*その値にある願い

 ──朝になり森に入ると、真っ直ぐな木々が乱立し薄暗い空間を作り出していた。

 その一本一本が太く、頑丈でヴァラオム程度のドラゴンでは炎のブレスで燃やす事は出来ても、簡単に折り倒せそうにはない。

「うぬ。これでは空からも見えぬな」

 立ち並ぶ木々の間は狭くもなく広くもなく。ドラゴンに戻って飛ぶには、いささか難儀であるため狩りは人の姿で協力する事となった。

「前に鹿がいる」

「どこに」

 何も見えぬと目を凝らす。すると、暗がりに小さな影がぽつんとあったではないか。よくもあの距離で見えたものだ。

 シレアは弓を持ち、慎重に足を進める。そういえば、彼の弓は見慣れない質感をしておる。

 長さも短めだと感じるも、おそらく素材が普通のものではないのだろう。装飾も塗りも施されてはいないが、見事な造りである。

 見た目の風合いからして、希少な木材とつるを使っているのではないだろうか。確かエルドシータが暮らす地域には、特別な木があったと記憶している。

「右から牽制してくれ」

「了解した」

 大きく右に迂回する。鹿は立派な角を持つ雄だ。ここで仕留めねば、腹一杯の肉を食べるという我の願いが果たされぬ。

 我の威光で鹿をひざまずかせる事は可能であるがしかし、それではシレアの旅の邪魔になってしまう。

 我は、あくまでも旅の道連れなのだ。シレアもそのつもりで我に我が儘など一切、申す事もない。

 そうは言えども、我のしたい事のために破らねばならぬときは躊躇わずに破ろうぞ。人の規則に縛られる我ではない。

 背の低い木の草をのんびりと食んでおった牡鹿は、我の小さな足音に即座にこうべをもたげて、周囲の気配を探り出した。

 そのときを狙い、シレアの放った矢が牡鹿の心の臓を貫く。驚きと衝撃、激しい痛みに悲痛な鳴き声を上げて牡鹿はぱたりと地面に倒れた。

「見事なり」

 足早に駆け寄ったシレアは我を一瞥してナイフを取り出し、牡鹿の死体に手を添えてひと言ふた言を呟きすぐさま解体を始めた。

 素早く血抜きをすれば肉は臭みもなく、干し肉にすればさぞ美味かろう。

 シレアが解体の前に呟いたのは、殺したものに対する敬意と弔いの言葉だ。その体を受け取り、食べる事で生かされる。つまりは、命とこの世界への感謝である。

 エルドシータならではの小さな儀式だ。

[さあ、早う我に肉を]

「よくも言う」

 シレアが切り取った後ろ足を掴み上げ、骨ごとかみ砕く。久方ぶりの味わいに、我の手が止まらぬ。

 あっという間に食べきり、もう一つの後ろ足を見下ろした。

「まだ食う気か」

[当然であろう]

 鼻を鳴らす我にもう片足を差し出し、次に首を切り取る。

「頭もどうだ」

[おお、かたじけない。脳みそは格別に美味いのだ]

「角は」

[流石にそれは食えぬ]

「角も鹿の一部だろうに」

[そなた。解っていて我にいやがらせをしておるのか]

「そうだ」

 なんという物言いか。これが数千年を生きる我に対する態度なのかと呆れるばかりだ。

[それをどうするのだ]

「高く売れる」

[そうであるか]

 鹿の角は装飾品によく使われる。ペンダントトップだけでなくナイフの柄や、大きな角ならその鞘にもなる。

 見事なレリーフには惚れ惚れするけれども、ドワーフの技術には遠く及ばぬ。

 背は低く酒好きで女にも髭が生えておる豪快な性格なれど、その手さばきは繊細でエルフとはまた違った美しい物を作り上げる。

 この二つの種族が造ったものには、作成の過程で念を込めれば込めるほどに自然と魔力が宿る。

 我はどの種族の装飾品も好みである。

 肉を切り分けたシレアはカルクカンを呼び寄せ、清潔な布で肉をくるみソーズワースの背に乗せる。

 草原に出てシレアは早速、集めた小枝をまとめて火を灯す。それから岩をまな板代わりに食事の準備を始めた。

「鹿鍋か」

「まだ食うのか」

「そなたの料理は別腹である」

「ドラゴンからそんな言葉が聞かれるとはな」

 手際よく鍋に食材が入れられていく。なんとも良い匂いが立ちこめてきたではないか。残りの肉は干すために平たく成形し、塩をまぶして網を広げそこに肉を並べておる。

 我はふと、弓に目を留めた。

「それは、そなたらの弓か。材質は」

「エルディリアウッドだ」

「やはりそうであったか。つるは」

「光り蜘蛛の糸を編んで作った」

「なんと!」

 洞窟に棲む、ほのかに光る蜘蛛の糸を編み込んでおるのか。あやつの糸は一本でも強靱で人間の子どもを浮かせるほどだ。

 しかし排出される量は少なく、見つけるのも困難である。

 エルディリアウッドも辺境の一部でしか生えておらぬ。広葉樹で地に広く根を張り、春には白い花を咲かせる。

 山のようにとても大きくなる木だ。木材にしたならば湿気に強く耐久性に優れ柔軟である。

 エルドシータは年に一度、大きくなった枝だけを幾本か切り落とすと聞いた事がある。木を絶やさないための良い方法だ。

 彼らは本当に自然と共に生きておる。

「言い伝えでは、過去に大きな過ちを犯したとある」

「ほほう」

 二千年ほど昔、辺境には大きな森があった。周囲には二つほど別の集落があり、常に小競り合いを起こしていた。

 それは森の所有権争いにまで発展し、気がつけば森は炎に包まれていた。

「それはどういう事か」

「三つの集落のうち、一つは弱かった」

 勝てないことを知っている彼らは、奪われるくらいならばと森に火を放った。

「精霊が棲むという森は全て焼き払われ、元には戻らなかった」

「人間の醜い業により、精霊が死んだのだろう」

 なんと嘆かわしい事か。

「後悔するのも遅すぎた」

 大きすぎる罪に耐えかねて、二つの集落はどこかへ移り住み、エルドシータの集落だけが残った。

「いくばくかの心痛か計り知れぬな」

 それでも残ったのは何故なのか。

「彼らはそれを恥とするのではなく、教訓とした」

 過ちから学ばなければ、なんのための失敗なのか。逃げていい過ちばかりではない。我らは試されている。

「そうして、今のエルドシータがある」

「それでこそである」

「失敗しなければ次に進めないというのは、未熟な種族の証か」

「そなたはどう思う」

「解らない」

 エルフもドワーフもそれを繰り返して今があるのか、それとも──

「難しきところよの」

 ロデュウだけでなくエルフ、ドワーフも繁栄の終わりに差し掛かっている。それらを受け継ぐのは、紛れもなく人間だ。

「人間は果たして、受け継ぐに値する存在なのか」

「それは誰にも解らぬ」

 時間だけが、結果を知る事となる。

「そうであることを、私は願っている」

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