ギャル逢坂姫子の声探し

多来明日

進路始動

「……」

 来たか。

 がらっと音がして進路指導室の扉が開かれて、ひとりの女子生徒がけだるそうに入ってきた。髪は金色に染め上げて、ゆるくふわりとしたパーマをあてている。制服は着崩しておりだらしない。

 こう見えてもあたし忙しいんだよね。わざわざこんなところに呼び出さないんでほしんですけど?

 声にはださずとも教師を睨む目が存外にそう語っていた。

「まあ、いいから座れ、逢坂」

 逢坂と呼ばれた少女は渋々といった風にして、椅子に腰かけると足を組んで投げ出した。

 若い男の教師はそんな横柄な態度をとる逢坂に注意をしなかった。明らかな挑発に乗ることはない。

「逢坂、お前ももう三年だ。将来のことは考えているのか?」

 ふっ、と小馬鹿にするように彼女は笑った。そして、さあ? と肩をすくめてみせる。その態度には自暴自棄という言葉が連想させる。

 だんっ! 教師はいきなり机を大きく叩くと立ち上がった。

「自分のことだろ! もっと真剣になれ!」

「うっせーな! あんたには関係ないだろ。このナス頭野郎」

 負けじと逢坂も立ち上がり片手をついて怒鳴り返す。

 教師は一瞬ふやけた表情を浮かべた。

 いかんいかんと首を振るとふーっと長い息を吐いた。

「お前の家庭環境のことは調べさせてもらった」

「てめぇ、何勝手なことしてんだよっ! プライバシーの侵害だ!」

「担任教師の特権だ」

「ちくしょう」

「逢坂、お前の両親は離婚して今はお母さんと暮らしているらしいな。離婚の原因は、親父さんの電車での痴漢。冤罪を訴えっているが、なかなか難しいようだ」

「うるせー! 知った風な口をきいてんじゃねー!」

 憤慨すると、目つきをギラつかせて逢坂は教師のネクタイをつかんで引き寄せた。

「もうこれ以上、話すことなんて何もねえ。あたしに構うなクソ玖珂」

 玖珂と呼ばれた教師は怯むことなく、逢坂の燃えるような瞳をみつめた。

 玖珂は打ち震えた。そして、意を決したように静かに切り出した。

「俺には夢がある」

「はあっ!? 唐突になんだ」

「今は国語の教師なんてやっているが、本当はもっとやりたいことがあるんだ」

「あーそうかい。だから何? 勝手にやれば」

 逢坂は玖珂を突き放した。玖珂がネクタイをきゅきゅっとゆるめる。

「小説家になることが俺の夢だ。いや違うな、小説家になってその作品がアニメ化されるまでが夢だな」

 ぷっ。あはははははっ! 逢坂はバカにして笑った。

「小説家? アニメ? お前こそ現実を見たほうがいいんじゃないのかよ」

「たしかにそうかもな。学生の頃から作品を送り続けているが最終選考にすら残ったことないよ」

「才能がないんじゃねえのかよ。だいたいお前の夢がなんだって――」

「本題はここからだ。お前には才能がある!」

 玖珂は逢坂の言葉をさえぎった。

「さ……才能? 本すらろくに読まないあたしに小説なんてかけるわけないだろ」

「ちがうっ!」

 いきなりの怒声に逢坂はびくりと身体を震わせた。

「……じゃあなんだってんだよ」

「お前の才能は――その声だ!」

 メガネのふちをあげながら、ずびしィと逢坂の口を指した。。

「逢坂、お前さっきから随分と威勢いいが、そんな甲高いアニメ声だと全然怖くないぞ」

「くっ……人が気にしていることを」

 逢坂姫子にはコンプレックスがあった。それは可愛らしい名前と、声。格好はギャルでも声がアニメっぽいので、すごんでみても相手に笑われてしまうのだ。

 だから姫子は極力喋らずに、磨き上げた鋭い眼光で相手を威嚇したりするのだった。おかげで目つきは、睨むだけで人を殺せるレベルにまで達している。

 玖珂は熱っぽく語りかける。

