5.部活、園芸部

 おれは矢羽根シロがわからない。


「全員出席というわけで、今日こそ部活やるよ」


 放課ののち、そう宣言する香織に連れられる矢羽根御一行。奴らが校内を練りくってたどり着いた先は校舎裏の部室棟。


 園芸部と書かれた日焼けの目立つ裏紙が無造作に貼られた扉の向こうは、簡潔にまとめるなら混沌としていた。


「一縷の望みをかけて尋ねるけど、他の部の部室と間違えてない?」

「残念ながらここで当たってるんだよ、シロ兄ぃ」

「そうそう、ここぞ我らがオアシス」


 と、扉付近を塞ぐ奴らの脇をすり抜けた久留和が、テレビの前に陣取りゲームのコントローラーを手に取った。


「騙してたわけじゃないんだけどね」


 と、後ろから申し訳なさそうな声がして、振り返ったシロへと真尻が指差し示した部室の片隅には、漫画が所狭しと詰め込まれた本棚。


 言葉を失ったシロが気付かぬうちに手を取られ混沌の内側へと引きずり込まれて、真ん中の長椅子に五人が席を確保する。久留和はテレビ近い席を割り当てられ画面に釘付けのまま。そこで香織は舌を出して手を合わせた。


「ごめん、シロ兄ぃ。園芸部は実質、私一人なのだ。他は手伝いというか助っ人というか」

「あ、うん……そう」

「裏事情、聞きたい?」

「えっと、じゃあ一応」

「ここは当事者のおれから説明しよう」


 久留和はコントローラーを持ったまま長机の端で立ち上がった。画面から目を離さずに。


「せめてゲームやめてからにしなよ」

「ボス戦終わるまで待ってくれ」

「知らんがな。あたしが代わりに説明するよ、もう……」


 真尻は手ぶらで立ち上がった。


「……えっと、別にこのまま私が説明してもいいんだけど」

「被害者だと変に遠慮することもあるでしょ、バネちゃん。こういうのは加害者の方がいいって」


 加害者意識あったんだと出番を奪われた形の香織が、本人に聞こえない程度の声量で毒を吐く。


 こほんと咳払い。


「それでね、バネさん。県下上位を競うレベルで成績優秀かつ、まだ設立から間もないせいで校舎は新しく定番の七不思議さえない我が校にはしかし、見逃せない重大な欠点があるんですわ」

「……へぇ」


 シロは突然の長広舌に若干引いた。


「ずばり、部室の数が圧倒的に少ない」

「ほぉ……」

「敷地はあるのだけど如何せん、必要な施設を優先して建てたから、当然のように後回しにされ続けた部室棟は惜しむらくかな、生徒全体の人数に比してあまりに少ないの……」


 悲しげに目を伏せる。と思われた瞳は次の瞬間、力強く見開かれた。


「故に! 幾多もの部活が栄枯盛衰の憂き目にあってきた! それが我が校の部活史全体と言って過言でないくらいに!」

「ひぃ……」


 ドン引きだった。


「あたしは元から帰宅部だったけど、久留和のゲー研は実際に昨年の活動実績が芳しくないという理由で廃部にされた。でもそんな有象無象の部活動のうちひとつだけ、どんなに活動実績がなくても廃部にならない部活があるんよ」

