16.Ili Komercœ

俺はサキとアマガハラで待ち合わせることにした。魔導師から与えられた水晶は通話や時間表示の他に現実世界の好きな場所を中継したり、アマガハラの地図を表示させたりできた。まるで念力で動く丸いスマートフォンみたいだ。

待ち合わせ場所は『ペロ』という喫茶店だった。地図を頼りに進むと、

大通りに面したビルの中にその喫茶店はあるようだった。

ここって確か……。

そこには前に一度来たことのあるような景色が広がっていた。

地図に表示されたその喫茶店のあるビルの透明な壁に手を当てる。

すると壁の中から、木でできた取っ手が現れた。

取っ手を引くとカランコロンと音が鳴った。カウンターの奥に毛むくじゃらの狼のような店主がいた。

「いらっしゃい。今日も待ち合わせかい?」

やっぱりだ。前にサキと聖石プラーナを採りに行ったときに待ち合わせた喫茶店だ。

「あ、そうです。お久しぶりです」

「何か飲むかい?」

「じゃあ……カフェオレで」

上のメニューに『カフェオレ』の文字があったのでそれを注文した。

カウンターに座り店内を見渡すと今日もあまり人は入っていないみたいだった。

「はいよ」

木でできたカウンターの上にカップが差し出された。白みがかった虹色の液体がなみなみと注がれている。

これが、この街のカフェオレか……。

この街の食べ物は何から何まで虹色に光っている。これもそうなのだろうけれどもやっぱり気が引ける。

諦めを抱きながら虹色の液体を一口すすってみる。ちゃんとカフェオレの味がした。口に広がるほのかな甘みと温かさは喉を伝って沁みていくようだった。まるで自分の中の悪いものが消えるでも追い出されていくでもなくじわじわと浄化されていくみたいな、そんな優しさのする味だった。

店の奥にはこの前俺とサキが待ち合わせたテーブル席があり、その奥には店の外を一望できるような大きな窓があった。

窓を通して通りが見えた。透き通ったビルの隙間を淡い光を放つ人と車がまばらに行き来するのが見える。現実世界で明け方に照らされて急ぐでも留まるでもなく蠢く人と物の姿が、この街では一日中繰り返されるのだ。

