9.遭遇、未確認生物。兄

 翌日の放課後。園芸部の活動は久々に休みで、シロは香織に連れられて、古暮の家へ遊びに行くことになっていた。


 ……あれぇ?


 と、心中のシロ。何がどうなってこうなってしまったのか、道中、先を行く香織と古暮の後につきながら奴は自問する。


 少し冷静に思い返してみると、妹から今日は部活が休みという連絡を受けた記憶がある。それが昼休みのことだ。


 そして放課の直後辺り、香織が「シロ兄ぃ、ほら行こう」と言うのでつい、いつもの流れで部室に寄りかけて、「違うよ、もう。昼に言ったじゃん。今日は部室開いてないよ」と校外方向に連れられて、どうしてか香織の横に古暮が付き従っている事態は、校門を抜けて以降の何処までも途切れることがなかった。いつの間にか周囲の光景は見慣れぬものに変わり果てていて、二人の会話に耳を傾けてみれば、どうやらこれから古暮の家に行くといった趣旨のようだ。


 かくしてシロは古暮家へと向かっている。


「……」


 自問し思い返してみてさえ。どうなってこうなったのか、やはりわからない。


 尋ねてみる。


「どうしてぼくもついてきてるの」


 二人が振り返った。


「そういえば、どうしてシロ兄ぃがついてきてるの?」

「嫌なら帰れば」


 想定の八倍ほどに冷淡な反応を返されて、途端にシロはツラくなった。


 そうかこれは自分が勝手についてきたという形になるのかと思うも、それで今から自宅の方へと方向転換しようにも初めて見るこの付近の地理がはっきりせず、惨めさのあまりにそのまま黙って年下の女子らに付き従っていく。二人はその様に別段何とも意見を述べなかったので、奴が古暮家へと参上することについては特に支障なく、つまり恐らくはどうでもいいのだろう。


 そして辿り着いた先は道場だった。


「ちょっと意味がわからない」


 すかさず香織が補足する。


「いーくんちは空手道場なのだ」


 住んでるのは裏だからと先導する古暮道場の娘に連れられて、シロらは別の玄関から畳張りの居間に上がる。


 茶を取りに消えた古暮を正座で待つこと二分、足が痛み始めて崩そうか迷い始める。ふと隣を見ると香織の方は慣れたもので、制服のスカートのまま膝を畳んで縁側越しの庭を眺めていた。とはいえ矢羽根家に畳の部屋はないし、もしかしたらここへは頻繁に訪れているのかもしれない。そう思いつつ足を崩した辺りで、茶を運んでるにしては疾走レベルで軽すぎる足取りが廊下の奥から聞こえてきた。


「香織姉ちゃん!」


 古暮をそのまま小さくしたようなのが飛び込んできて、香織の背中にしがみつく。どうやら古暮の妹らしい。突然の登場にも慣れているのか香織は驚いた様子もなく、道着姿の彼女を膝に乗せる。


「いつの間にか偽妹が増えてる」とシロは、思うだけのつもりだったことが口に出る。

「あれ、お前誰だ」


 たった今シロの存在に気付いたかのように、古暮妹は正面切って尋ねた。


「こっちはシロ兄ぃだよ」

「ふーん、知らない」

「……」


 あまり慣れない年齢差と口調に戸惑い、シロの反応が遅れる。


「シロ兄ぃ、こちらは古暮梨子ちゃん」

「……こんにちは」

「シロニー」


 オーストラリア都市のような発音で呼ばれた。


 廊下向こうから盆を持った古暮姉がやってくる。こちらは足音もしなかった。


「あれ、梨子。稽古は?」

「休憩」


 茶菓子の盛り合わせと、用意したグラスは三つしかなかったらしく、シロ以外に麦茶が行き渡る。


「おい」

「冗談よ」


 古暮姉が自分の分をこちらに回す。


「それより梨子。サボりでしょ」

「休憩だってば」


 道着のまま、微かに汗の匂いがした。


「親父に怒鳴られても知らないからね」


 お父さんが師範なんだ、と香織の補足が入る。


「わかってるよ、すぐ行くもん」


 そう言って、素直に麦茶を飲み干しグラスを置いた。その手前にはいつの間にか菓子の入っていた小袋が六個ほど散らかっていた。


「ごち。香織とシロニー、またね」


 何故かシロだけ出掛けに肩パンされた。


「……頑張ってね」

「うっす!」


 来た時同様、走り去っていく。


「道場の娘って、やっぱり武道やるんだ」

「私はもうたまにしかやってないけどね」

「いーくんは強いよ。この前なんかしつこく声かけてきた男の子を片手で投げてたんだよ」

「……」


 投げるのは空手なのか、とシロは首を傾げる。


「反抗期に色々。空手以外もかじったの」


 妹の使い残したグラスに麦茶を注ぎ、自分で飲みながら。彼女は言った。


 それからしばらく、グラス片手によもやま話を続ける。ふとシロが尋ねる。


「探偵癖?」

「ミステリー好きなの」


 見る? と誘われて、家族共用の書斎までお邪魔する。


 シロが住んでいた綾宮の家はその大きさから当然としても、書斎って普通の家にもあるものなのかとシロは思ったが、案内された古暮家のそれは本棚専用の物置と言った方が正確そうな小部屋だった。しかし矢羽根家にはこのたぐいの部屋はなく、家族も普段からあまり本に手を付けている姿を見かけない。道場を経営する師範の父と聞いて無骨なイメージを持っていたけれど、存外インテリ傾向でもあるのかもしれない。