「逢坂、お前声優を目指してみないか? お前なら絶対になれる」

「はぁ!? 声優だって? マジありえねーし」

 青天の霹靂。逢坂にとって考えたこともない職業だった。

「離婚したお前の親父さん、アニメの原画をやっていたんだってな。声優をやっていればいつかあえるかもしれないぞ」

「変態親父には何の未練もねーよ」

 逢坂はふいっとそっぽを向いた。

 玖珂はどこからか持ち出してきた、紙の束を机に広げた。

「養成所や専門学校の資料だ。見てみないか」

「だから興味ないっつーの」

 表紙にはアニメキャラやら、マイクに向かって声を出している女の娘の写真が載っている。

 逢坂はひとつをつかみあげるとぼんやりと眺め、鼻で笑うと机の上へと投げ捨てた。

 逢坂はため息をついた。

「だいたい声優になりたいやつなんてごまんといるんじゃねえの? そんな中であたしなんかが通用するなんて思えないな」

「それは違うぞ!」

 玖珂は熱く反論するとがしりと逢坂の肩をつかんだ。突然のことにさすがの逢坂も目を丸くして動けないでいる。

「確かに声優志望者は年々増加傾向にある。声優として仕事できている人は一万人。しかし、苛烈な競争で生き残れるのは一握りだ。たったの三百人程度しかいないといわれている。声優の世界もプロだからその辺はシビアだ。生き残れないのは唯一無二の武器がないからに他ならない。逢坂、お前にはその独特の声が強力な武器になってくれるんだよ。週に三十本もアニメを観ている俺が言うのだから間違いない。十年にひとりの逸材なんだよ! お前が声優にならないのは声優業界の大きな損失にもなりかねん!」

 一気にまくしてたてられて固まっていた逢坂は、正気を取り戻すと声を絞り出す。

「十年にひとりの逸材なんて野球なんかでゴロゴロ出ているだろ。それにあたしはこの声が嫌いなんだ。半端な覚悟でなれるほど声優ってのも甘くはないんだろ?」

 うぐっ。はじめて玖珂はひるんだ。

 メガネをくいっと持ち上げると声のトーンを低くして言う。

「アニメは嫌いか?」

「ああ、最近は観たこともないね」

「そうか……」

 玖珂はうつむいた。しかし、次の瞬間がばりと顔を上げると叫んだ。

「先入観がなくていいじゃないか。お前のとろけんばかりのロリボイスを全国のアニメファンが待っているぞ」

「そ、そんなわけねーだろ気持ち悪い」

 罵倒されて玖珂はぷるぷると震えて逢坂に抱きついた。

「良いッ! もっと罵ってくれ!」

 突き放して床に転ばせるとゲシゲシと蹴りを入れる逢坂。

「くっ、このセクハラ教師死ね!」

「ふぉおおおおおおおお! そこはしんじゃえと言ってくれェ!」

 うぐぐぐっ。何を言ってもきかない玖珂に逢坂は悶絶した。

 はぁはぁ。興奮で荒くなった息を整えながら玖珂が立ちあがる。

「成績も低い、素行も悪い、お前が輝けるのは声優といった声の仕事だと思うんだよな。いくつかある資料を持って帰って、すこし読んでみてくれないか」

 お願いだから頼むと玖珂は泣きついた。

「ちっ……あーもうわかったよ。あとで読めばいいんだろ、読めば」

 ばさりと資料の束を手に取ると、話は終わりだとばかりに逢坂は立ち上がった。

「でも声優なんて絶対にならないからな。じゃあな」

 部屋を出て行く逢坂の背中に玖珂は声をかける。

「いつか俺の書いた作品がアニメになったら声優のオファー出すからな」

うぜぇ。ドアをぴしゃりと乱暴に閉める音がして部屋は静寂に包まれた。

「よし! 俺も小説家目指してがんばらないとな」


 逢坂は夕飯を食べ、風呂に入ると、自宅のベッドに寝そべった。

 昼間の出来事を思い返す。

 何の話かと思ったら、まさか声優を目指せなんていうなんてな。本当に変わった奴だ玖珂は。

 くくくっ……あははっ!

