五月の怪

誰が為に夜景は輝く(一)

 大学に入学して、早一月。


 高校とはまるで異なるシステムに四苦八苦しながら選択した講義を受け、家に帰れば初めての一人暮らしに悪戦苦闘。


 これからは掃除や洗濯や炊事といった家事の一切も、自分一人でやらなくてはならない。


 覚悟はしていたつもりだったけれど、自立することがこんなに大変だなんて思わなかった。


 あれほど耳障りだと思っていた施設の騒々しさが、今では懐かしく、恋しさすら感じる。


 だからといって、戻るわけにはいかない。


 親を失くし頼れる親戚もなかった自分を育ててくれた施設の皆に、今度は僕が恩返しする番なんだ!


 そんなわけで僕、結城ゆうきリョウは初めて尽くしの新たな生活を慌ただしく過ごしていたのだが――――そんな日々に慣れる間もなく、ドカーンと息抜きの休暇がやってきた。



 そう、ゴールデンウィークの到来である。




「ねえ、リョウくん。せっかくだから、ゴールデンウィークはちょっと遠出してみない?」


 ストローでアイスティーをかき混ぜながら、僕の向かいに座る天使がいたずらっぽく微笑む。


 この頭上にエンジェルリングが浮かぶ幻覚が見えそうなほどの超絶美少女は、同い年で同じ大学に通う僕の恋人――芳埜よしのハルカだ。


 こんな彼女を持つのなら、よほどのイケメン、もしくはカリスマムンムンの神なのだろうと思われるかもしれない。



「う、うん……してみない……? いや、してみる……?」



 ところがどっこい、こんな感じでコミュ障全開スパーキン。見た目もショボけりゃ中身もショボいショボショボーイ、それが僕なのである。


 おかげでハルカが見付けたというオシャレムード満点のカフェに入ってからというもの、周りから注がれる好奇の眼差しが痛いこと痛いこと。それもこれも、ハルカの抜群の容姿が目を引くせいだ。多少慣れたとはいえ、このままじゃ視線で刺殺されてしまいそう……。


 けれど当のハルカは全く気にしていないようで、僕の訳のわからない返事から『いいね、行こう』という意味を汲み取り、無邪気な笑顔を弾けさせた。



「やったあ! 実はね、パパが一日だけ車貸してくれるっていうの。いつもデートは近場だったし、電車と違って時間気にせずどこにでも行けるよ!」



 え……パパって、ハルカの父上であらせられる芳埜よしの剛真ごうしんさんですよね?


 あのパパ、超怖いんだよなぁ……体も顔もデカくてゴツくて、生きた仁王像って感じなんだもん。僕のことを嫌っているわけではないらしいけど、いまだに目も合わせてくれないし、会話だってしたことがない。


 それなのに大事な車を借りるなんて、気も腰も引けてしまう。



「ありがたいけど……でも、申し訳ないよ。僕、教習所以来運転したことないもん。ぶつけたりしたら怒られるし弁償しなきゃだし、不安が……」


「リョウくんが心配することないよ。あたしが運転するから!」


「へ……ハルカが?」


「あたしも初心者だけど、パパの車はたまに運転させてもらってるから、リョウくんよりは慣れてるよ。大丈夫、任せて。大切なリョウくんに怪我させたりしない。いざという時は、あたしがエアバッグになって、命に替えてもリョウくんを守るよ!」



 ハルカはそう言って、自分の胸を叩いてみせた。白いフリルのレーストップスに隠されたそれは、推定Eカップ。


 細い体にたわわに実る二つの果実は、さぞ触り心地良いのだろうな……そのおててになりたいよ。


 ぽよんぽよんなのか?

 もふんもふんなのか?

 それとも、吸い付くようにむにゅんむにゅんなのか?


 などとやらしいことを考えていたら――不意に、冷気が僕の身を包んだ。




「ところで、リョウくぅん…………『ペン田ペン子』さんって、どなたですかぁ……?」




 胸から視線を顔に向けると――先程まで僕の目の前にいたはずの、可愛らしいエンジェルは消えていた。


 代わりに、笑う子は泣き、泣く子は黙り、黙る子は気絶しそうなほど恐ろしい形相をした魔物が、僕のことを睨みつけている。



 まずい、闇ハルカが覚醒した!



「そ、それは……」


「『ペン田ペン子 可愛い』『ペン田ペン子 彼氏』『ペン田ペン子 どこ住み』……リョウくんの検索履歴調べたら、こんなのがたくさん出てきたんですけどぉ……?」


 光ハルカから闇ハルカへと変貌した彼女は、自分のスマホを突き出し、背筋を震わせるような低い声音で問い質してきた。



 ま、まさか、僕のゴーグルアカウントのパスワードを解読してログインしたのか!? 束縛女の底力、恐るべし!!



「ち、違います! ハルカが勘違いしてるようなことではないです! それ、ただのキャラクターです! あんまり有名じゃないけど、ローカルで活躍してて今密かに人気があって……」


「あぁん……? つまりぃ、ご当地アイドルみたいなものってわけぇ……? アイドルだろうが俳優だろうが芸人だろうが、あたしのリョウくん誘惑する奴は、この世界から消えてもらうよぉぉぉ……?」



 ひいいいい! 僕のせいでペン子が消されてしまう!!



