第25話雨天の鴉は死路をゆく
過ちだと云ってほしかった。遠い海鳴りの音を聴きながら伏したベッドに立ち昇るさまざまな幻影が群れをなして行き過ぎる。そのうちにおまえの顔があったのに手を伸ばして、その手が虚空を掠める。無欠の情などなかったことを証しするように温度を失ってゆく裸体を丸めて、ひとりもの云わぬ石のように縮こまる。外には風雨が吹きすさびはじめ、開け放った窓から降り注ぐ雨に思考は溺れてゆく。いつか見た黄昏の空に舞う鴉にさらわれてしまいたかった。死肉を食んで存える一羽となって、おまえの肉体を貪り、その魂をも身のうちに宿して、わたしの中で溶け合って、ひとつになりたかった。夕景の光は雲に覆われて、雨は激しさを増してゆく。第七エリアに発令された洪水警報はまだ解除されていない。言葉を発しつづけるラジオをつけていたのも忘れていたが、その後に呑気なメロディーと共に歌唱がはじまり、わたしは手を伸ばして携帯端末に手を伸ばそうとして、ふたたびその手が宙を掻く。この手に掴んだものはなんだったのだろう。戸を叩く音がたちまち響き、荒々しい大家の女の声がわたしに窓を閉めるようにと伝える。伝達された言葉と、耳を通り過ぎてこの雨空に溶けてゆく言葉、そして失われた死者の言葉、その軽重を測りかねて、裸身を起こして窓を閉める。一羽の鴉がその間に部屋に入ってきて、わたしの肩へと止まる。やあ、きみはいつかの鴉だね。その嘴に咥えた手紙はどこから来たのだろう。わたしは嘴に押し込められた紙片を広げてその文字列を追う。おまえの遺した詩篇のうちの一節がそこにあり、鴉は翼を広げて鳴き声を上げた。遠路はるばる黄泉から来たのだね、まあ休んでいくといい、きみが来たのなら、わたしもそう遠からず永い眠りにつくのだろう。ラジオは明日の空模様を伝えはじめ、あと一週間は長雨がつづくであろうことを告げる。さて、このエリアも水没するだろうから、その先で待っているおまえに会いにいくことにしよう。ただしきみに付き合ってもらうのも悪いな。わたしはいつしか書き綴った日記の断片を嘴に押し込んで、窓を開け放つ。ふたたび旅立った鴉が咥えた紙片には、おまえと出会った夜の日付が書き添えられていた。2735年7月28日、曇天。鴉はふたたび死路をゆく。わたしは雨に濡れてその姿を見送り、水球のニュースを伝えはじめたラジオにようやく手を伸ばして、スイッチを切る。
BGM:凛として時雨/still a Sigure virgin?
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