働く者、恋すべからず(ニ)

結城ゆうきくん、ごめんね。従業員は裏口から入ってもらうんだ。教えるのをすっかり忘れてたよ」


「い、いえ……こちらこそ忙しい時にお手を煩わせてすみません……」



 店長に店内を案内してもらいながら、僕はどうしようどうしよう、と頭の中で焦り狂っていた。


 他でもない、ハルカのことだ。


 アルバイトをすることは、前もって告げてあった。

 ハルカは賛成してくれたし、バイトする場所も教えたし、何の問題もなかったはずだ。


 なのに――あれほど言われていた『恋愛禁止』の掟を、早速破ることになってしまった。


 でも、待てよ?

 彼女だって、ここで働くためには面接を受けているはずだ。ならば、『恋愛禁止』の掟について聞かされていることは間違いない。



 ということはまさか、ハルカ…………僕と別れるつもり、なんじゃ? 別れの言葉を告げる代わりに、これみよがしに働き始めたんじゃ?



 いやいや、落ち着け。さっきは普通だったじゃないか。

 いつも通り、自分の妄想にまで嫉妬して闇堕ちしていた。それに、ハルカはそんな陰湿で遠回りなことはしない。別れたければ、正面切ってスパーンと断ち切るタイプだ。


 それでも納得して身を引かなければ、言葉の刃で生涯立ち直れないくらいの致命傷を負わせる。

 それでも未練がましく復縁を迫ろうとすれば、そのしがみつく腕や追い縋る足を切り落とす。

 それでも諦めずにしつこく泣き叫び喚き散らかせば、息の根止めても黙らせる。


 彼女の辞書に、情けという項目は存在しないのだ。



 となると……やっぱり事情を知ってて、ここで働くことを選んだんだよね?



 ……ダメじゃん!


 こんなコロボックルみたいに可愛いおじさん、裏切っちゃいけないよ!! 妖精さんを騙すなんて可哀想だよ!!



「……結城くん? 大丈夫? 頭でも痛い? それと……妖精さんって、何かな?」



 頭を抱えて悶絶する僕に、店長が心配して声をかけてきた。


 現在、バックヤードにある休憩室で、必要書類の説明を受けている――ところだったのだが、思考の波に飲まれて、うわの空になってしまったようだ。


 しかも、変なこと口走っちゃったみたい!



「い、いえ、あのその……店長は妖精みたいに可愛いなぁと思いまして……」


「…………あ、ありがとう。でも、恋愛は禁止、だからね……?」



 テーブルの差し向かいに座っていた店長が、明らかにドン引きした顔でそっと椅子ごと下がり、僕から距離を取る。


 知ってます! わかってます!

 ものっすごい誤解ですから、優しく釘を刺さないでください!!



「そ、そういう意味ではなくて……僕も店長みたいに若々しくて素敵な大人になりたいなぁって、言いたかったんです……。何か、すみません……喋るの、本当に苦手で」


「い、いや、こちらこそ変な勘違いしてごめんね? 結城くんには、大切な彼女がいるんだもんね?」



 その彼女が大問題なんですよ……。



 ダメだ、やっぱり黙ってるなんてできない。思い切って打ち明けよう。


 そう決意してぐっと拳を握り、話を切り出そうとしたその時――突然、二人組の男子がなだれ込んできた。



「ききき、聞いておったぞ! お主、彼女がおるのか!?」


「二次元か? 二次元よな? もしや同士でござるか!?」


「いやはや、一次元、はたまた四次元という可能性もあるでござるよ!」


「オフゥ! 我々には理解不能な領域! だがこやつのナリを見たところ、ニ・五次元臭いと拙者は思う」


「ニ・五次元……? 馬鹿者めが! そんな半端なところに行くなら二次元に戻ってまいれ!!」



 ええええ…………何この人達。



 言ってることも言葉遣いも意味不明すぎて、僕の方こそ理解不能なんですけれど!



