17.Illi nubä kai illi blobœ

天気が毎日変わって、空を覆っていた雲が次の日にはどこか知らないところへ飛んでいってしまうように、時は次々と移り変わっていく。

俺が久しぶりのバイト先に顔を出すと、新入りの子が店長に怒られていた。

動きが遅いだの、全体の動きが見えていないだのと店長は言っていたが、入ったばかりの人にそんなこと言ってもできるわけないだろうと遠目から聞いていて思った。

店長はとても怒りっぽく、ここで変なことを言うとさらに逆上することは目に見えていたので俺は口に出すのを控えていた。しかし彼はとても落ち込んでいるように見えた。俺は初対面ながら少し不憫に思った。



三時間ほど働いて休憩に入った。久しぶりに働くと疲れるなぁなんて思いながら休憩室に入ると、さっきの彼がいた。

彼は俺に気がつくと「あ、今週から入った田中です。よろしくお願いします!」と元気に挨拶してくれた。

「よろしく。あ……さっきの見たよ」

彼の姿を見ると、さっきの落ち込んだ姿が思い出されてしまい、言わなくても良いような一言が口から飛び出てしまった。

「あ……なんか怒られっぱなしで。もっとテキパキ仕事できたらいいんですけど……」

彼の声色が変わる。さっきのことを思い出させてしまったみたいだ。

「気にすんなよ。店長人使い荒いし、すぐキレるしさ。時給が高いからみんな言うこと聞いてるけど、そうでもなかったらみんな辞めてるよ」

慌ててフォローを入れる。取り繕った言葉だが、嘘ではない。

「ありがとうございます。でも時給が高いのは本当ですね」

空気が重くなってしまった。話題を変えようと出勤表に目を移すと、彼が毎日シフトを入れているのが見えた。

「毎日出勤してるんだ。偉いじゃん」

「ああ、そうなんです。本当は夢があるんですけど、どうしても生活費のために働かなくちゃいけなくて」

「夢?」

「実はバンド組んでて、ライブもやったり曲も出したりしてるんですけど、ちょっと色々あって活動休止する予定で。最近はライブもやっていないから貯金も尽きてしまって、それでバイト始めたんです……」

夢か……。

「そっか……。でもさ、夢があるっていいことだね」

ありきたりな言葉だったが、でも俺は心の底からそう思った。

「……でもまあ、本当に売れるかどうかもわからないし、もし上手くいったとして、いつまでいつまで続けられるか……。活動も休止しちゃってますし……」

「大丈夫。上手くいくよ。応援する」

根拠はなかった。でも、そうであってほしいという気持ちから自然とそう言っていた。

「ありがとうございます!今度、最後のライブをやる予定なんです。もし良かったら来てください」

彼は鞄から一枚のチラシを取り出した。ライブハウスの中で叫ぶように歌う彼の写真の上に、Growing Esperanzaと書かれている。バンド名なのだろう。なんだか知らないけれど、とてもいい名前だと思った。

「うん。必ず行くよ。来週の日曜日はちょうど何もないし」

「ありがとうございます!ライブハウスの人に言って、ドリンク1杯無料にしときますね」

「そんなことできるの?」

「もちろん、いつも使ってるところなんで!」



バイトから帰る道、地下鉄の満員電車の中、仏頂面の人の群れの間を妙に殺気立った空気が漂うのを感じながら、俺は田中との会話を思い出していた。

夢に向かって突き進もうとしている田中と、就活中なのにやりたいことがわからず、挙げ句の果てにはこの東京の裏側に存在する異様な街に出入りして、抜け出せなくなってしまっている自分を見比べて。