「ふぅん……」


 そろそろリアクションの手数が減ってきたシロは、とりあえず帰宅部もなくならないだろうなと思った。


「それこそが園芸部。だからこそあたしたちはバネちゃんに寄生、もとい身を寄せることで部員数の誤魔化しに手を貸しつつ、活動場所を提供してもらっているの」

「はぁ……」

「どうして廃部になりにくいかって言うとね」と、ここからは香織が引き継いだ。「園芸部は校内の花壇を管理する役割も担っているからなんだ」

「それって普通、委員会か用務員の仕事なんじゃ」

「ちょっとおい、バネさん。あたしの時より相槌に差がありすぎない?」


 真尻がむくれてしまったのに苦笑しつつ、香織が続けた。


「何故かうちの学校は園芸部が活動を担ってるのだ。だから下手に廃部になんかしたら」

「校内の花壇を管理する人間がいなくなる、ってところかな」

「まぁ今年の春先は、去年私自身があまり活動してなかったせいで本当に廃部になりかけたんだけど」


 香織もむやみに行事をサボる性格ではないだろうが、思えば去年は夏以降、自身に関連したあれこれでとても部活なんかに参加している余裕はなかったのだろうと思い至る。


「ま、こっちからすれば単純労働でゲーム機を校内に置かせてくれるのはありでしょ」


 と、ようやくボス戦が終わったらしい久留和がコントローラーを手放して混ざる。悲しげな音楽の鳴り響く画面を見る限り、どうやらボスには負けたようだった。そりゃあ、ゲー研も潰れるは必然だったのだろうと妙に納得がいく。


「そういえば古暮さんも部室目当て?」


 一人ことの成り行きを静観している彼女にシロは話を振ってみて。


「や、私は単純に香織が好きだから」


 ろくでもない藪蛇を引き抜いてしまう。


「ちょっと、いーくん。はっきり言わないでよ!」


 香織は頬に手を当てた。何かと思えば照れてますよのポーズらしい。


「……」


 シロが再び言葉を失ったので、これで説明は打ち切り。久留和もゲームの電源を落とし、ようやく本日の部活が始まった。


「今日は校内全体の水やりと、それから理科室裏と保健室裏の草むしりかな。伸びてきたし。それから」


 香織が各部員に指示を与えた。じょうろが行き渡って部室から出て散開する。


「じゃあ、シロ兄ぃは私と校門側の水やりね。その後、保健室裏でいーくんと草むしり」

「わかった」


 シロの手前。先導するように歩き出しかけたところを、ちょんとスカートの裾をつままれた香織が振り返る。


「……私も香織とがいい」


 古暮が割り当てられた方へと向かいもせず妙にその場に残っているのはこのためだったかと、シロは納得した。


「うーん、と。ごめんねいーくん。まだじょうろが足りないし、シロ兄ぃには水道の位置も覚えて欲しいから」


 恨めしげな古暮の視線と別れて、わずかな優越感を胸にシロは香織と校庭を突っ切る。


 視線を辺りに向けてみれば、各所で様々な運動系部活のウォームアップに勤しむ姿が散見された。ちょうど上の学年が受験のために引退し代替わりする時期で、そういえば見かける練習風景を率いる新部長らしき人影らは慣れない指導に熱をこもらせているように思えた。ほどよく汗を乾かす風が涼しさを運び、秋特有な枯れ葉の雨に溶ける匂いは食なりスポーツなり読書なりへの意欲を高めるに相応しい。されど一方、そのどれとも無縁なシロは、園芸部の活動成果の大体は冬には枯れるんだよなと諸行無常を感じていた。べんべけ。


「あれ、こんな工事中のとこなんてあったっけ」


 校舎列の最北。特別教室棟に隠れて普段から日に当たらず、教室棟からも反対側に位置する不自然に開けていた空き地がトタン製の板張りに遮られていた。奴はその壁面に改装中である旨の表示が貼られているのを見つける。おれもそこについては今朝気になっていた。折よく横の香織から説明が入る。