「コラ、君達。結城くんがビックリしてるじゃないか。これから一緒に働く新人さんを、いじめちゃダメだろう? まずは自己紹介して」


 店長が慣れた調子で嗜める。どうやらこの二人も、ここで働くスタッフらしい。



「我が名は、板垣いたがきエイジ」



 と、ひょろ長いオカッパ眼鏡のお兄さんが両腕を高く掲げてポーズを決める。



「拙者は、君枝きみえだスグル」



 と、坊っちゃんカットの太ましいお兄さんが顔面に手を翳しポーズを決める。



「二人揃って、カレル・オブ・ザ・ジェネシス!!」


「あー要するに、夜の部のキッチンバイトリーダーとサブリーダーね。板垣くんがリーダーで、君枝くんがサブリーダー」



 うん、店長に通訳してもらわなきゃ何が何だかだったよ。へえ、この二人がキッチンの……。


 って、ええええ!? じゃあ僕、この二人とこれから一緒に仕事することになるの!?


 うわぁ……大丈夫かな? いきなり先行き不安大爆発なんだけど。



「で、お主は何と申す?」


「そうじゃ! 貴様も名乗れい!」



 板垣さんと君枝さんに促されて我に返った僕は、慌てて腰掛けていた椅子から立ち上がり、ぐっと腹に力を込めた。


 アルバイトでの最初の挨拶は元気良く。マニュアル本で読んだ知識を、今こそ生かす時だ!



「き、今日から一緒に働かせていただく、結城リョウです! ふつつつつつつかものののののではありますですがっ、よろしくお願いしまむでござんがむ!」



 んもぉう! 声裏返ったし噛んだし、釣られて語尾までおかしくなったし! 一生懸命練習したのに!!


 とんでもないコミュ障を、いきなり露呈してしまったよ。遅かれ早かれ、バレただろうけどさ……。


 お辞儀をしたまま、僕は恥ずかしさと情けなさのあまり顔を上げられなくなった。



 けれど。



「モフォッ! お主、なかなか面白い奴よのぅ!」


「フヌボヒョヒョ! 拙者も気に入ったぞ! よし、しかと鍛錬してくれよう!」



 二人は全く気にしないどころか、変な声で吹き出したり笑ったりしながら、僕の左右それぞれの肩をバシバシと叩いてきた。



「はいはい、二人共。早く着替えて店に出て。遅れたらお給料マイナスだよ」


「御意ー!」



 店長に促されると、二人はダッシュで休憩室の奥にある更衣室に向かっていった。



「驚かせてごめんね。ちょっと個性が強いだけで悪い子達じゃないし、仕事もすごくできるから、安心して教わって」



 店長が眉毛を下げて苦笑する。僕も釣られて強張った頬から力を抜いた。


 いろいろとインパクト大きすぎて面食らっちゃったけど、店長がこれだけ信頼しているんだから、きっと頼りになる人達なんだろう。



「いや〜、実は何人かキッチン希望の子が来たんだけどね、あの二人のノリについていけなかったようで、全然続かなかったんだよ。でも結城くんなら、うまくやっていけそうだなって初めて見た時に直感したんだ。ほら、結城くんもオタクっぽ……じゃなくて、友達と遊ぶより、アニメとかゲームとか、そういうのの方が好きなタイプでしょ? あの二人はそちらのことに関してはスペシャリストだから、きっと話が合うと思うよ!」



 ああ、なるほど。見た目がダサくてモサくてショボいから、引きこもって二次元ワールドを堪能してる系だと思われたんだね。なるほど、納得!



 でもね……アニメなんて、ハルカとのデートの時に映画で観た大ヒット作『我の姓は』くらいしか知らないよ?


 ゲームだって、暇潰し程度にスマホでソリティアやる程度だよ?



 陰キャが皆、二次元の世界にわかりみが深くて尊みに萌え散らかしてると思わないでください!

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