『やらなきゃならないことがあるんじゃないか』

俺は窓ガラスに映る自分の姿に心の中で問いかけた。

しかし、その答えは出なかった。

家に着いてテレビをつけると、例の占い師 榊明美が出演していた。

落ち着いた淡い紫のスーツを着て、色とりどりの宝石を手首や首にぶら下げている。彼女は囃し立てる他の出演者に「テレビに出ることが夢だった」と目を輝かせて言った。

多分、彼女はあの街に出入りしている。あの街は運を司るとかなんとからしい。もしかしたら、あの街で活動することが夢を叶える一つの道になるのかも知れないとも思った。

その時、背後に妙な気配がした。

振り向くと、そこに魔導師から貰った便利な水晶があった。久遠石とか言ったっけ。

なんか呼ばれているような気配がしてそれを手に取ると、その上から魔導師の姿がホログラムのように浮かび上がった。

「……どう?調子は」

「えっ、あ、まあまあです」

急に話しかけられたので仰け反ってしまう。

「そう、それは良かったわ。悪いけど、今すぐアマガハラに来てちょうだい」

何が良いのかわからないし、急に呼ばれる意味もわからない。

「え、それはなんでですか」

「見せたいものがあるの。迎えが来るはずだから、あとはよろしくね」

「見せたいものって……」と俺が言いかけたところで魔導師の姿は消えた。

その時、インターホンが鳴った。

恐る恐る玄関のドアを開けると、そこには真っ黒のライダースーツを着た男女3人組がいた。彼らは首からかけた魔導石を手に取って俺に見せつける。

「魔導師様から話は聞いているな」

「魔導師の手下か。なんでだ」

「命令だ。いいから早く来い」

そういって男が俺の手を強引に引き、外に連れ出した。

鍵くらいかけさせてくれと言うと、男は小さな銃を取り出して玄関のドアに向けた。

「ちょっと、何をする気なんだ!」

男は動じず、そのまま引き金を引いた。

カチッ……。

俺の「やめろ!」という声が虚しく響く。弾は出なかった。代わりに、フラッシュのうような閃光がドアを一瞬照らした。

「は?」

「これで大丈夫だ。早く来い」

男はそう言って再び手を引き、アパートの前に連れ出した。そこにはバイクが三台停まっていて、その一台の後ろに俺を強引に乗せ、他の二人はそれぞれ残りのバイクに跨った。

「ほい、これ」

男は前からケーブルのようなもので繋がれた黒いプラスチックのマスクを俺に差し出した。

「なんだよこれ」

「良いからつけろ。付けないと、死ぬぞ」

何をする気なのかわからないが死ぬのは嫌なので渋々つける。ケーブルはバイクの前面に取り付けられた四角い機械に繋がれている。男も俺と同じく機械に繋がれたマスクを顔に付け、他の二人も同じようにした。

「危ねえから捕まってろよ」

そう言うと、男はバイクの鍵を回した。エンジンがかかり、マスクが繋がった機械の電源が入る。赤いデジタルの数字が三つほど画面に表示されている。

男たちはエンジンを吹かすと、この狭い道路で急加速し始めた。

目の前には塀がある。

おい、馬鹿じゃないのか?死ぬぞ。

声を出そうにもマスクに遮られて呻き声しか出ない。

バイクはものすごい勢いで加速していく。目の前の塀がどんどん迫って来る。

その時、男が機械のボタンを押した。

同時にマスクの中に得体の知れない気体が充満して、体が軽くなる感覚がした。

バイクは加速を続ける。塀が至近距離に迫った。

ぶつかる!!

そう思った時、突風が吹いた時のような衝撃がふわりと身体を包んだ。

目を開ける。俺たちはバイクごとその壁をすり抜けていた。



目の前が一気に開ける。ここは……アマガハラだ。

ほっと胸を撫で下ろすと同時に怒りがこみ上げて来た。

こんな手荒な真似で連れてこられたのは愛美に拉致されたとき以来だ。

俺はマスクを剥ぎ取って「なんてことするんだ。死ぬかと思っただろ!」と声を上げる。

男は「ま、死ななかったからいいじゃねえか」と動じるそぶりもない。

俺たちが進む少し先に大勢の人だかりが出来ているのが見えた。

「裁きか……?」

「そうだ。魔導師様はこれをお前に見せたいんだとさ」

男はそう言ってバイクを走らせた。

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