Ⅳ-5

 やがて曲が終わり、再びナレーションが始まった。


「竹藪の中はひんやりしていて、空気が外とまるで違っている。

 結局、あなたは段ボール箱を埋める穴を掘るのを手伝う羽目になる。しかし、スコップはひとつしかなく、しかも竹の根は網の目のように複雑にからみあって穴はなかなか思うように掘れない。あなたが土を掘る音以外にはまわりに物音ひとつせず、竹藪の中は静まり返っている。あなたは遠い昔、これと似たような体験をしたことがあるような不思議な感覚におそわれるが、それが何なのかはっきりと思い出すことが出来ない。

 彼女はあなたのそばに立ったまま何もいわず、手伝おうともしないが、何故かあなたは腹が立たない。

 時々、頭上を何か大きな物が通り過ぎる気配がして、そのたびあなたは上を見上げるが、そこには深い闇の中にまっすぐに伸びていく細い竹の幹がいくつも見えるだけである。

 ようやく段ボール箱が入るだけの穴を掘り終えたときには、あなたはじっとりと汗ばんでいる。

 彼女は箱を穴の中に入れ、土をかぶせ、『ありがとうございました』と、いう。

 あなたが車に戻ろうとすると、彼女は朝までここにいるという。『もうすぐ夜が明けるし、近くにバス停がありますから。もう少しここにいたいんです』

 あなたは、それ以上何もいえず、さよならをいい、一人車に戻る。

 シートに体を預けると、微かな疲労感があなたを襲うが、それは決して不快なものではなく、むしろ気持ちは落ち着いている。

 ふと、彼女のいる方を見ると、竹藪の中は暗く、彼女の姿は見えない。

 あなたは車を出す。

 車を走らせながら、あなたはいろいろなことを考える。夜中に、死んだ猫を埋めに行く女を拾うことはそうそうある事ではない。しかし、あの箱の中身は本当に猫の死体だったのだろうか。彼女の家に猫がいた記憶はあなたにはない。もしかしたら、気づかなかっただけかもしれないし、他人の家のことなど本当のところはわからないものだ。しかし、彼女が竹藪の中に何かを埋めたことは事実であり、それが何であれ、彼女にはそれを埋めてしまわなければならない理由があったのだ。

 そんなことを考えていると、いつの間にか竹藪はなくなり、道はまっすぐな一本道になった。道の両側には何もなく、ただ荒れた土地が広がり、遠くの方に低い山並みが見えるだけの風景となる。

 あなたは、どこを走っているのか既にわからなくなってしまっている。しかし、道に迷ったときに感じる不安感や焦燥感はない。道が一本しかない限り、それをどこまでも行くしかないのだ。

 夜が明け始め、世界は深い青一色になっている。

 車はまわりに何もない一本道をただ淡々と走っていく。

 やがて、前方に電柱のような柱が一本立っていることにあなたは気づく。しかし、柱はそれ一本きりで、電線も見えないから、どうも電柱ではないらしい。あなたはその柱の前で車を停めることにする。

 柱は、やはり電柱ではなく、古びたトーテムポールだった。もとは鮮やかな色が塗られていたのだろうが、今ではペンキもほとんど剥げ落ち、大部分は木の地肌をさらしている。そのせいか、どの顔もどこか寂しそうに見える。もっとも、トーテムポールの顔は、もともとそういうものかもしれないが。

 山の向こうから太陽が姿を見せ始める。

 影を作るものが何もないため、光は圧倒的な強さで車のボンネットに降り注いでいる。まるで光そのものに質量が宿っているように。

 世界に色彩が戻ってくる。

 一日が、いつもこうやって始まることをあなたは長い間忘れていたことに気づく。たった数時間前、夜の町で段ボール箱を抱えた彼女をひろった事が、まるで遠い昔の出来事のように感じられる。しかし、彼女を見たときに感じた予感めいたものはまだ続いている。

 プロペラ機がひどく懐かしい音をたてて頭上を太陽の方角へ飛んでいく。そのシルエットが見えなくなると、あなたはアクセルをゆっくり踏み込み、車をスタートさせる。

 コバルトの地平線に向かって」


 ナレーションが終わり、再び曲が流れ始めた。

 車はちょうど大きな川にかかっている橋の中央まで来ていた。

 直人は路肩に車を停めた。

 助手席に置かれている古い携帯音楽プレーヤーを手に取ると、車を降りた。

 その古い携帯音楽プレーヤーは、リリコが年の離れた恋人から譲り受けたものだった。そこには膨大な数の音楽が納められていたけれど、リリコはすべてのデータを消去していた。

 予備校から出てきたリリコと話をした直人は、そこでリリコからその携帯音楽プレーヤーを渡された。これをどこかに捨ててきてほしい、と。

 直人がいった冷たい言葉は、直人自身にはまったく自信はなかったけれど、リリコがそれを直人に渡したということは、たぶんリリコのなかできっかけがつかめたということだろう。直人はそう判断して、それを素直に受け取った。

 橋の上から、直人は川に向かって思い切りその古い携帯音楽プレーヤーを放り投げた。

 それは大きな放物線を描き、ぱしゃんと水しぶきを上げたあと、川底に沈んでいった。

 しばらく川面を眺めていた直人は、再び車に乗り込み、車をスタートさせた。

 街に近づく頃、『フロム・ナイン・トゥ・テン』も終わりに差し掛かっていた。

 テーマ曲をバックに、ナレーターの声がラジオから流れてくる。


「もうすぐ時計の針は

 十時を指そうとしています。

 今日という日が終わりに近づいていくこの時間。

 フロム・ナイン・トゥ・テン。

 ショート・ストーリーズのスクリプトは、小清水遥。

 そしてわたくし、秋葉智弘でした。

 それではまた明日この時間に、お会いしましょう」

 

  CMが始まると、直人はラジオのボリュームを下げて、ウィンドウを下ろした。

 少し肌寒い四月の夜風が入り込んできた。

 なんとなく、直人の中にあったものが少し軽くなった気がした。

 それが何なのか、直人自身にもよくわからなかった。その感覚は明日には消えていて、また明日から女の子に声をかけ続ける、いつもと同じ毎日が始まるのかもしれなかった。

 車は、リリコと出会った交差点を通り過ぎた。

 このまま夜が明けるまでずっと車を走らせていたいという衝動が、不意に直人を襲った。

 たぶん、さっき聞いたラジオのショートストーリーのせいだろう。

 ちょっと変わった子だったけど、これまでと同じように、再び彼女と関わることはないだろう。夜が明けるまで走り続けることもしないだろう。わかりきったことだ。

 でも、そのとき直人は、気が付いていなかった。女の子に話しかけるときに浮かべる微笑みとは違う、とても自然な微笑みを浮かべていたことに。

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