3.チャンス到来、即。殴打
シロにとって懐かしく久しぶりの放課後という時間は、存外早くやって来た。授業の合間、すべての休み時間を質問攻めにされ、妹の過保護に構われ続けていれば嫌でもそう感じる。そして念願の部活デビューと、意気込んだところを香織の低頭に遮られる。
「ごめんねシロ兄ぃ、今日はお休みなの」
「あ、そうなんだ……」
続く話題もなく気まずい無言のまま、二人は連れ立って教室を出て廊下を歩く。辺りを見渡せば恐らく部活へと繰り出すのだろうスポーツ鞄を肩にかける一団。対照的に矢羽根家の兄妹は校門に一直線。下校を開始する。その間、五分足らず。帰宅部なら褒められたものだった。
奴はなるたけ気を付けてはみたものの、その意気の消沈は隠しきれず伝染し妹はヘコむ。その様子に慌てたシロは誤魔化すように尋ねた。
「月曜日は毎週活動してないのかな?」
「ううん、全員揃ったら不定期になんだけど」申し訳なさそうな表情を浮かべたまま、彼女は続けた。「ほら朝、遅刻してる部員がいるって言ったじゃん。あの子が結局欠席しちゃったから」
「なるほど……自動的にお休み、と」
道理で放課の直後、久留和がこちらに向けて苦笑いで手を振りながらまっすぐ昇降口へと出て行ったわけだ、とシロは思い出す。
「もしかしてその子って体弱かったりするの?」
「ううん、全然。ただ寝起きがちょっと弱くて」
「……ちょっと?」
「かなり……」
その苦笑にどうしてか責める色合いはなく、いつの間にやら元の落ち込みを忘れたかのような、むしろ溢れるほどの親しみを感じて。
「……ふーん、仲良いんだ」
「うん、私の大切な人」
「…………………………がわっ」よそ見をしていたら、電柱と額をぶつけあった。
「し、シロ兄ぃ大丈夫?!」
尋ねられたのは怪我の具合か頭かの具合か。
「心配しないで、日課の意思疎通だから」
「……電柱と?」
「視界に火花が散ったのは電波で通じた証拠」
などと自分と相手の双方を誤魔化してみても、気になるものは仕方がないらしく、額の痛みが引いた辺りで。
「それで、名前は?」
「え、香織だけど。まさか今ので健忘しちゃった?」
「そうじゃなくて、巷で噂の優良欠席児」
と、優良留年生の分際で見知らぬ他人をさり気なく貶してみる。
「そっちはね、古暮いつき。通称いーくん」
「妹はやらんぞ」
「は?」
「ごめん、気持ちが先走っちゃった」
「……あわわ」
処理できない量の情報に目を白黒させ始めた香織を、どこを叩けば元に戻るかなと思いつつ静観し、落ち着いたらしいところを見計らって尋ねる。
「部活がない時、健康優良児の香織はいつもどうしてるの?」
「え、いつも?」
期待通り、平常運転とまでは行かなくても赤面のまま動作のみは普段通りの香織が戻ってきた。
「直接帰宅部見習い、かな」
「あれ意外な」
「そうかな? 私、遊んでるみたいに見える?」
と、髪をいじって、くるりと回って見せる。遠心力に導かれるスカートが少しだけ浮力を持ち本来の軽やかさを思い出して、されど膝丈までも届かない。
言うつもりはなかったが、シロの脳裏に率直な感想が浮かんだ。
「田んぼにいそう」
「……案山子かな」
思わず口から出てしまった言葉にあははと苦笑いして落ち込むが、稲穂に紛れそうな身長では案山子としても大成は難しいだろうなとシロは思った。ちなみにシロの思い浮かべた正解はジャガなんたらにサツマなんたら。
とはいえ別段、互いに予定のある身でもないのならこれもまた好機。シロなりの放課後への理想を実現したいと思ったらしい。奴は提案してみた。
「ならちょっと駅前まで寄ってかない?」
「お、模範であるべき兄から寄り道のお誘い。不良への手招きは良くないですなぁ」
と、ニマニマ。
「目を輝かせながら言っても説得力ないぞ」
「だって、そうは言っても楽しみなんだもん。思わずニマっても、きっと恐らく仕方ないのだ。むふふ、シロ兄ぃと放課後デートですかぁ。憧れてはいたけどこんなの初めてだよ、去年までは考えられなかったな」
「……」
ちなみに言い出したシロの方も、去年まで考えもしなかったというのは同じで。つまりは放課後に誰かと遊びに行くという経験はこれが初となるのであるが、兄としてのプライドか口をつぐむつもりであるらしい。
「ちなみに、妹。うわさに聞くカラオケとかいうの所望します」
カラオケが都市伝説レベルって……。甘え方が下手なのも含めて、シロは目頭を押さえる。
