第七章 グランディールの悪魔 第五話 悪魔の術
アルベスの屋敷で五人はソファに座っている。
「私のこと...何も聞かないのね」
シルファは小窓から外を眺めたまま、呟く。
「...今はまだ...何も聞くつもりはない」
僕はシルファの隣で俯いたまま答える。
「ところで小僧は、あのスープが私の血だっていつから気づいてた」
ルーシュがリークの隣に座って言う。
「最初は気づかなかったですよ。
髪の色が変わり始めた頃にもしかしたらって...」
リークは顔を上げルーシュを見ると苦笑いをする。
「なるほど...小僧はフォーカスより魔法の才がある、魔力を高める必要があったんじゃ。許せ」
「いえ、別に恨んでる訳ではないですよ。
むしろ感謝してます。魔法の師ですから」
リークは背もたれに背中を預けると天井を見上げる。
ガチャ
部屋の奥のドアが開き、アルベスが顔を出す。
「準備が整ったぞ、ルーシュのガキとシルファ、ルーシュも一緒に来てもらおうか」
三人が立ち上がり、ドアの方へ向かう。
「時間がかかりそうだな、俺たちは少し出ているぞ」
「そう、ね。また後でね。うふふ」
シャルマとエイラは立ち上がるとリークを見る。
「わかった、気をつけて」
リークはそう告げるとドアへ入っていく。
アルベスに続き暗い廊下を進んで、一番奥の扉の前で止まる。
アルベスは振り返ると全員を見る。
「いいか、心して聞け。
体をいじりだしたらもう後戻りはできん。
そのガキが悲鳴をあげようが喚こうが中断することはない。
シルファはここで待っていてもいいんじゃが、どうする」
「いいえ、私も行く」
シルファは凛として答える。
「ふん、成長しておるのは小僧だけではないようじゃな。
あの大泣き虫の小娘が」
ルーシュがぼそっと笑う。
「...昔の話よ」
シルファもボソッと小声で返す。
「......行きましょうアルベスさん、覚悟はできてます」
リークはそう言うと、アルベスを見る。
「では始めよう。ついてこい」
ガチャ
扉を開くと、真ん中に布を敷いた台がある。
周りには色々な薬や機械がずらっと並んでいる。
「ここにうつ伏せになれ、目は閉じておいたほうがよい。
あと、これを噛んでおけ。歯が折れんようにのう」
アルベスはリークに近寄るとふわふわの小さい布を渡す。
「わかりました、ではお願いします」
そう言うとリークは台にうつ伏せになる。
「シルファは少し手伝ってくれ、魔法脈に触れているだけでいい。
このガキの魔法脈...お前が近いと安定しておるようじゃ」
「わかったわ」
シルファはリークの横に立つと、片手で首の所に触れ
片手で手を握る。
「シルファ。手を握るのはやめたほうがよい、握り潰されるかもわからんぞ」
アルベスが困り顔でシルファにそう言うが
「いいえ、右手なら大丈夫。もし握り潰されても私はそれでもいい」
シルファが哀しそうに俯く。
「......シルファ...なぜ右手の事知ってるんだ......」
リークが小さい声で問いかける。
「話はもうよい。アルベス、私は何をすればいいんじゃ」
ルーシュが割って入るとアルベスは
「ああ、それなんじゃが......。
成功は二割くらいじゃ、失敗したときにこいつに魔力を供給し続けてほしいんじゃ。
その間に命だけはとりとめられるよう魔法脈を断ち切る処置をする。」
「あなた今なんて......二...割...?」
シルファは愕然とアルベスを見る。
「そうじゃ、普通の魔法脈なら簡単じゃが...こいつのは細すぎる。
ワシもここまでとは思ってなかったからのう。
じゃがまあ、ノワールの左腕のときよりは遥かに現実的じゃ。
奴は死を乗り越えたのも同然じゃからのう」
アルベスはそう言うとルーシュを見る。
「ふん...私の一番弟子じゃぞ。構わんからさっさとやれ」
ルーシュはそう言うと近くの椅子に座り目を閉じる。
「では始めるぞ」
アルベスはそう言うと、近くの太い針を持ち、背中に突き刺す。
