歩きスマホにご用心(結)
翌朝。
目が覚めると、ハルカが至近距離から顔を見つめていて、僕はまた失神しかけた。
曰く『リョウくんの寝顔が可愛くて目が離せなかった』とのこと。
「ま、まさか、泊まったの!? お家の人には連絡した!? ていうか、ずっと起きてたの!?」
「リョウくん、いきなり気を失っちゃったでしょ? だから心配で泊まったの。リョウくんのケータイ借りて連絡したけど、ママもパパも、リョウくんのところにいるなら大丈夫って安心してたよ。あたしもちゃんと寝たから大丈夫! 最初はドキドキしすぎて心臓破裂して死ぬかもって不安だったけど、リョウくん抱っこしてたらすご〜く気持ちが落ち着いて、自分のベッドよりぐっすり眠れた!」
焦り狂う僕とは裏腹に、ハルカはあっけらかんと答えた。
良かった……ご両親、僕のこと信頼してくれてるんだ。特にお父上はすごく見た目が怖いから、毎朝迎えに行く時も『娘はやらん!』って殴られるんじゃないかっていつも冷や汗ダラダラだったんだよ。
ってナヌ!? 抱っこ!?
だだだ抱っこって……一つベッドで一緒に寝ちゃったって、そういうこと!?
ひょおぉぉぉ! 知らない間に初めての添い寝を経験してしまったよぉぉう!!
「あ、朝ご飯、用意しといたよ。あんまり材料なかったから、大したものはできなかったけど。今、お味噌汁温めるね!」
あわあわするばかりの僕にそう言って、ハルカはキッチンに向かっていった。寝る時に着替えたらしく、彼女は僕のパジャマを身につけている。
女の子が華奢な体に男物の衣類をぶかっと着ると、何でこんなに可愛いんだろう。
背中に落ちるちょっと乱れた長い髪が、更にセクスィーさをプラス。
何だ、この可愛いとセクスィーの最強融合体は! ふおお、眼福すぎて拝みたくなってきたぞ!
「……リョウくん、何してるの?」
お味噌汁を盛り付けて振り向いたハルカが、手を合わせている僕を見て、キョトンとした顔で不思議そうに尋ねる。
ここで素直に『可愛くて萌え滾ってた』って言えばいいのに、
「あ、こ、これは……バストアップ体操、だよ……。夏に向けて、美ボディ目指してるんだ……」
などとしょうもない返事をしてしまうのが、僕というダメ彼氏なのである。
向かい合って朝食を食べながら、新婚さんみたいだなぁと浮足立つ気持ちをおさえつつ、僕はハルカから昨夜の出来事を聞いた。
昨夜、連絡が急に途絶えたのは、スマホを壊されてしまったからなんだそうな。
「カラオケの時にトイレに行こうとしたら、四年生の……名前は忘れたけど、高見先輩の彼女だとかいう人に外に連れ出されてね、彼氏に色目使うなとか、ずっとケータイ見てるのはこっそり連絡取り合ってるからだろとか何とか言いがかり付けてきて、持ってたケータイ奪われて叩き割られたんだ。見てこれ、ひどくない?」
バッグから取り出されたスマホは、液晶がバキバキに割れていて、背面の内蔵電池部分まで歪んでいた。
うわぁ……女の嫉妬って怖い。
程良い固さに炊き上がった白米を噛み締めながら、僕は身震いした。
「もーホントムカついて、シメて詫び入れさせてやろうと思ったんだけど、その前に高見先輩が飛び込んできたの。で、誤解だって伝えてくれるのかと思ったら、彼女さんに『お前と付き合った覚えなんかない、恋人面するな』って言うんだよ。どうやら彼女じゃなくて、自称彼女だったみたい。ストーカーって怖いねぇ」
う〜ん、多分そうじゃないと思う。
想像になるけど、高見先輩はその彼女さんと本当に付き合ってたんじゃないかな。でもハルカに心変わりしてしまったから、相手の一方通行だってことにして、突き放した……ってのが正解のような気がする。
ランチで会った時、やたら彼女いないこと強調してたのも妙に引っ掛かってたんだ。ハルカに嘘がバレないように振ったんだろうけど、バレなきゃ二股狙いだったのかも。
以上、モテない男の僻みに満ちた推理でした。
ん? さらりとシメるとか言わなかった?