「……何か不憫になってきたな。これでも女子高生なのに」
「し、失礼な! 模範生の鏡として校則を死守ってきたからこその――」
途端に慌てて日本語まで支離滅裂になる香織。
「わかったよ悪かった、これからは兄が責任持って付き合ってあげるから」
「責任感じるほど、憐れまれてる!」
こんなはずじゃなかったのにと、妹は頭を抱えた。
「私の御淑やかな美少女像が!」
美少女ってワードは否定しないんだけどな、とシロは視線を逸した。その頭についてる形容がねぇ。
「選曲も美少女香織だけ五曲連続とかでいいから、というかずっと美少女のターンでいいよ」
「おごりじゃん! わぁい、美少女最高!」
少女はヤケ気味に両手を挙げて飛び跳ねた。しかし芋過ぎるスカートはやはりめくれない。
冷静になってみると本人ら自身でさえ呆れるそんなやり取りを挟んで、何歌おうかなと香織は照れ隠しに呟きながらイヤホンで耳を塞ぐ。まだ住宅街から抜けてもいないうちから自分でも歌えそうな曲をスマホで探し始める。
一方のシロは自分以外の前でも、この子はこんな油断しきった顔を見せるのだろうかと一瞬不安になる。今日のクラスでの様子を思い出しては根本の性格は同じながら、ある程度の顔を使い分けているようだと複雑な心境ながら安心する。さすれば特別に彼女と親しい相手と勘案し、大切な人と称された存在を思い出しては結局誰なんだそれは、と。一人で一喜一憂、悲喜こもごもしていた。
場所は駅前まで続く車道の遥か手前。矢羽根家へと折れる交差点はつい先ほど見送るように通り過ぎた。カラオケ店までもこのまま歩いて二十分ほどの位置。カラスが啼き、空き地の不法投棄のゴミ山から飛び立つ夕暮れ。誰かが置き忘れた金属バットが剥き出しに立てかけられていた。手持ち無沙汰になったシロが見回しても人の姿はなく、遠くから線路を揺らす踏切の音が聞こえてくるばかり。
「……」
チャンスじゃないか。と、これはおれの独白。
アスファルトを叩く二人分の足音。
たたたっ、と背後に足音が加わり、振り返ったシロはおれと目が合う。
本日二回目、おめでとう。
拾い上げた金属バットを振りかぶるおれと。目が合った。
標的はむろん、シロではない。奴の隣で我知らずと、はしゃぐだけが取り柄の音楽に耳を塞がれる矢羽根香織。
つかの間に見た白昼夢。彼女の脳皮は陰唇じみたピンク色だった。
されど夢は叶わない。咄嗟の判断か、すでに危機を認識していたシロがかばう形でおれと奴の間に割り込み。
「……ちっ」
おれは極限まで達した憎しみのやり場を見失って、ただ振り上げた分の重さを持て余し、苛立たしくも邪魔な存在に向けて仕方なく振り下ろした。
背後でカラカラと転がる音がして、隣を兄がついて来ていないことに気付いた香織は振り向く。シロが一人で腕を抑えてうずくまっているのを見つけた。
「し、シロ兄ぃ?! どうしたの!」
「……ごめん香織」
「え……?」
奴は後ろ手に拾い上げた金属バットを彼女の視界に入らぬよう、そのまま背後に隠しながら。
「カラオケちょっと行けなさそう」
「馬鹿、そんな場合じゃないよ!」
一度だけ叫んでからはっとして、半泣きにあたふたして救急車を呼びかけた香織を止めつつ、どさくさに紛れてバットを適当な生け垣に向けて差し込み被害凶器を隠滅。向こうで不運にも突き当てられたらしき犬が吠える。
「ただ急に痛んだだけで、骨が折れたわけじゃないから」
「嘘でしょ、まだ傷が治ってなかったのかな……どうしよう、近くに病院あったかな」
シロとしてはおれが関わっている以上、この件を大事にしたくなかったらしい。
「いいよ、痛みも引いたし帰ろう」
しかしながら。
「いいわけないでしょ!」
キシャーと有無を言わせない猫威嚇。そのままの勢いで渋るシロを引きずるように診療所方向へと歩き始めた。
その間際。一度だけ振り返った奴は、路地の真ん中にやるせなく立ち尽くすおれを視界に認めたのだろう。おれも奴を見据える。
またあの表情。折れるほどに殴りかかってきた相手にさえ、あえて向けるほどの感情はなく、おれが相手であればなおさら取り繕うつもりもないらしい。こういう時、奴はきっと本当に何も思っていない。外側の出来事がただ内面へと染みこむだけの過程を眺めている。無。
おれは奴自身以上に、矢羽根シロのことを知っている。
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