「ま、待って! ハルカ、本当に違うから!! お願いだから、騙されたと思って動画観てみて!!」


 ペン子滅殺の意志を固めて立ち上がろうとしたハルカを、僕は必死に引き留め、半泣きで懇願した。


 その甲斐あって、彼女は浮かせかけていた腰を下ろし、春らしいパールピンクで彩った指先をスマホに滑らせた。



「…………何これ! すっごい可愛い! すっごい面白い! やだ、あたしもファンになっちゃいそう!!」



 何とか誤解は解けたようで、恐ろしきことこの上ない魔物は立ち去り、元のエンジェル美少女が戻ってきた。


 やれやれ、ペン子にまで嫉妬の刃を向けるとは。これからはネットの検索にも気を付けなきゃならないな。



 何たってハルカは、度を超えた『束縛女子』なんだから。



 楽しそうに笑い転げるハルカを眺めながら、僕はこっそり気付かれないように溜息を吐いた。


 僕みたいなショボーイなど誰も相手にするはずないのに、ハルカは心配で仕方ないらしく、常に僕の動向と周囲に目を光らせている。こないだはついに、ワンルームの部屋に監視カメラを設置された。


 そのくらい、彼女は僕を愛してくれている……んだろうけれど、でも少しは信頼してくれてもいいんじゃないかな、とも思う。


 ええ、思うだけです。怖くてとても言えません。



 ちなみに『ペン田ペン子』とは、名前の通りペンギンのようなそうでないような、でもやっぱりペンギンのような、所謂『ゆるキャラ』というやつである。


 見た目は、はっきり言って不細工。発泡スチロールにピンクのボアを適当に貼り付けただけの安っぽい体に、あちこち違う方向を向いた目、そして女の子という設定なのに二メートルを超えるビッグサイズという、可愛さなど欠片もない不気味なきぐるみだ。


 しかし、パフォーマンスがものすごい。彼氏である色違いのきぐるみ・ペン太くんに、やれ他の女に心変わりしただの、やれ今別の女を見てただろなどと難癖を付け、ブンブン振り回してポイポイ放り投げてバシバシ受け止めるのだ。


 体格から考えて、このカップルぐるみの中にはどちらも男性が入っているようだけれど――ペン子ちゃんの腕力は凄まじく、ショーのラストまで一切の疲れを見せず、余裕でペン太くんをブンブンポイポイバシバシする。中の人は、恐らくプロレスラーか何かだと噂されているものの、詳細は不明だ。


 この『ペン子の狂愛乱舞』と呼ばれるパフォーマンスの動画を見付けてからというもの、僕はすっかりどハマりし――というよりペン太に己を重ねてしまって、愛し合う二人、いや二匹を応援するようになった。



 だって、僕もペン太と同じく、嫉妬深い彼女に翻弄され、ブンブンポイポイバシバシされる激弱彼氏だから。



 世間はペン子推しが多いけれど、僕は断然ペン太推し。


 一緒に頑張ろうぜ! って、いつか励ましの言葉を届けてあげるのが、密かな夢だったりする。



「ペン子、すっごいね! あの強さと逞しさ、あたしも見習いたい!」



 動画を観終えたハルカが、氷が溶けて薄まったアイスティーを口にしながら興奮気味にとんでもないことを宣った。


 いや、見習う必要ないよ! 十分ペン子要素に満ち溢れてるよ!


「頭割れて流血してるのに、それでも彼氏への愛に奮闘するなんて……カッコイイなぁ」


 頭割れてるんじゃなくて、それ多分リボンだよ。ボアの上から適当に塗っただけみたいから、動画じゃわかりにくいのも仕方ないけど。


 って、憧れるんじゃない! リスペクトするあまり、僕まで投げかねないぞ!?


 こ、ここは何とかして、目を覚まさせなきゃ!!



「ぼ! 僕は! ペン子より、ハルカの方が百倍も千倍も億倍も可愛いと思うし! 今のままのハルカが好きどにょっ!?」



 …………舌噛んだ。こんな時に。泣きたい。



 言い慣れないこと口にするもんじゃないなぁ……と恥ずかしさに俯いていたら、頭がもふんとした柔らかな感触に包まれた。



「…………もうっ、リョウくんのバカバカ! 嬉しすぎて死んじゃうかと思ったじゃん! リョウくんの方が可愛いよ! ペン子なんかより何兆倍も何京倍も、恒河沙ごうがしゃ阿僧祇あそうぎ那由多なゆた不可思議ふかしぎ超えて無量大数倍も! あたしも大好き! リョウくんのこと、死ぬほど大好きっ!!」



 何と! 席を立ったハルカが、僕の頭を胸に抱え込むようにして抱き締めているではないか!



 ひええ! オパーイがポヨーンのムニューンでヤバーイ!!



 ハルカパイで包み焼きにされ、自分でもわかるくらい赤く焼き上がった顔を上げてあたふたと周りを見遣れば、店内にいる人の殆どがこちらを見ている。


 面白可笑しそうにニヤついていたり、物珍しげに目を輝かせていたり、呆れたような顔をしていたり、リア充爆発しろとでも言いたそうに苛立った表情をしていたり………様々ではあったけれど、僕の目には客や店員以上におかしなモノがたくさん映っていた。



 ひたすら床を這いずり回る女。

 テーブルの下でとぐろを巻く大きな蛇。

 ふよふよと店内を漂う、幾つもの白い塊。


 極めつけは、センスの良いシーリングファンが取り付けられたウッド調の天井にギラつく、無数の目。


 ハルカが穴場だと言っていたように、他のカフェに引けを取らないくらいオシャレなお店にも関わらず、それほど客が多くないのは、このせいだ。


 残念ながら、このカフェは長く保たないだろう。これだけ『集まって』るんだから。



 僕、結城リョウは、『普通の人には見えないモノ』が見える。



 そして、天使のように可愛くて、異性だけでなく同性からも羨望を集めるほど非の打ち所がない……と見せ掛け、実は異常なまでに嫉妬深い、超束縛気質な恋人がいる。



 地味で陰気で顔も頭脳も体力も人並み以下、下手すると幽霊より存在感皆無な僕にとって、この二点だけが他の人とは異なる――僕を僕たらしめる、僕だけの個性なのである。

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