「......!」
リークの背中に激痛が走る。
ふわふわの布を全力で噛みしめる。
思わず両手に力が入り、シルファの手にも力が入っているのが分かる。
次々に針を刺していく。
その度に激痛が走り、意識が遠のいていく。
不意に右肩の所に一滴の水滴が落ちる。
シルファの手が震えているのが分かる。
また一滴、また一滴と。
「お前たちしっかりせい、本番はこれからじゃぞ」
アルベスはそう言うと、刺さった針の内一本に薬を注入する。
「この薬が魔法脈に触れると魔法脈が反応して拡張されるはずじゃ。
あとは、リークの体が受け入れるかどうかじゃ。フォーカスのせがれとはいえ半分は人間の血じゃからのう」
「いいやアルベス安心せい、私の血も混じっておる」
ルーシュは目を閉じ椅子に座ったまま言う。
「そうじゃったな、では」
アルベスは薬を注入した針をさらに深く刺していく。
針の尖端が魔法脈に触れた瞬間、全身を切り刻まれる痛みが走る。
「ぐ......あぁぁぁぁぁぁ!」
無意識に悲鳴が出てくる。
シルファの手にさらに力が入る。
後ろの方で椅子が倒れるような音も。
次々と針が深く刺されていく。
その度に、激痛と悲鳴。
意識が遠のいていく、全身のありとあらゆる感覚が麻痺していく。
「意識を失うとまずい、起こすのじゃシルファ。そこに冷水があるじゃろう」
「......わたしには......できな...い」
シルファがか細い声を漏らす。
「シルファやるんじゃ、やらなければこいつは死ぬ」
「いやアルベス、私がやろう」
ルーシュがリークの顔の前に立つと冷水を浴びせる。
意識が覚醒していき、激痛がまた押し寄せる。
「あ...ぁぁぁぁぁぁあ」
リークと悲鳴が部屋中に響き渡る。
リークの目の前にルーシュの涙が零れ落ちてくる。
そっとルーシュを見ると、凛とした表情だがその目からは涙が零れ落ちている。
さらに続く激痛。
時間が過ぎて行く。
悲鳴をあげる気力すらなくなっていく。
声が聞こえてくる。
...リーク
誰?
......あなたならできるわ
できないよ、もう何もできない
......できるわ...あなたは私の...たった一人の自慢の息子よ...
......あなたは強い子よ......さあ...
母さん。
「...脈が反応しおった。ルーシュ、ガキは生きておるか?」
アルベスがそう言うと、ルーシュがしゃがみリークの目を見る。
「ああ生きておる、どうすればいいんじゃ?」
「頭でも撫でてやれい、あとは針を抜いていくだけじゃ」
アルベスは針を慎重に一本ずつ抜いていく。
全ての針を抜き終わると、シルファが背中に抱きつき泣き崩れる。
「シルファ、気持ちは分かるが血を拭いてやらねばならん。
お前も血を洗い流してこい、奥に井戸がある」
アルベスはそう言うと二つの大きい布を持ってきて、一つをシルファに差し出す。
「......ええ。ありがとう」
シルファは俯いたまま布を受けとると、ヨロヨロと奥の部屋に入っていった。
アルベスはリークの血を拭き終わると、静かにリークに告げる。
「もう寝てよいぞ」
その言葉を聞いたとたんに、リークの意識が遠のいていく。
母さん、ありがとう
「小僧...寝たか......」
ルーシュはリークの頭を撫でている。
「ルーシュ、もしやシルファとはフォーカスとアリファの子ではあるまいな?」
アルベスが不意に問いかける。
「......察しがいいな怪物、じゃが父はフォーカスではない。
遥か北にあるクリスタルウォール、そこに棲む人間がシルファの実父じゃ。
私も小娘が幼い頃に会ったことしかないからのう、見間違えたわ」
ルーシュはリークの頭を撫で続ける。
「なるほどのう、アリファの古郷か。
もしや近々噂に聞く吹雪の姫とはシルファの事か?」
アルベスが椅子に座り水を飲みながら聞く
「そうじゃろうな...クリスタルウォールからヴィーリーム、そしてケーティスに行き着いたのじゃろう。
