手から逃げるようにして足早に休憩室に向かった。
コミュ障だから、それもある。
二人に『変なモノ』が憑いていた、それもある。
でも断じて、この二人のことが嫌だったからではない。むしろ、その逆だ。
仲良くなれるなら、仲良くなりたい。この二人と先輩後輩として良い関係を築くことができるなら、この上ない幸せだと思う。
けれど――それはできない。
何故なら僕のこの『オバケが見える』能力は、『側にいる人にも影響を与えてしまう』からだ。
僕は、ただ見えるだけ。祓ったり撃退したりはできない。
オバケは見えるとわかると襲ってくることもある。けれど、僕には何もできないのだ。
そのせいで、怖い目に遭ったり死にそうな目に遭ったりした。この苦しみを、他の人にまで味あわせるわけにはいかない。
僕が誰とも親しくなろうとせず、近付く人を頑なに拒絶するのは、これが大きな理由なのだ。
慌てて着替えると僕は店長や副店長への挨拶もそこそこに、急いで店を出た。
ホールスタッフ達は先に上がったという。本当なら皆で一緒に帰るそうだけれど、新人の僕に閉店作業を教えるために遅くなったせいで、キッチンスタッフだけ残ることになったんだろう。
物覚えが悪いせいで必死にメモを取っても追いつかない僕を見兼ねて、店長と副店長はメモ帳に貼り付けられるサイズの作業チャート表を作ってくれた。
六月特有の湿った夜風が、溜息みたいに重く身にまとわりつく。
皆、良い人ばかりなのが辛い。
これからどんどん距離を置かれて嫌われていくんだろうな。それなら、嫌な人や怖い人に意地悪されたりいびられたりする方がマシだったかも、とすら思う。
僕だって、テレビドラマみたいに皆で楽しく和気あいあいとしながら働きたい。
でも僕のせいで、皆様にご迷惑をおかけしたら。オバケが見えてしまったら。怖い思いをさせてしまったら。
そんなことばかりがぐるぐる頭を巡って……って、って?
ってってって、それどころじゃないよ!
まずい、ハルカに連絡するの、忘れてた!!
それを思い出した瞬間、僕は慌てて斜め掛けしていたバッグを漁り、スマートフォンを探した。
ハルカは見た目こそ老若男女問わず誰もが振り向くほどの美少女だが、中身は老若男女問わず、僕に近付こうとする者なら誰彼構わず嫉妬の刃で細切れに刻み尽くす『超束縛女子』なのだ。
だから会えない時は、こまめに連絡を返さなくてはならない。放置したらどうなることか……謝罪文及びラブレター責め監禁耐久レースが現実になってしまう!
それなのに、だ。
「ウソ……ケータイ、家に忘れた……」
絶望のあまり、震え声が漏れた。
バカバカ、立ち尽くしてたって意味ないだろ! 急いで帰って、すぐ電話して謝るんだ!!
もつれそうになる足を叱咤しながら、僕は歩道を蹴り、自宅までの道のりをそれこそ死に物狂いで全力疾走した。
「リョウくん、おかえり! ご飯にする? お風呂にする? それとも、あ・た・し?」
八畳一間の学生向けアパートに帰ると、天使が笑顔で出迎えてくれた。
あれ、ここ天国だっけ? ……とデジャヴを感じた僕だったけれど、すぐに我に返った。
「へ…………ハルカ?」
「きゃっ! あたし? あたしを選んじゃう!? やったぁ、嬉しい! リョウくん、大好きっ!!」
玄関で呆気に取られてる僕に、ハルカが飛び付いてくる。
ふわあ……あったかくって柔らかーい。最高の癒しだよ。何これ、やっぱりここ、天国だよね?
じゃなくて!
「ハルカ、何で僕の家にいるの!? もう夜遅いのにダメじゃないか!」
合鍵は渡しているけれど、時刻は日付変更線を超える直前。こんな時間に女の子が一人暮らしの男の部屋にいるなんて、とてもいけないことだ。不健全、ダメ絶対。
「だって……リョウくん、今日初めてのお仕事だったでしょ? きっと疲れてるだろうから、美味しいもの食べて元気になってほしくて。もしかして、迷惑だった?」
体を離したハルカが、上目遣いに僕を見つめる。
味気ない蛍光灯の光にも繊細なツヤを跳ね返す髪はふわふわ、色素の薄い大きな瞳はうるうる、もの言いたげに薄っすら開いた唇はぷるぷる、ほんのり上気した頬はぽわぽわ。
そしてシンプルなTシャツを押し上げる、細い体に豊かに実ったバストは推定Eカップ。
可愛い。可愛いがゲシュタルト崩壊しそうなくらいに可愛い。
ねえ……彼女が天使すぎて生きるのが楽しいんですけれど!
生きてて良かった! ラ・ヴィ・アン・ローズ!
ビバ・マイスウィートエンジェル、ハルカ・ヨシノ!!
「め、迷惑なんて全然思わないよ! それより明日も学校あるのに、僕こそハルカの負担になってないか、心配で……」
「明日の講義はニ限からだもん、平気だよ。帰りはパパが迎えに来てくれるし、リョウくんに送らせるなんて手間は取らせないから、気にしないで甘えて?」
ハルカのご両親は、愛娘の恋を心から応援している。特にお父様である
ちょっと溺愛しすぎじゃない? なんて思う時もあるくらい。
でも、もしかしたら――僕の事情をハルカから聞いて、亡くなった両親の代わりをしようとしてくれているのかもしれない。
それなら……ちょっとだけ、甘えてみようかな?
躊躇いつつも頷いて了解の意を示すと、ハルカは笑顔で僕の手を取った。
「それじゃ、あたしがご飯作ってる間に、お風呂に入っちゃって。ふふっ、リョウくん、いつもと違って油の匂いがするね。まだあたしを堪能し足りないなら、背中、流そうか?」
ぎゃああああ!
嫁入り前の乙女が何てことを! 何てことを! 何てことを!!
……え、でも、いいの? いいんだよね? せっかくだから、お願いしちゃおっかな!?
「リョウくんってば! 冗談だから、そんな変な顔しないで。ぷふっ……やだもう、いきなりにらめっこ百面相なんてズルいよー!」
そう言ってハルカは繋いでいた手を離し、お腹を抱えてケラケラ笑い転げた。
にらめっこ百面相なんてしてないんだけどな……?
僕の戸惑い顔ってそんなに面白いんだ…………そっかぁ、そっかぁ……。
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