15.掃除しましょう

「そうだよ」


 ぼくは古暮にそう答えた。


「ぼくが綾宮クロを殺した」


 ぼくはあの日、香織を殺せなかった。だから代わりに綾宮クロを殺した。そのはずなのに、どうしてかクロは今もまだ生きていてぼくの地獄の続きを用意する。


「過去の事件の構造は理解した。けれど、それでもわからない。香織がどうして殺されようとしているのか、そしてどうして殺されたがるのか」

「……」


 ぼくは笑った。


「それより」古暮が少し怒ったように続けた。「この家、本当に汚いわね」

「……まぁ」


 何が言いたいのかわからずぼくは戸惑う。どうしてか彼女は嬉しそうだったから。


「今から掃除しましょう」

「本気?」


 正気かと尋ねなかったのはぼくの一抹の優しさだった。しかし彼女は気付きもせずに続ける。


「当然。ここの空気は淀んでいる気がするし、立派な家なのに埃っぽいのも気に入らない。一日かければ少しはマシになるでしょ」


 香織たちも呼ぶわよ。そう言って携帯を取り出し、本当に香織を呼び出し始める。


 ぼくはこの屋敷に置いてあった雑巾を持たされて、そのまま高い場所の拭き掃除を命じられた。一方の自分は屋敷中のカーテンや絨毯類を取り外し、片っ端から洗濯機に突っ込む。すべての窓を開け放って生きた空気を取り込み、書庫のページが風にめくれた。


 しばらくして、いーくん久しぶり会いたかったよと走ってきた香織に掃除機を持たせ、そのまま家中の埃を隈なく吸い込むよう命じて二階へと送り出す。香織は呆然としたように手元の掃除機を眺めながら一人。肩を落としてとぼとぼと危うげな階段を登っていった。


 ぼくはトイレ掃除に、古暮は台所掃除に。しかし桃は川を流れてこない。母が一度も手を付けなかっただろう、換気扇の内側や電灯のひさしまで布巾を届かせる。香織は何処か釈然としない様子で首を傾げながら、黙々と板張りの埃を隅から隅まで吸い込んでいた。


 遅れてやってきた久留和に芝刈り機を持たせて庭へと送り出し、真尻に買い物メモと財布を持たせて買い物に送り出す。久留和は苦笑しながら庭に伸び放題の雑草を刈り始め、真尻は来る途中にスーパーあったかなと困惑したようにスマホをいじりながら、来た道を自転車に跨り戻っていった。


 香織が掃除機を持って下の階に降りていくのと入れ違いに、ぼくはワイパーを手に二階へと上がる。各部屋の床をアルコール布で拭きながら窓を閉めていく。庭を見下ろせば、草が除かれた庭の真ん中に竿が渡され、数多のシーツや布団が干されているところだった。階段を拭きつつ下に降りていけば、玄関口から門の前までを久留和がホースで洗い、掃除機をかけ終わった香織が他の女子陣に遅れる形で台所へと駆け込み、混じっていく。真尻はいつの間にか買い物から戻っていたみたいだ。


 和室の畳を古暮に言い付けられた通り、きちんと目に沿って拭いているうちに、やがてカレーの匂いがして居間に呼ばれる。


 縁側から吹き込む風に洗剤の匂いが微かに残る畳の上で、五人が遅い昼食を取った。


「ていうか、ここバネさんの実家だったんだ」「知らずに手伝っていたのか」「子どもカレーなんて久々に食ったわ」「妹いるとね」「踏切よりこっちにも家あったんだね」「祭りで神輿が通るでしょ」「シロ兄ぃんちの本棚、すごかったね」「あれ片すと怒るんだ」「ジャガイモ入れないんだ」「あれば大根入れるよ、うち」「学区遠くない」「そう。だから住所短いよ」「山の方には誰か住んでるの」「家が見えるけどね」