「あぁ、それ夏休み前から工事中だった新校舎だよ。ほら、さっきの部室棟が足りないって話がやっとこさ職員室まで持ち上がって、増設するらしいよ」

「ふーん」


 それでもすでに部室を所有する園芸部とは関係ない話だろうと、聞き流しかける。ところが。


「もしかしたら、私たちの部室もこっちに移されるかもね」

「え、そうなの」


 そんな面倒な。


「わかんない。訊いてみないと。それより早く校門前行こ」


 その言葉に頷きながら、シロは香織に追いつくよう心持ち大股気味で歩みを再開した。

 正門付近にたどり着く。石垣の裏に隠されるように設置されていた蛇口から各々の手にするじょうろへと水を注ぎ、それを植木鉢の草花へと与えていく。


「存外、労働だね」

「慣れるまではね」


 苦笑いを浮かべかけたが、ふいに青い顔で振り返る。


「もしかして、昨日の腕の怪我がまだ痛む?」

「そっちは大丈夫」


 シロの返す微笑みに強がりの色がないかと探って、その表情は晴れることのないままに視線を逸らす。


「あれって、もしかして殴打魔だったのかな」

「……あぁ、病院でもそれっぽい話を聞いたけど」


 殴打魔。ここ半年ほどに突如として現れた連続傷害事件。その犯行に区別はなく、その凶行に感情はない。


 老若男女人畜生問わず一方的に殴られて、相手の顔を覚える余裕も与えられない。


 場所は一人の場所であればどこへでも現れる。ゴミを捨てに出た主婦が二度と階段を登れない身体になる。酒を飲んで帰ってきた学生が友人と別れ、玄関を開けるまでの距離で顔面を潰される。交番で一人夜勤をしていた警察官が車いすと無縁の生活に別れを告げる。


 目的は不明だが、たまにあえてそれらしく見せるためかのように財布が持って行かれた。その事実については捜査関係者の間で冗談のように囁かれる、殴打魔のおこぼれを浮浪者が現場から掠め取っているという説が最有力だったり。


 彼あるいは彼女の犯行が不可思議なのは、こんなにも多くの人を傷付けておきながら、いまだたったの一人も殴り過ぎて死んでしまった例がない点だ。被害者には乳児まで含まれるにも関わらず。どこまでなら殺さないままに人体を壊せるかということには、よほど気を使っているらしい。


 以上、おれが知る殴打魔への世間一般な認識だ。


 されど奴は、白々しくも首を傾げた。


「その殴打魔って人はぼくを殴ったのとは、また違うんじゃないかな」

「……」


 しかし妹は、じゃあ誰を見たのかと兄を問い詰めて困らせたりはしない。


 ただ振り返って、笑った。


「次は保健室の裏ね」




「どうして、香織じゃなくてあんたとなの」

「悪かったな、ギギマイ」

「何それ」


 古暮とシロはそれぞれ背中合わせに、マーガレットの横を伸びる名もない草をむしっていた。


「……」

「……」


 めったに会話が続かず、先ほどのように散発的な対話が飛び交う。互いに仲良くなるつもりもないけれど、さすがにシロが耐えかねて目を向けないままに尋ねる。


「妹とはどういう関係なんだ」

「親友以上、恋人未満、飲み友達、肺ガン予備軍」手を休めず、顔も上げないままに。「あんたこそ」

「偽の兄妹」

「どういう経緯でよ?」

「訊くか普通。天涯孤独になったから、矢羽根家へと息子入り」

「答えるかしら、普通」


 そこでまた、途切れる。草むしりはちょうど折り返しで、次に口を開いたのは古暮の方だった。


「綾宮クロって香織の何なの?」


 シロは手を止めて振り返った。かがんだままの古暮と目が合う。


 ため息混じりに雑草をむしる。


「どうしてその名前が君の口から出てくるのかな」

「つい持病の探偵癖で」

「何それ」

「香織のあんな顔、初めて見たのよ」


 それは今朝の話。シロのいない場所で行われたはずの。


「……あれは仕方ないよ」


 しかし奴はまるで見てきたような言葉を口にする。続けて。


「クロは、ぼくの兄なんだ」


 元が抜けているぞと、おれは笑った。


「義兄さんに兄がいたとは寝耳に水ね」

「今日会ったばかりでそんなプライベートが漏れてたら、さすがに妹の立て板に水を怒るよ。あと義兄さんと呼ぶな」

「あれ、でもシロ義兄ぃが留年してて、それでも同じ学年って?」

「あっちも色々あったんじゃないかな。あと今度その呼び方したらグーで行くからな」


 かたりと物を落とす音がして、振り返ったシロの背後にいたのは二人を呼びに来た香織だった。


 取り落としたじょうろを拾いもしないまま。


「え、シロに――あ、ごめん。嫌だったんだこの呼び方」

「違う。そうじゃない」


 泣きそうな瞳で。


「ごめんね、えっと……お」

「お?」


 お兄ちゃん?


「……バネさん」

「やめてバネちゃん」


 嘘泣きの口元がこらえ切れずに笑っていた。

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