「この辺り」


 七つ並び立った本棚の片隅を指差す。そこにはいわゆる本格ミステリーと呼ばれる邦文庫が並んでいた。


「っても、いーくんが好きなのは探偵というより正義の味方なの」

「言わないでよ、恥ずかしいから……」


 香織の指した方へと目を向ければ、そこには少年漫画が数種類棚を占めていた。その一群は他に比べてやけに読み古されていた。


「家族で読み回してて、親子共々そういうの好きなの。真尻ともその辺りでは話が通じるんだ」

「でもたしか、カップリングはわからないって喧嘩してなかった?」


 カップリングって何だとシロは首を傾げた。再び廊下を歩いて、居間に戻りながら。


「中学でも色々あった時、いーくんが解決してたんだよ」

「そういえば二人は同じ女子校か」

「でも頭良くないからさ、私」と振り返った。「結局、探偵というか番長だった」


 苦笑いで言われて、どう返すか迷った。


「……何となく想像できる」


 隣の香織から頭を叩かれる。




 その晩、夕飯前にぽっかりと少し時間が空いて、相変わらず物置然とした自室でシロは考えていた。とはいえ、ただ考えるのみも時間の無駄と感じてしまうのか、ついでに身体を動かすことにしたらしい。奴の部屋に我が物顔で鎮座する家具類を家の裏庭まで運び、矢羽根の両親に新しく買ってもらった物置の中へと収納していく。その作業の間、手を動かしながら奴は思考しており、おれはその推移を覗き見ることができた。以下に詳細を記す。


 シロが一番に懸念したのはおれのこと、というより妹の安全だった。


 こうして住まわせてもらってる以上、矢羽根家の長女が殺されるようなことは積極的に阻止する義務がある、と考えたかまでは知らないが、兎も角もおれの彼女への殺意をどうにかするという目標が第一に置かれたらしい。


 ここまでが、奴がこたつを運んでいる間の往復での考え。


 次に勘案したのもおれのこと、というよりおれの犯罪だった。


 未来の罪ではなく、現行の罪。つまりはおれが行っている殴打魔という一連の連続傷害事件。これは今のところ警察に犯人の手がかりは一切掴まれていないが、犯行を重ねていけば捕まる確率は指数的に跳ね上がっていく。加えていーくんとやらも動き始めて、あれに捕まれば私的な刑罰が待っているという。シロからしてみれば姓を変えた身とはいえ、仮にも血の繋がった兄が手を後ろに回すのは忍びない、と考えたかまでは知らないが、これも阻止しようと思ったらしい。


 これは奴が衣装ケース三つを運ぶ三往復中の考え。


 最後に構想したのもおれのこと、というよりおれとの精神感応。あるいは感覚共有についてだった。


 今こうしておれが奴の行動を監視できているように、奴もおれの行動を監視できるらしい。となれば、互いにどんな策を打ったところでそれを相手に隠し通すことはできず、敵に回すだけ阿呆らしいことこの上ない。ならば逆転の発想で兄の利害を把握し、是非とも相互扶助関係を築くべきだろう、と考えたかまでは知らないが、何をするにしてもこのネックを回避すべきだとは考えたらしい。


 これがダンボール、釣り竿、その他細々とした品を運ぶ数往復中の考え。


 結局、三つともおれに関することで悩んでいてどれだけ縁が深いのだろうかと白々しくも感慨にふけってみる。単純におれが厄介の種なだけだという向きの意見も否定する気はない。


 せっかくだからと、シロはまとめてみる。



 一、妹殺害の阻止

 二、クロの逮捕阻止

 三、感覚共有を回避した上で右記の条件の達成



 さてこれらを並べてみれば、自然と対策が浮かぶはずだとシロは考える。しかしやはりただ考えるだけに集中するというのは苦手なのか。もう身体を動かす用事がなくなって、すっかり片付いてしまった部屋を前に、特別良い案も浮かばずひたすらに唸るばかりであった。


「シロ兄ぃ、いる?」


 ノックもなしに奴の部屋へと入ってきたのは香織だった。


「お……何の物音かと思ってたけど、ぜんぶ片付けてたんだね。えらいえらい」

「まぁね……」


 上の空だった。


「そうだ、お母さんがご飯だって」

「わかった……」


 そう言いつつ動こうとしない兄の腕を引っ張って、奴らは階下へと降りていく。

 結局その夜が更けてまでも、対策は思い付かなかったようだ。


 どう転んでもおれの暗殺あたりが結論じゃないかと、これでも内心冷えていたので僥倖と喜んでおく。


 願わくば、このまま指を咥えておれが香織を殺すのを眺めていてくれれば都合の良いことこの上ない。




 都合の良い未来予測なんてろくに当たるものではなく、おれは矢羽根シロが平然と告発しやがったのを知っている。


「古暮さん。もし綾宮クロが殴打魔だって言ったらどうする?」

「それは本当? 私刑に処してもいいのかしら?」


 翌日の放課後。奴は唐突に彼女を捕まえてそう切り出した。


 動揺に血の気が引く脳裏で、昨日、シロ自身が並べた目標羅列をもう一度思い出してみる。



 一、妹殺害の阻止

 二、クロの逮捕阻止

 三、感覚共有を回避した上で右記の条件の達成



 これはどういうことだ。目標その二がまんま見逃されているじゃないか。と言いたげに思ったおれの思考を読んだのか。


「でも警察には突き出さないんでしょ?」

「そのつもりよ」


 ……。たしかにいーくんに捕まれば私刑だから、公的に逮捕されるわけではない。


 いーくんにバレること自体は良いのかという価値観についての議論はこの際置いておこう。何よりそんな場合じゃない。


 そして目標その三。感覚共有されていても、おれが対策を立てようのないほどの圧倒的な暴力なら。


「ちなみに空手だっけ、やってるの」

「黒帯ね」

「そっか強いんだね。それで綾宮クロがいる場所っていうのは――」


 おれは所在のバレている自室から一目散に逃げ出した。

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