第22話祝え、紅蓮地獄の道行きを。
長い旅路にも倦みはじめていた。
亡者たちの苦鳴の響きが延々と鳴り続ける夜の底を足を引きずりながら歩いてきたのだった。雪を踏み締める足は凍傷でただれ、痛みももう感じない。伸び切った髪を振り乱して路傍で踊っても見る者もおらず、宙に跳ね上がって着地する折に痺れきった痛覚が、かすかに冷気を伝える。
男はすでに屠ってきた。その刃もすでに刃こぼれをして、腰に佩いたまま踊りはさらに熱を帯びる。朱色の衣が闇にたなびき、月明かりが夜に香る梅花のように映し出す。唇に塗った紅は男の血だった。情念の果てに手をかけようとした男を返り討ちにしてなお、その臭いが消えない。身に、心に、すでに染みつき果てている。
天に手を伸べても、その先に私に救いをもたらす神仏はおらず、ただ真白い雪ばかりが降りそそぐ。そのひとひらを口に受けて、男の血ごと舐めて、新たな集落へと歩みを進める。笛の音があたりに響き、刀の柄に手をかければ、老婆がひとり、
「
「寸分でも憐れむのなら笛を吹け。もはや修羅となった私に言葉はいらぬ。その音を手向けて、地獄の道行きを祝え、祝え」
笛の音色はいよいよ高らかに鳴り、やがてその姿も吹雪の中へと消えてゆく。その奥に灯りが見え、だんだんと集落が姿を表す。女がひとつの家からまろびいでて、やがて泣きわめきはじめる。
女を打ち捨てて屋敷に入れば、狂宴のさなかに男が座り、女の裸身がいくつも横たわって、どこからかき集めてきたのやら、鯛を盛った漆の膳が転がり、酒盃も肉も果実も散らかり果てている。男は酒に酔って端唄を口ずさみ、裸身の女を鞭打ってはその悲鳴に喜ぶ。
朱の衣をたなびかせて私はこの家屋へと入ってゆく。その衣の裾が男にかかって、やがて露わになる時には男は首を掻き切られて死んでいた。老婆の笛の音がかすかに雪風に乗って聞こえてくる。私は女たちを起こし、その身に刻まれた傷跡を静かになぞる。浅い傷に深い傷、新旧の傷跡が生々しく柔肌に走っていた。
襖の奥で
「お前も私と同じく、色恋の果てに狂ったか」
「父はわたしを女にしました」
「ならば共に来るが良い」
懐刀で縄を切って手早く女物の衣のうちの一つを纏わせ、私は彼の名を尋ねる。
「お前の名は」
「小雪とお呼びください」
「それは幼名であろう」
「他に名を与えられなかったのです」
「良い晩だ。香夜と名乗れ」
「貴方の名は」
「とうに捨てた。香夜、お前は女たちを率いて、ここから出て西へ向かえ。
私は懐から守刀を取り出して朱縄の跡がついたままの香夜の白い両手に握らせる。たちまちはらはらと散る涙に、頬に手を添える。新たな涙があふれて、私の指先を濡らしてゆく。
「貴方は如何なさるおつもりです」
「私は浄土には渡れぬ。あまりに多くの血を流しすぎたのでな。ここに残って後始末をしてゆく。さあ行け、香夜」
彼は女たちを起こして回った。その肌に刻まれた傷に香夜が手を触れるとたちまち癒えてゆく。女たちは彼の部屋に敷き詰められていた衣をそれぞれ身に纏い、浄土への旅へと向かった。女たちを守りながらの旅は、危ういものとなろうが、彼の治癒の腕があれば道中も案ずることはないだろう。
私もまた集められうる限りの財を空いた懐にしまい、火打石を打って屋敷に火をかけた。雪の降りしきる中燃え上がる屋敷を背に、新たな旅路がまたはじまる。
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