俺が外の景色に見とれていると、後ろから大きなエンジン音がした。

振り向くと、店の前に赤いスポーツカーが停車しているのが見える。

「はぁー。疲れた」

運転席から出て来たのはサキだった。

サキは心底疲れきった顔で店の中に入り、「マスター、いつもの」と言った。

「またド派手にやったのかい」

サキの服はボロボロに汚れていた。

「しょーがないでしょ。今日の依頼者なんにも事前情報教えてくれないんだもん。あんな技使えるんだったらもっと宝具も技も用意していくのに。」

「勝てたのかい?」

「当たり前でしょ。強そうな宝具の力に頼ってる二流なんて相手じゃないよ」

「そうかい。でも魔導石はその『卑怯な宝具』じゃないのかい?」

マスターは俺たちに背中を向けてそう答える。カウンターの下から緑色の缶を取り出して、プルタブを開けた。

「だから違うって。わたしたちは魔導師様の作った魔導石に帰依しているの。そこらへんの雑魚と一緒にしないで」

「高尚だねぇ」

マスターはサキの前にその缶を置いた。

サキは「でしょー」と言いながらHeinekenと書かれたその缶を口につけゴクゴクと美味しそうに飲み「ぷはぁーっ」と気持ちよさそうに息を吐いた。

「そんな高尚な人が物質界のこんなものを飲んで良いのかい?」

「いいのいいの。こういうのは俗なほうが沁みるんだから」

サキがもう一度缶を傾けゴクゴクと飲み干す。

それを待ってから、俺は切り出した。

「あのさ、今日呼んだ理由なんだけど……」

「ちょっと待って。その前に言わせてほしいことがあるんだけど!」

サキは強い口調でそう言った。

「な、なに?」

「自分がなにしたか覚えてないの?」

「えっと……ごめん」

サキは「はぁ」と深いため息をついた。

「裁きが終わったら久遠石に帰依するって約束だったよね?なんでわたしの名前を出したの?」

その言葉で思い出した。

もともと裁きが終わったあとは魔導師の部屋にあったあの巨大な玉、久遠石に帰依する予定だった。しかしどう言うわけか俺はサキの名前を叫んだ記憶がある。

あれは夢じゃないのか……。

「それは……あの時は錯乱状態だったっていうか……」

「錯乱?意味わかんないんだけど!」

「ごめん!今度マナにどうにかしてもらえないか聞いてみるよ」

「何言ってんの?」

「……変えられない感じ?」

「変えられないことはないよ。でもそんなことしたらマナに魂半分くらい持ってかれて廃人になるよ」

廃人……。魂を持ってかれる……。

「それは……嫌だ……」

「自分がどんな状況かわかった?」

「うん……」

その時、「はいはい、そう熱くなっても仕方ないんだからこれでも食べて」とマスターが料理を出した。

衣がついた何かのフライらしきもの、ポテトフライ、野菜スティックやチーズがさらに綺麗に盛り付けられている。見た目も匂いも美味そうだったが、俺はそこで違和感を感じた。

虹色じゃない。

この世界で出てくる食べ物や飲み物の類は大体サイケデリックな虹色なのだが、これは違った。ちゃんと現実世界と同じものが存在することにどこか安心感を覚えつつ、当たり前の姿をした食べ物がこの世界で出てくることに逆に気色悪さも感じる。

サキはポテトをつまみながら「はっきり言ってありえないからね。帰依ってのはもっとこう、高尚な魂にするものなの。急に指名されたわたしだって大変なんだよ!?君がもし大変な目にあったらわたしの徳は失墜する。それはわたしのチャクラのレベルが下がってしまうことを意味するの。チャクラのレベルが下がれば戦闘力も下がる。裁きで勝てなくなればわたしはこの街にも居れなくなる。わかってる!?」

「ごめん。迷惑を掛けてしまって……」

「はぁ、もう過ぎたことはしょうがないけど」

サキは短くなったポテトの端を口に放り込むと、二本目の缶をぐいと煽って言った。

「しょうがないから、君が一人前になるまで引き続き一緒に戦ってあげる」

「本当か!?」

「うん、いいよ。魔導師様には『自分に帰依するものがいることはリスクにもなるけどチャクラのレベルも上げやすい』って言われたから。でも、本気でやってね。まさかもう現実世界に未練はないとは思うけど」

「え?」

「『え?』って……?」

「……正直な話、裁きが終わったあとは裁きもしなくて済むような方法を探してこの街を出て行きたかったんだけど」

「そんなことできるわけないじゃん」

甘えたことを言うなと言わんばかりにサキはそう言った。

「君はあの裁きでこの街に迎え入れられたんだよ?そしたらいろんな強い霊が君を襲いにくるかもしれない。それから守るためにわたしが協力するだけで、基本は琳乃介が戦って強くならなきゃいけないんだよ。それでもうまく行くかわからないのに」

「……そうか」

肩ががっくりと崩れる。でもそうか。サキにはっきりと言われて気づいた。俺は自分がこの街からの呪縛を甘く考えて、あえて直視しないでいたように思えるのが少し悔しかった。

「あと、守るのは条件付き。わたしと一緒に上の階層を目指すこと」

「上の階層って……?」

「魔導師様たちは『フロンティア』って呼んでる。よりチャクラのレベルが高い魂だけが行ける世界」

「どんな場所なんだ?」

「行ったことないからはっきりとどんな場所かはわからないけど、ここより清浄なところだって。で、とにかくチャクラのレベルを上げてわたしと一緒に上の階層を目指してほしい」

「そうしないとダメなんだよね……?」

「それは守ってくれないと君を守ることはできない」

「……わかった。そうする。でも、なんで俺を連れて行くの?」

「それは魔導師様が君を上の階層に連れてきてほしいと言っているから」

「どうして?」

「わからないけれど、ここに来る前に上の階層で天の声を怒らせるようなことをやったでしょ。逆に言えばそれは天の声に対抗できるほどの力を持っているってこと。多分それで魔導師様は琳乃介には才能があると思っているんだと思う」