言ったよな……いやでも、うん、聞かなかったことにしよう!
半熟の目玉焼きと同時に、僕は『シメるとは何ですか? 何をなさるおつもりだったのですか?』という質問も飲み込んだ。
「それでその自称彼女さん、泣きながら逃げてったから、あたしも急いで後を追いかけようとしたんだ。やられっ放しじゃ気が済まないし、高見先輩と二人きりになるなってリョウくんに言われてたし。なのに……無理矢理、引き止められて」
「ふ、二人きりになっちゃったの!? だ、大丈夫だった!? 変なことされてない!? 怖い思いしなかった!?」
あの男に纏わりつくおぞましいモノの姿が脳裏に蘇り、僕は身を乗り出してハルカに問い質した。
ハルカは小さく頷き、俯いたまま低く漏らした。
「恋人として付き合ってほしいって言われたから、丁寧にお断りしたの。なのにあの野郎、こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって…………クソゴミの分際で、悔し紛れに事もあろうか、リョウくんのことディスったんだよ」
『あんなつまらない男のどこがいいんだ』
先輩が放ったのは、何とも陳腐な捨て台詞。それでもその言葉は、僕という存在を知ってから高見先輩がずっと抱いてきた、偽りない本音だったんだろう。
しかしハルカにとっては、逆鱗の中の超逆鱗をピンポイントでツボ押しされたも同然だったようで――――『二度とそんななめくさった口が聞けないように徹底的にシメたった』そうな。
詳しく聞くのはやめておいた。だって、どう考えたって怖いことしたに決まってるもん。
それからハルカはまだ残っていた教授や先輩達にお先に失礼しますと挨拶をして、カラオケ店を出て――。
「家に帰る前に、いつもみたいにリョウくんの寝顔見に来たんだ。毎日、一時間は眺めないとリョウくん成分不足で眠れなくなっちゃうから」
「待って、いつもみたくって何? 毎日って……え!? 毎日来てたの!?」
「もちろん。外で電気が消えるのを確認したら暫く待ってから侵入して、じっくりゆっくりまったり寝顔見て帰るの。リョウくんに合鍵もらってから、毎日欠かさずやってるよ」
ぎええええ! マジかマジかマジかマジか!!
「ダダダダダメだよ、そんなことしちゃ! プライバシーの侵害じゃん!」
「リョウくんはあたしのものなんだから、プライバシーもあたしのものでしょ。リョウくんも、あたしの寝顔見に来ればいいよ!」
「え、行っていいの? ……じゃなくて! ええとそのあの、ああそう! そんな遅い時間に女の子が一人でウロウロしてたら危ないってば!」
「危なくないよぅ。一人じゃないもん。ちゃんとパパが付いてきてくれるし」
は……?
パパって……パパパパパパーー!?
あの無口で無愛想で、巨体で強面で、元・格闘家で現・建設会社社長だっていう、
そりゃ挨拶しても、目も合わせてくれないよね……。
娘の特殊性癖に毎晩付き合わされてたんだもん、僕のこと嫌っても仕方ないよね……。
いつか殴られるどころか、いずれ殺されるフラグがいつのまにか立ってましたーーーー!!
「お、お父様にまでご迷惑かけるなんて、余計ダメだよ! 寝てる間に忍び込むのは禁止! 起きてる時ならいつ来てもいいから、ね?」
何とかフラグを回避しようと、僕は説得を試みた――のだが。
「迷惑なわけないじゃん。パパ、大喜びで付き合ってくれるもん。パパもリョウくんのこと、大好きだからさ」
「へ……? パパも、リョウくん大好き……?」
思わぬ言葉にオウム返しした僕に、ハルカは元気いっぱい頷いた。
「パパね、リョウくんが可愛すぎて顔も見られないんだって。本当はお話ししたくて堪らないんだけど、恥ずかしくてできないの。毎朝リョウくんが来るの、ソワソワワクワクニヤニヤして待ってるんだよ」
ウソ……あれ、照れ隠しだったの? 僕の方はビクビクドキドキヒヤヒヤで超怖かったんですけど。
「だからね、本当は一緒に部屋に行きたいってうるさいんだけど、合鍵はあたしのものだし、リョウくんはあたしのものだし、生寝顔もあたしのものだから、写真で我慢してもらってるの」
写真て! 勝手に撮影までしてたんかい!