 臆面もなく夢を語りだす先生なんていまどきいるのかよ。熱血かよ。

 あいつの一生懸命な顔、おもしろかったな。

 逢坂はひとしきり笑った。

 部屋の机の上には声優になるための学校やらの資料が乱雑におかれている。

 何気ない仕草で、その中からひとつを手にとった。

『夢を現実に! 就職率九十%越えの高い就職率』

『実際のプロが教える声優講座。君の声が世界を待っている』

 ぱらぱらとめくると、過剰とも思える宣伝文句が並んでいる。

 現実とはまるでちがう、きらきらとした異世界のようだ。

 ふー。数ページみただけで放り投げてしまった。

「親父ともあえるかもしれないか……」

 痴漢の冤罪を訴えた親父だったが世間の目は冷たかった。親父は迷惑がかかるからと、自分から家を出て行った。腕利きのアニメーターだったから、職にあぶれているとは思はないが、今もどこかで冤罪と戦っているのだろう。

 逢坂自身もあの親父が痴漢なんてやっていないと信じている。

 逢坂は枕に顔をうずめてか細い声をあげた。

「だったらなんで家を出て行ったんだよ……」

 堂々としていてほしかった。

 中学のときの同級生からは、痴漢の娘としてからかわれ辛い日々も過ごした。

 偏見なくつきあってくれる友達はギャルだった。

 逢坂はその友達に救われて自身もギャルになり身を守ってきた。

 声優になってアニメの現場で親父と出くわすことなんて本当にあるのだろうか。

 ぶんぶんと頭を振る。そんなことあるわけない。

 しかし、子供の頃からコンプレックスだった声を褒められたのは親父以外では、はじめての経験だった。

 背格好と声のイメージがちがうせいでぎょっとする人間は数知れず。もうあんな思いをするのは嫌だ。

「バカバカしい。もう寝よ」

 逢坂は思考を放棄して眠りについた。


 玖珂の勧誘は日増しに鬱陶しくなった。隙あらばどこでも勧誘を仕掛けてくる有様だった。

「ああっもう! しつこい! 殺すぞ!」

「いいぞ、その声でもっとなじってくれ……じゃない、話を聞いてくれよ逢坂!」

「……っ」

 逢坂もいい加減根負けしてしまった。

「ああっもう! わかったよ一校だけ受けてやるよ。どうせ落ちると思うけどな」

「よっしゃああ! 先生、全面バックアップするからな。任せろ!」



 こうして高三の夏にあたしの志望先は、半ば無理やり声優にさせられた。養成所の面接で、自己紹介の挨拶をしただけでどよめかれた。その後、どうしてなりたいかなどと定番の質問をさせられたが、先生に進められて仕方なくと定番でない答えを返した。服装についてもきかれたが、これが普段の格好だと答えた。

 面接官はうむむと唸ったり、これはこれでギャップがあっておもしろいかもなどと言っていた。だるぃ。どうでもいいからはやく終わらせてほしかった。


「姫子、あんたに手紙がきているわよ」

 後日。合否の連絡が来ていた。逢坂はその瞬間まですっかり忘れていた。どうせ不合格だろうと思って開けたら、なんと合格通知だった。

 こうして逢坂は高校を出てから養成所で声優のいろはを学ぶことになった。



 それから五年。

「よっ、見違えたな」

「先生は変わりないですね。その節はお世話になりました」

「ふふっ。随分と殊勝なことで。でも声は同じだな」

「うるせーよ」

 あたしは少し顔を赤らめふいっと顔をそらした。

「約束守ってくれたんだな」

「おう。新人賞とって二作目にして、ようやくアニメ化までこぎつけた」

「待たせすぎなんだよ」

「ははっわるいわるい。でも、逢坂がこんなにも早く人気声優になるとは思っていなかったぞ」

 

 そう。わたし逢坂姫子は今、声優をやっている。あれほど嫌いだった自分の声を、みんんなが好きでいてくれる。ギャルな格好とギャップのあるシロップのように甘いロリボイスが人気なようだ。

 玖珂もあれからも作品を書き続けて、ついに新人賞を受賞。デビュー作はあまりヒットしなかったが、二作目が大ヒット。アニメ化に至った。

 アニメの現場で作監になっていた父親と再会を果たし、冤罪、無罪を勝ち取ったことも知った。


 深呼吸ををひとつ。逢坂姫子は今日もマイクの前に立つ。

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ギャル逢坂姫子の声探し 多来明日 @takiashita

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