22.愚策

 ぼくは綾宮クロがどんな手を思い付いたのかを想像できる。人の死体を消すのは大変な作業だ。やり方は自ずと限られ、ぼくの書いた通り屋上から見下ろした景色をヒントにするなら方法はひとつだろう。


 その証拠にぼくは園芸部の部室からスコップがひとつなくなっているのを確認した。


 それにしても彼が、ぼくの手紙をあのような妙な認識の仕方で把握するとは思っていなかった。彼自身が思いついた計画の穴の大きさに頓着しないのも、その割りにぼくの口封じ方法がある意味で筋が通っていることも何かしらの副作用かもしれない。そのせいでぼくは彼の計画の詳細を一部省いて、古暮に聞かせることになる。そしてその対策も。


「それがあんたの選択だって言うの?」

「そのつもりだけど」

「……」


 どうしてか一瞬、古暮は何かを言いたげにしたが、しかし何も言わないままに小さく頷いて協力を承諾しただけだった。クロが香織を殺す間、ぼくは彼の犯行を眺めることしかできず、どうしても何かあった場合の協力者がもう一人は必要で、それが彼女だった。


「これできっと何もかも終わるよ」

「……そうだと良いわね」


 どうしてかやはり、彼女は最後まで不満そうだった。




 やがてその夜がやって来る。


 それは月明かりのない人殺しにうってつけの真夜中だった。耳奥に鳴り響いていたのは心臓の鼓動で、それに覆いかぶさる形で虫の声が聞こえてくる。夜空に星がしがみつき、指をかけて回せばそのまま朝になりそうな儚さだった。夜中の校庭には静寂と暗闇だけが息づいていて、校舎内が完全な無人ということもなかろうが、見渡す限り生きとし生けるものすべてが寝静まっていた。


 クロが送ったと思われるぼくの携帯から香織のもとに届いたメールの内容は短く簡潔で、彼女がこの時間に校庭へと来ることを指示するものだった。この場所には相応しくもこの時間にはそぐわない制服姿の香織は、半時間前からその場所に立っていて、クロは自分で決めた時間に少しだけ遅れてやってきた。右手には金属バット。夜闇へと身を浸しきったその登場に香織はまだ気付かない。


 クロは足音を殺して走り出す。


 生成されるだろう死体の処理にクロがどんな手段を講じるつもりであったとしても、最初にやることは決まっている。


 死体を作り出すのだ。


 この時点で校庭の中心から十分な距離を取って校舎影に身を隠していた古暮は、駆け出しても間に合わない距離に追い出されたのだろう。それで構わない。すでに気付いていたろうに、古暮は動かずクロが香織へと距離を詰める動作を見送る。


 次の瞬間、ぼくが最も危惧した事態は回避される。それはクロの初手での撲殺だ。


 今回ぼくと古暮が用意した策においては香織自身の言葉が重要な役割を担う。となれば、相手に声を聞かせる間もなくその口が塞がれるような可能性は最悪の想定だった。しかしクロの指定したこの夜に月がないことから、その想定は十中八九当たらないだろうと予想された。


 月明かりのない夜は人を殺すことにはうってつけでも、人を見極めることには無駄な困難を上積みにする。


 バットの握りの部分を振り返った肩部にあて、体軸周りの回転に勢いを乗せる。香織がバランスを崩したところに、足払い。バットを横にして上体に当て、そのまま押し倒す形でマウントを取る。馬乗りになったクロは直下に横たわる相手が間違いなく香織であることを確認した。無表情の視線が交わり、互いの覚悟を五感に刻みつける一瞬。


「……」


 交わす言葉の用意はなく、ただようやく終わるという感触があったらしい。彼は馬乗りになったままバットを振りかぶった。


 香織が口を開く。


「――」


 それがぼくと古暮の用意した策だった。シンプルで卑怯な。愚策。


 クロには殺戮者として致命的な弱点がある。彼には自らが二重人格者であるという自覚がないのだ。


 故に、その事実を突きつけるたぐいの情報を認識できない。自らをシロと認識する相手を認識できない。


 シロ兄ぃ。


 香織がそう呼べば、すべては決着するはずだった。


 瞬間、クロは意識を失い身体の主導権はぼくに移る。その後、香織と近くに待機させている瑠璃華を入れ替えて、クロと交代する。そうすることでクロは瑠璃華をそれが香織だと思い込んだままに殺し、瑠璃華は兼ねてからの望み通りクロに殺される。瑠璃華が死ねばこの先、クロはその存在を呼びかけてくれる人を失って、クロの人格は自然と消滅する。


 最初から思いついていて、最後まで迷い続けるふりをした罪の精算方法。


 一発。意識を取り戻したクロの振りかぶったバットが顔に入るまでの間。その数秒にクロが相手の顔を再確認さえしなければ、ぼくらの策は成功する。人を見極めるに難しい無月の夜闇。そしてその一発目さえ入ってしまえば、着ている服はどちらも同じ。そのためにこそ香織は深夜にも関わらず制服を着てこの場に立っていた。


 だから、本当にその一言だけだったのだ。


 ぼくの計算違いは。


「シロ兄ぃ――」


 ぼくは香織の意志をないがしろにしていたのかもしれない。彼女の想いを、クロに殺されたがっているなどとひとまとめにして、その理由、その根拠、その源泉を省みることをしなかった。


 だからその結末は報いだったのかもしれない。

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