第二話
クリスは気配を感じて後ろを振り返った。
(どうして子どもが……? いや、それより)
左目で素早く瞬きを二回。体温感知より高度な
「人間の、子ども……」
さらに瞬きを二回。視界から器具の表示が消える。雪が邪魔をするが、ふたりの視線がクリスと重なっていることははっきりとわかった。ふたりは身を寄せ合い、怯え、泣いていた。
「…………ぼくが話してる言葉は、わかるよな?」
クリスなりに精一杯優しい声で語りかける。ふたりはびくっと肩をあげたが、返事はない。クリスを怖いものでも見るように、ただじっと見つめているだけだった。
「おまえたちに、なにもしないよ。どうしてここにいるか、教えてほしいだけだ」
全身のさまざまなところから発する鈍痛が呼吸を整えさせてくれない。こうして言葉を紡ぐだけでも痛みが増していく。近づくとさらに怖がらせてしまいそうだし、動くのも億劫で、クリスもじっとしていた。
ふたりはクリスと彼の傍で横たわってぴくりとも動かないカイルを交互に見やり、やがて互いに顔を見合せる。こそこそと耳元で話し合い、手を繋ぎその場に立ち上がると、ひとりが口を開いた。男の子だ。
「逃げてきたんだ、アルファから」
男の子の背に、もうひとりの……女の子が隠れる。クリスのことは気になるようで、不安の残る小さな顔を覗かせていた。
「逃げてきた? ……どこから?」
「もっと、上の……ほうから」
「どの方角だ?」
「あっち、だけど……」
なるほど、クリスは察した。男の子が指差したのはクリスがカイルと共に必死に逃げてきた方角だった。
(おかしいと思ったんだよ、麓から逃げてきたぼくたちよりアルファが先にいるなんて。あれは、こいつらを追ってたアルファか……)
クリスの推測はあたっていた。
ただ、この任務についての作戦会議の場で得た情報によると、このあたり一帯は今回の目標である組織の縄張りとなっていたため、誰を追っていたとしてもそれはクリスの敵であることに違いない。
「状況悪化だな……」
苦笑いする他なかった。
少々手荒いが、クリスは気を失ったままのカイルをふたりの近くまで引きずっていった。それだけで体力を奪われる。どさっと尻をついたクリスの傍に、ふたりの子どもが屈んだ。いつの間にか泣き止んでいる。
「あんたも、あのアルファたちから逃げてるのか? 襲われた?」
「まぁ、そんなところだ……」
男の子の問いはクリスに痛いものだった。
逃げているのは確かだけど、そもそも襲撃をしかけたのはクリスたち夜妖が先で、自分たちは返り討ちに遭った。追いかけられるのも無理はない。
「こいつ、ぼくの、たったひとりの仲間なんだ。ここで、こいつと隠れてろ。もしアルファに見つかったら、こいつは見捨てていいから、自分たちだけ逃げろ。あっちに、な」
深い息を吐いてから立ち上がると、上着を脱いでふたりを覆うように被せた。
「悪いな、血まみれで」
そんなことないよ、とはお世辞にも言えない紅く染まったそれにふたりは正直な反応をみせる。しかし寒かったのだろう、おずおずと手を伸ばし、クリスの上着を受け入れた。
その姿はあたまがふたつあるてるてる坊主のようだ、とクリスは思った。
「お兄ちゃん、行っちゃうの?」
女の子の泣き腫らした目がクリスをとらえる。
「ここにいればいずれ見つかるだろうから、ぼくがおとりになる」
「そ、その傷で敵う相手じゃないぞ!」
「あいつらの気がぼくに向けばいい。もう一度言うがぼくが失敗したら、悪いけど、ふたりで全力で逃げるんだぞ」
ふたりの不安げな瞳に、クリスは背を向けた。
吐く息が白い。
左に差した刀に手を添える。震えていた。
(…………ぼくは今、どうして)
今しがた落ちたばかりの土の壁をどうにかよじ登る。好都合なことに、上からカイルたちの姿は見えなかった。
体温感知に切り替えたが、あたりを見渡しても反応はない。今のクリスは逃げることが目的ではないので、上を目指して歩を進めた。
音をたてて雪を撒き散らしていた風が途絶えた頃。
前方にひとを感知した。
近くの木に身を潜めながら体表熱分布図でとらえると、青を中心とした色が広がっている。アルファだ。そのすぐ後ろにもうひとり。二体は左によったり右によったり、ふらりふらりと斜面を下りてきている。
おそらくどちらも、クリス以上の背丈がある。
(下手に手を出してあっけなくやられるより、偶然出会した風を装って逃げたほうがいいか)
クリスは少しでも生き残る可能性が高いほうに賭けることにした。逃げるルートを確認してから、木の陰を飛び出す。運良くひとりと目が合った。
「おい! 待て!」
怒号が飛ぶ。相手の反応をみるより早く、踵を返し一目散に斜面を駆け下りる。詳細は聞き取れないが後方が騒がしい。振り向いて確認する間も惜しいクリスは、気に留めず走り続けた。
斜面を登るのは勿論大変だが、下るのも体力を使う。二、三歩踏み出せば勝手にスピードがついてくるものの、自然に任せたままでは速すぎて足がついてこなくなるため自身で踏ん張り、ブレーキをかけながら行かねばならないからだ。それはクリスにかなりの負担をかけた。足がもつれそうになる。だが速度は落とせない。追いかけてくるのは“死”だ――――。
突然の痛み。
クリスは、雷が落ちたような衝撃を覚えた。
そのとき既に彼の体は雪の斜面を転げ回っており、やがて木の幹にぶち当たり、ようやく止まった。
すぐに起き上がろうとしたが、体が意思通り動かない。
左肩に熱が集まりそこからどくんどくんと脈打つような感覚に、手を伸ばすと何か刺さっている。矢だ。
気力を失いそうになりながらも、拳を握り、立ち上がる。二体のアルファはその見目形がはっきり捉えられる距離まで迫っていた。
おぼつかない足取りに限界を感じとるも、クリスは自分に抗った。どうしてそこまでするのか。脳内で客観的に自分を見つめたクリスは、己に疑問を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます