Ⅴ あなたの恋人は腕時計をどちらの手にしていますか?

Ⅴ-1

「それは……。普通、左手でしょ?」

 そこで笑い声がおきた。

「え。なになに? どういうこと?」左手でしょ? といった女性が連れの女性たちに尋ねている。

「ぶー」

「残念でしたー」

 連れのふたりが愉快そうに笑っている。

 結婚式の二次会の帰りに立ち寄った女性三人組。少し離れてカウンター席についている客たちを横目でちらっと見て、いすずはそう当たりをつけた。

 土曜日の午後十一時過ぎ。

 先ほどまで満席でやかましかった『サザンクロス』の店内も、何組かの客が帰っていき、急に静かになった。残っているのはカウンターのいすずとその連れの女性である会社の後輩、少し離れて女性三人組、テーブル席の三人連れの中年男性――それだけになっていた。

 後輩がトイレに立ったあと、近くの客の会話を聞くともなしにいすずは聞いていたのだった。

「えー。ちょっと、笑ってないで、いい加減教えてよ」先ほど、『左手』といった女性が連れたちに尋ねている。

「それねー。最悪の答え」連れのひとりが答えた。

「『左手』が?」

「ちがーう。あんたさっき、『普通、左手でしょ?』っていったでしょうが」もうひとりの連れがいった。

「うん」

「つまり――」

 そこで声が小さくなって、いすずには聞き取れなくなってしまった。

 一瞬の間があったあと、『左手』といった女性が声を上げた。

「ああー。そっか。なるほど」

「なるほどじゃないわよー」

「だって、そんなのいちいち覚えてるわけないじゃん」

「ひっどー」

「まあ、しょせんあいつとはね――」

 そこでまた三人組は笑い出し、そこからまた会話のトーンが落ちたので、内容までは聞こえなくなった。

 いすずの前にマスターが立って、チンザノのお代わりをコースターの上に置いた。

「お待たせ」

「ありがとうございます」

「興味ある?」マスターはちらっと目線だけを三人組に移した。

「心理テストかなにかですか?」

「うーん。ちょっと違うわねー」

 いすずの後輩が戻ってきて、マスターといすずを交互に見た。

「どうしたんですか?」

「最近ね、ちょっと流行ってる質問があるの」マスターが意味ありげな笑みを浮かべた。「やってみる?」

 いすずと後輩は顔を見合わせて、いすずがうなずいた。「じゃあ、私から」

「じっくり考えず、すぐに答えて」マスターがいった。「考えちゃだめよ」

「わかりました」いすずはうなずいた。

「いすずちゃん、彼氏いたよね」

「はい」

「あなたの恋人は腕時計をどちらの手にしていますか?」

 とっさにいすずはまぶたを閉じて一秒後に、答えた。

「左手」

 パチパチパチパチと、マスターは手をたたいた。

「お見事」

 いすずは怪訝な表情を浮かべた。「こんなの、間違える人いるんですか」

「それがねー。けっこう戸惑うみたいよ。突然こんな質問されるとね。えっ、となっちゃうみたい」マスターが肩をすくめる。「意外とね、普段そういう細かなところを見てない人もいるってこと。特に男性にこの質問をしたら、ほぼ全滅ね。間違いなく、挙動不審に陥るわよ」

 それはそうだろうな、といすずは内心うなずいた。

「でも、腕時計って普通は左手に――」といいかけて、いすずはさっきの三人組の会話を思い出し、口をつぐんだ。

「そう。自信がない人はね、とっさに『普通、左手でしょ?』って答えちゃうの。でもそれは最悪のパターン。確信がない証拠よ。いすずちゃんはさっき、彼氏が腕時計をしているところを思い浮かべたわよね」

 いすずはうなずいた。

「そうやって、ちゃんとその人の具体的なイメージを思い浮かべられるかどうか。それを試す質問なの」

「でも、最近はスマホがあるから、腕時計しない人も増えてるみたいですよ」

「なるほど。じゃあ、恋人は腕時計をしていますか、って聞くべきかもね」

「ですね。あの、これって、そんなに流行ってるんですか?」

「最近、よくお客さんがやってるのよね。もしかしたらこのあたりだけなのかも。地域限定ってやつ?」

「なんですか、それー」

 いすずとマスターが笑った。

「あの」それまで黙って二人の会話を聞いていた、いすずの会社の後輩、中野啓子が口を開いた。

「その質問の出どころは、もしかしたら私かもしれません」

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