「天の声は敵なの?」

「敵じゃない。この街を運営してる魂、神様みたいなものだからね。迎え入れの裁きを乗り越えたわけだし、そもそも天の声にはわたしたちの本質が見えるはずだからこの街でまっとうに暮らしてれば大丈夫だと思うけど。ただ過激な信奉者は攻撃をしてくるかもしれない。あ、それと、他の人を助けようなんて思わないでね。今の君には人の裁きを肩代わりできるような強さはないし、わたしが加勢したところでたかが知れて……って何その顔?」

サキが俺の表情から何かを察したようだった。

「もしかして、誰かの引き受けた……?」

俺は恐る恐るうなづく。

サキは「嘘でしょ。じゃあ、このわたしを呼びつけた理由はそれ?」と怪訝な顔で言った。

俺はもう一度静かにうなづくと、サキは大きくため息をついた。

「悪いけどそれはすぐ断って。マナとかには言ってないよね?」

「言ってないけど、何で?」

「あ、知らないんだ。裁きを始めるにはマナに言わないといけないから」

確かに今まで見た裁きは全てマナの許可をもらっていた。

「マナに言わないとどうなるんだ?」

「裁きはできないし、勝手に人を襲えば罰が下るよ。とにかく、誰だか知らないけど、その依頼してきた人の話は断っておいて」

「うーん……」

さすがにおいそれと返事をすることはできなかった。

「断って!」

「……うーん、考えとく」

「絶対ダメだからね」

「ごめん、俺も聞きたかったことがあるんだけど」

「何?」

「その人が言ってたんだけど、迎え入れの裁きで特に戦ったりしなかったって」

「まぁそういうこともあるよ」

「でも何で俺のときはあんなに手強かったんだ?」

「……わたしもよくわからないけど、多分この街から試されたんだと思うよ」

「試された?」

「そう、天の声を怒らせたわけだからね。街の住人として問題ないか試されたんだよ」

「でも天の声はこの街を支配してるんだろ?もし俺のことが憎いならすぐ探し出して捕まえればいいんじゃないか?この街を支配できるくらいならそのくらい簡単だろ」

「天の声はそんなことはしない。例え怒らせたとしても、街の一員として認められる魂ならちゃんと許してくださるの」

「そうなのか」

「多分」

「多分かよ」

「でも天の声は街の声。この世界を正しい方向に導いてくれる魂なんだから逆らったことをちゃんと反省すればきっと許してもらえる」

「本当に神様なんだな……」

でも俺はその神様に何かをやらかしたらしい。こんな一介の人間が神様に逆らえるようなそんなもんなのか?

マスターに目を移すとカウンターの奥でクリスタルのようなものでできた細長いナイフで、黄色く光る聖石プラーナを薄く切っていた。

「えっ、それ聖石?」

思わず声を発してしまった。それもそうだ。前に聖石に触った時は石のように硬かった。それがあんな薄いナイフで玉ねぎでも切るように簡単に切れてしまうとは思わなかった。

マスターは「そうだが、聖石なんてこの街じゃ珍しくもないだろう」

「いや、聖石がそんな薄いナイフで切れるの?」

「ああ、これは硬い聖石も切れるように加工をしてあるんだ。まあこのナイフも聖石から作られたもんだがな」

「聖石は何にでもなるのか」

「ああそうだ。聖石は処理の仕方でどんなものも作り出せるんだ。道具にも食べ物にも飲み物にも、甘いものにも塩辛いものにもな。なんならその車の燃料にもなる」とサキの車を指し示す。

じゃあこの料理も聖石から作ったのか?と聞くと違うらしい。

サキが「マスターに頼んで物質界から仕入れてもらってるんだよ」と言う。

「この街じゃ物質界のものは汚れているとされて忌み嫌われるてるんだが、中にはサキちゃんみたいに好き好んで食べる変わり者もいてな。大ぴらにならないように物質界から仕入れてるんだ」とマスター。

サキが「変わり者で悪かったね」と不服そうに言った。

「輸入してるの?」

「そうだ。逆に、現世から持ち込んだものに聖石の処理を施してスピリチュアル製品として売り渡されることもあるぞ。聖石自体は物質界の人間には観測できないから持ち出されないから物質界で聖石の存在を知っているやつはあまりいないがな」