「写真でも満足してるみたいよ。毎回可愛い可愛いってデレデレして、お気に入りをケータイの待ち受けにしてるもん。いつかはやっぱり、生寝顔を見たいって言ってるけどね!」
ねえ! 何なの、その公開羞恥プレイ!!
「あ、ママはお留守番だけど、だからってリョウくんが嫌いなんじゃないよ? 心配しなくても、ママもリョウくん大好きだからね? ただママは仕事柄、妄想の方に走るから、生身は畏れ多すぎるんだって。家で待ってる間、リョウくんをモデルに絵を描いて萌えを昇華してるよ。玄関にも飾ってあるでしょ? 気付かなかった?」
いつも清らかな笑顔で出迎えてくれる、ハルカによく似た美人ママ………美しすぎるイラストレーター、芳埜レイさん! あなたまで、何してらっしゃるの!?
僕、密かにあなたの画集全部買うほどのファンだったんですよおおお!?
ていうか、芳埜家の皆様は何でそんなに僕を愛でるの!?
芳埜の血が流れてると、僕が可愛く見える呪いにでもかかってるの!?
「それにしても、昨日は変な女に襲われる前に間に合って良かったぁ。何だか、急がなきゃいけない予感がして、走って来たんだよね。のんびり歩いて向かってたら、リョウくん今頃、お婿に行けない体にされてたかも……やだやだ! 想像したくもない! ホンット、モテすぎる彼氏って心が休まる暇がないよぅ……これからは部屋に監視カメラ付けなきゃ。ケータイ換えるついでにチェックしてこよ」
ついに監視カメラ設置されちゃうのか……拒否権はないんだろうなぁ。
僕はもう諦めることにして、豆腐の味噌汁を飲み干した。
予感、とハルカは言っていたけれど、あの『親衛隊』の誰かが伝えたに違いない。昨夜、生首が逃げようとした時のように。
――――芳埜ハルカには、百を超えるオスゴリラの守護霊が憑いている。
本人は、彼らの存在にすら気付いていない。
彼らが働きかけると感知できるみたいけれど、彼女はそれを『勘』だと受け止めている。
霊感がない、俗に言う零感であるはずの彼女に、何故あの女の霊が見えたのかというと――それは、僕のせいだ。
僕のこの能力は、側にいる人にも少なからず影響を与えてしまう。
だから僕は、誰かと関わることを拒絶してきた。ハルカに出会うまで、ずっと。
自分の意志とは関係なく、周りをも巻き込んでしまうほどの力を持つ僕だけど、しかし彼女に憑くゴリラ達の姿は、普段捉えることができない。恐らく、僕の力など及ばないくらい高レベルの霊なのだろう。
彼らは皆、彼女を愛する同志だ。
その愛は、高見先輩に憑いていた女達のような『自分だけのものにしたい』という利己的なものではなく、例えるならアイドル、いや神仏に向ける崇拝に近い。
ゴリラ達は、ただ守りたいのだ。
絶世の美貌で数多のゴリラを魅了した伝説のメスゴリラを。
数々の求愛を退け、誰とも添い遂げることなく悲恋の末に非業の死を遂げた彼女を。
その生まれ変わりである芳埜ハルカを――――今度こそ幸せにするために。
「じゃあたし、家に帰るね。そのままケータイ交換に行くから、午前の講義、ノートお願いしていいかな?」
「うん、任せて。家まで送らなくて大丈夫?」
「送ってもらったら、学校遅れちゃうでしょ。昨日みたいにゲームなんてしないで、ちゃんと講義受けるんだよ? またやったら本気で怒るからね?」
「は、はい……真面目に勉強します……」
パジャマを脱ぐ時は名残惜しげにしていたけれど、自分の服に着替えるとハルカはてきぱきと後片付けをして、僕の支度まで手伝ってくれた。
ハルカがその辺の束縛女と違うのは、こんな時に『学校休んで一緒に付いて来てくれなきゃヤダヤダ』『あたしの側にずっといてくれなきゃイヤイヤ』といった自己中心的でこちらの都合を無視したワガママを言わない点だ。
それは、いつだって僕のことを真剣に思ってくれているから。
ハルカのこういうところ、本当に好きだな……と思ったら、逆に僕の方が彼女と離れるのが苦しくなった。
「あ、あの……ハルカ!」
「ん、なぁに?」
パンプスを履き終えたハルカが、玄関口で佇む僕を振り向く。
「えっと、いつ頃大学に戻る……のかな?」
「ショップの混み具合にもよるけど、多分、お昼には戻れると思うよ?」
「そ、そっか。うん、わかった。じゃ、気を付けて……」
僕のバカバカ!
寄り道しないで出来るだけ早く戻ってきて、ってそれだけのことが何で言えないんだ!
早く会いたい、離れたくないって……うう、言いたいけど言えないよ! 恥ずかしくて!!
もごもごと口ごもる僕に、ハルカは軽く爪先立ちして頭をポンポンと叩き、にっこりと笑った。
「なるべく急いで戻るね。リョウくんに、早く会いたいから」
眩しすぎる笑顔と心を読まれたかのような台詞に、僕のトキメキ☆キュンキュン度は一気に上昇して――。
その時、ドン、と背中が押された。
えっ、と声を上げる間もなく――――前のめりに蹌踉めいた僕のくちびるが、ハルカのそれに触れた。
オホゥホゥホゥ! ウホッホホホーウ!
背後から、けたたましい歓声が轟く。
慌てて振り返ると、ゴリラ達が手を叩いて跳ね回っていた。
こ、こいつら……何てことを!!
「……ウソ。キス、しちゃった。あたしの……ファーストキス…………」
ハルカの小さな声が耳を打つ。
絞り出すように奏でられたそれは震えて、潤みを帯びていて……やばい!
ハルカの大切なファーストキスを、奪ってしまった!
僕のファーストキスを、否応なしに与えてしまった!
人生初の記念すべき瞬間は、ドラマチックかつロマンチックなムードを演出した上で実行したいと思ってたのに!
それがよもやのまさか……ゴリラにウホーイと押されてブチかましてしまうなんて!!
どうしようどうしようどうしよう!?
引かれちゃう嫌われちゃう泣かれちゃう!!
「いや、これは、その、違……ごめ、あの……」
言い訳したいし謝りたいし慰めたいしで様々な思いが氾濫して言葉にならず、わたわたあわあわ、へんてこな踊りみたいに手足をバタつかせていたら――――俯いて震えていたハルカが突然、思い切り抱き着いてきた!
「どうしよう、死ぬほど嬉しい! リョウくんとのファーストキス、ずっと夢だったの!!」
彼女が飛び込んできた勢いが強すぎて、僕はみっともなく尻餅を付いて仰向けに倒れてしまった。
「えへへ、リョウくんからしてくれたから……あたしの方からも」
押し倒したような体勢で、真上から僕を見下ろしていたハルカの顔が、そっと近付く。
長い睫毛を伏せた彼女は、これまで見たことないくらい色っぽくて艶っぽくて、見惚れている内に焦点が合わなくなって――――そしてくちびるに、柔らかな感触が落ちた。
と同時に、僕の意識も落ちた。
情けないことに、感極まりすぎて気を失ったのだ。
最後に聞こえたのは、間近で耳にする彼女の甘い吐息――――をかき消すほど大音量の、ゴリラ達が放つ興奮に満ち満ちた勇ましい雄叫びだった。
四月十八日、午前七時四十五分。
ゴリラ達に盛大に祝福された、僕達のファーストキス記念日。
でも次こそは、僕の意思で僕のタイミングで、僕の方からキスしたいな。
――――できれば、ゴリラ抜きで。
その後、僕の大学の周辺では、白い服を着て赤い靴を履いた女性の霊がよく目撃されていた……というような都市伝説じみた話を聞きました。
死んだことに気付いていないのだとか、道連れが欲しくて彷徨っているのだとか、いろいろ囁かれていたみたいですが、最近はさっぱり現れなくなったそうです。
ちなみに高見先輩は、あの新歓コンパの後、すぐに学校を辞めたと耳にしました。
噂では、強度の女性恐怖症に陥り、外出するのも困難になったとか何とか。
退学してからは彼が女性関係でいろいろと問題を起こしていたことが発覚したらしく、『捨てた女の呪いだ』『嫉妬した男の生霊のせいだ』『ヤクザの女に手を出して拷問されたんだ』などと様々な憶測が囁かれています。けれど、真相は不明です。
彼に何があったのか、彼が何をされたのか、僕も知りません。知りたくありません。
【歩きスマホにご用心】了
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