ガリオラの反逆の後すぐに、実父の所に連れて行ってから後は知らんからのう」
「...なるほどのう、泉の森で暮らすは里の伝説の末裔......か」
アルベスはコップを置くとリークの横に近づく。
「勝てるのか?このガキはノワールに」
「勝てるかどうかはわからんが、一対一なら負けぬ」
「負けぬ...か。じゃがもう遅い、竜がノワールに味方したんじゃ。
各国が蹂躙されるじゃろうな。
大地の竜も敵に回るじゃろう」
「いやそれには手を打ってある。あれは純血ではない。
竜人...聞いたことあるじゃろ?あれは白竜の女じゃ、白竜が味方につけたはずじゃ」
「天空の白竜も竜人なのか?!それは初耳じゃったわい」
「ああ、あの二人は二人で一人じゃ。
ここの二人もまた二人で一人なのかもしれんがな」
ルーシュはそう言うと、少し笑みを浮かべる。
「がははは......らしくもないのう、あのガリオラの反逆を一日で壊滅させた魔神が...親バカとは」
アルベスが背中の布を取り替えながら笑う。
「あの事件のせいでノワールに隙を与えてしまったからな。
じゃがあれがなければ小僧との思い出も無かったのだと考えると、ちと寂しい気持ちはある」
ルーシュはリークを見つめたまま話す。
「小娘はおそらく私が憎かろう、小僧と引き離した張本人じゃからな。
じゃがあの時はそうするしか道はなかった。
時計塔に干渉したフォーカスはアリファとシルファを取り戻しはしたが......」
「なるほどのう、それでお前さんは里に引っ込んでおるのか」
「そういうことじゃ、アリファは常にフォーカスの傍らにおる。
じゃが問題はそのあとじゃ。
フォーカスの意識を拾いフォーカスとアリファとシルファの記憶をあの小僧が回収した。
あれはクロノスに語りかけられたのじゃ。
おそらくクロノスはノワールがこの地を蹂躙する未来を変えるための駒が必要じゃったのじゃろう。
クロノスが語りかけたのは小僧ともう一人、リントヴルムじゃ。
天空の白竜は大地の竜と決別し竜の覇者になるために。
小僧は全ての記憶を無くし、ノワールと戦う英雄となるために。
リントヴルムはフェンリルとともに人になりたいと望み、
小僧は家族の無事を望んだ。
クロノスは望みを叶え、未来を託したのじゃ」
アルベスは椅子に戻ると、コップに水を注ぎながら
「ルーシュお前もクロノスに食われておらんじゃろうな」
ルーシュはクスクス笑い
「安心せい、クロノスの声を聞いただけじゃ。
私は古の神意などに関わるつもりはない。
とはいえ、先日ラグナロクの歴史書を持ち出したがの」
「あの真っ赤な空はお前の仕業か」
アルベスは呆れ顔でルーシュに水を渡す。
「それはそうとしてルーシュ、なぜガキどもに真実を話さんのじゃ」
「それはまだできん。クロノスの意志がノワールを拒絶している以上は、私たちで勝利する未来に進まない限りクロノスが全てやり直してしまうじゃろう。
リークとリントが勝てん限りはこの世界に未来はない。
ノワールはそれをまだ知らぬ」
「ノワールに告げても未来は変わらぬじゃろうな。
なるほどのう...」
ガチャ
奥の部屋からシルファが出てくると、リークの隣に椅子を置き座ると手を握りしめる。
「リークはどうなってるの?」
「ああ、いまはぐっすり眠っておる。
念のため拒絶反応がないか今日はここで看てやるつもりじゃ」
アルベスはそう言うとコップに水を入れシルファに渡す。
「......そう、なら私もここにいるわ」
「そうしてやるとよい、では私は行くとしよう」
ルーシュは立ち上がると、出口に向かい歩き出す。
「ああ、そうじゃ小娘。
リークが起きたら伝えてやるとよい。
砂漠の国にリーシアの墓があると」
バタン
扉の閉まる音ともに、ルーシュは姿を消した。
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