「魔導石も同じようなものだよ」とサキが言った。

「あ、ガラス玉に加工してるってそういうことか」

「そう、正解!」

俺たちはそうして長い時間駄弁っていた。マスターが何か飲めというので、せっかくならこの街のものを飲みたいと言うと虹色のカクテルが出てきた。やはり、聖石でできたこの世界の食べ物はみんな虹色になるみたいだ。マスターの腕に間違いはないのだろう、それもまた美味しかった。

聞けば聖石もその人の特性次第で作り出せるものが変わるようだ。ミキサーに混ぜて液体を作るくらいは誰でもできるらしいが。

気がつけばサキは酔いつぶれて寝てしまった。

店を照らす暖色の明かりが淡い虹色の飲み物を透かして、グラスの下に綺麗な模様を作った。

「ねぇ、マスター。マスターはどう思うの」

「何がさ」

「さっきの話。俺だって自分で引き受けた話、自分でどうにかしたいよ。でもうまく行くかわからないからサキに頼んでるのに。何だよあの言い方は」

「サキちゃんと一緒に上を目指せば良いじゃないか」

マスターはあっけらかんと言う。

「いやだ、こんなオカルトの世界。上に何があるかわかったもんじゃない」

「今目に見えてるもんを信じられないのは、逆にオカルトじゃないのかい?」

「それは……」

「なんでそんなにこの街を嫌がる?」

マスターが優しくも鋭い目をした。

「いや、別に嫌がってるわけじゃ……」

「まあこの世界ってのは不思議なもんでさ。俺みたいに一度死んだ魂は生きてたころの記憶が夢だったかのように思い出せなくなっちまう。でも、たった一つ覚えているんだ」

「……マスターも亡くなっているの?」

「ああそうだ。おれはどこかで何かの仕事をしながら、孤独に生きていた。そこでどこで出会ったのかもよくわからない薄汚れた犬があまりにも可哀想なんで餌をやってたのさ。名前はペロっていってな。いつも無愛想に餌を食うんだ」

マスターはグラスを白い布で丁寧に拭きながらそう言った。

「それが自分を見てるみたいでさ。なんか愛着が湧いていつも餌をあげていたら懐かれてな。しばらくそうしているうちに、一緒に住むようになった。安い紐買って散歩に行ったり、一緒に風呂入ったりな」

明かりのせいだろうか、彼の目が少しばかり煌めいたように見えた。

「そんなこんなで短い間だったけど、突然その日は来たんだ。いつか来るとわかっていてもやっぱり悲しくて、柄にも合わず小さい墓を作った。その時気付いたんだ、ペロは俺にとって唯一の親友だったんだと。まあしばらくしておれも逝っちまったみたいだが、この街に来てみたらどうだ。ご覧の通りのもふもふさ。この街に来ると生前のカルマが目に見えるようになるとか言う話だが、こんなにあからさまだとは思わなくてちょっと笑っちまったね」

「それでどうしたの?」

「まあ、ペロを世話した縁もあってこの街に来た、どうせならこの人の世話をしたいと考えて店を作ったんだ。おれの中に眠るペロも寂しくないようにな」

「裁きとかはしないの?」

「迎え入れの時だけだな。あとはそういう物騒なもんからは距離を置いてる」

「俺もそうしたいんだけど」

「でも、できないものはしょうがない。それに、どうせ裁きをしなくてもこの街と付き合っていかなくちゃいけないんだ。せっかくサキちゃんが一緒に戦ってくれるって言ってるんだぞ」

「そうだけど……」

「この街の住人はみんな『自分がここにきた理由』を全うしなければいけないと考えている。おれはいまやってるこの仕事がそれだと思っているが、お前さんは物質界から迷い込んで来た身だ。色々やって見て、ダメならそれこそサキちゃんや魔導師になんとかお願いして物質界もといたところに返して貰えば良いんじゃねえのか?魔導師も見込んでたって話だし、無下にはしないんじゃねえかな」

「そうだといいけど」

カウンターに突っ伏して寝るサキの服は見るからにボロボロで、裁きの激しさが伺えた。

そんな裁きだったんだ。こうやって寝てしまうのも無理はないよな。

俺はマスターに毛布をもらい、サキの肩から掛けてやった。

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