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第1話」への応援コメント

  • 大いなる無、という解釈で安寧を得られるのなら、現実の科学という極めて客観的視点においても、エネルギー不滅の法則にて安寧を得ることはできると思います。私たちの考えたこと、成したことのすべては、物質世界の中に影響を残し、決して消え去ることはありません。※
    生きている人間はそれをホワイトノイズとしてとしか観測することはできませんが、雑草という名の草がないように、それは確かに私たちの死後の世界ではあると思います。それで納得するかどうかは人によりますが。
    ※最近の研究では、ブラックホールの表面では情報の破壊が起こりうる、という説がありますが。

    作者からの返信

     現実の科学からの視点で安寧を得られる可能性について触れられた文章は、見たことがありませんでした。新しい見方に気づかせてくださり、ありがとうございます。


  • 編集済

    大いなる無、素敵です。
    以前読んだ本に、死後の自分が「希釈される」のを楽しみにしている描写がありました。世界に広がり、薄められる認識です。川から海のイメージも、それに似ているように思います。穏やかに親しみを持って、自分の終わりと向き合うことができそうです。

    追記
    森博嗣の『悪戯王子と猫の物語』だった気がします。うろ覚えですが、森先生だったのは確かです。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     死後の「希釈」され世界に広がるイメージは素敵ですね。
     その本が読んでみたくなります。


  • 編集済

    大いなる無を感動でとらえる……僕にはとてもできそうにありません。
    こういう価値観を広い視野を持って受け止める。
    そういう度量が物書きには求められるんでしょうね、
    勉強になりました。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     べ、勉強になっちゃいましたか。
     どこを失敗したんだろう。
     もしかすると、大いなる無を感動でとらえるというのが、上から目線だったのかもしれません。けれど、これって、ぜんぜん大したことじゃないんです。
     無を受けいれるのは、その方が楽だからという、まことに身も蓋もない理由からです。
     コメントありがとうございました。


  • 編集済

    僕のエッセイに参加頂きありがとうございます♪
    更に評価まで頂き本当にありがとうございます(^∇^)
    クリシュナムルティという人がそんな言葉を遺されていたんですね!
    僕は今まで知りませんでした。
    教えて頂きとても勉強になります。

    大いなる無への歩みを恐怖でとらえるか、感動でとらえるか。
    とっても重みのある言葉ですね。
    僕はこの言葉を聞いて、
    エジプトのミイラや古代中国の兵馬俑が頭に浮かびました。
    また、灰羽連盟という作品を思いだしました。
    僕の考える死後の意識については
    またエッセイとして書かせて頂きますね。

    追記
    なるほどですね。
    エントロピー増大の法則がある以上、
    僕達に不老不死は難しそうですね(^_^;)

    ところで、意識のエッセイに僕が書き加え忘れた内容についてですが、
    空知音さんはプラナリアの記憶の継承実験についてはご存知でしょうか?
    僕はまだよく原因が理解できていないのですが、空知音さんの意見を教えて頂けたら嬉しいです(^_^)


    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     直観に頼った文章ですが、論理だけではどうしようもない話題ですから、これは許してもらいましょう。
     エジプトの王様も中国の王様も、死と正面から向きあうことは出来なかったのかもしれません。死は持てる者にも持たざる者にも平等ですから。

     追記 プラナリアの記憶継承実験とういのは、知りませんでした。少し調べてみましたが、新しい個体が遺伝的に元の個体と同じような行動を取るというものなら、現在解明されていなくても、将来的には遺伝レベルやプリオンレベルで説明がつくと思います。

    編集済