 ふと久留和が思い付いたようにぼくに尋ねた。


「矢羽根兄はここの花壇いじらないの」

「思い付きもしなかった」それはこの家を居場所だと思ったことすらなかったから。「いつかやろうかな」

「そん時はまた手伝うから呼べな」

「……そういえば、どうして今日はみんな手伝ってくれたの」


 一瞬、他の四人が顔を見合わせた。何言ってんだこいつという視線が返ってくる。

「何言ってんのあんた」言葉も返ってきた。


「バネさんのためでしょ」

「というか別にお前だからとか、友達だからとかじゃなくてな。隣にいる奴には手を貸すでしょ」

「そうかな、結構損得で動かない?」


 可哀想なものを見る目が混じる。


「何さ」

「違うよ、面白そうだから手を貸すんだ。何かやるんなら参加してみたいつってさ。場所の楽しい度みたいなのが上がってるなら、おれが参加してもっと上げればきっと楽しいでしょ。無理して文化祭に参加しないのって、はっきり言って逆に気力の浪費じゃん。一人じゃただの馬鹿でも、たくさんでやればきっと変なふうに楽しくなってしまうようにできてるんだよ、人間は。疲れるからとか無駄だからっつって何もしないのはやっぱりもったいないよ」

「あたしも久留和に賛同するかな。主義としてとりあえず変なものには関わってみるのよ。怖くてもキツくても何もしない何も感じないよりはマシで、つまり生きるってことの本質はそういうことでしょ」


 医師の言葉を思い出す。借金だと思っていつか返すのだからと堂々と借りればいい。しかし。


「そんなもんなのかな。何というか、いまだに他人と価値のやり取りをするのは怖いよ」


 まだ間に合うよ全然、と香織が言った。


「別段、特にこれからのシロ兄ぃには、負債やよりかかる重さの気にしない生存があってもいいと思うのだ」

「まぁ、どうしても返してくれるってんなら、嬉しいけどね」

「むぅ……茶化すな、いーくん。つまり私が言いたいのはもっと適当に生きてみようってこと」


 園芸部の方針なのだ、とやはり見た目に慎ましい胸を張った。


「本当?」

「や、どう見ても矢羽根が今決めたでしょ」


 昼食を終えて日が暮れるまでのんべりだらりと過ごし、適当な頃合に洗濯物を取り込む。


 電灯の外された家に夕闇が暗がりをそこかしこに作り始める頃、スペースの空いた庭で、久留和が買ってきた花火をした。季節も終わるということで、近くのコンビニにてファミリーパックが半額だったらしい。


 ぼくにとっては生まれて初めての花火体験だったけど、初心者らしくまずは線香花火からステップを踏もうとしたら、それは最後にやるものだと香織に怒られた。持たされた棒状包紙の先端に火を着け、火薬に引火しないと思ったら突如火を噴き取り落とす。そのまま地面に転がして色が変わるのを眺めていたら、危ないから拾えとまた香織に怒られた。


 久留和と古暮が恐ろしい勢いで棒花火を消化していき、最後。ぼくは念願の線香花火に火を点ける。微かにほどけた火薬の匂いに口内で微炭酸が破裂するような音が溶ける。ゆるゆると尻尾を巻く火先に小さな花が咲き、珍しくも笑ってしまった。香織に見られていることに気付き思わず口元を隠す。勢いで火花を落としてぼくの表情は願いどおり闇に包まれた。一方の香織はニマニマと笑い続けていて、もう怒ることはしなかった。


「帰ろうか、シロ兄ぃ」


 花火の残骸を片してゴミをまとめ、洗濯物を取り込み戸締まりをして、七時頃に解散となった。玄関口から住宅街の手前まで五人で歩き、またなと手を振りあって自転車組が分かれて行く。香織と古暮が喋る少し後ろを、ぼくは付いて歩いた。


「きっと大丈夫だよ」気付けば香織がこちらを振り返っていた。「これからは、こんな日がきちんと続いていくよ。もうシロ兄ぃの悲しい時間は二度と帰って来ないよ」

「……ありがとう」


 そんなことは叶わないと誰もが知っていた。だからそれはたぶん祈りだった。

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