13.Vojer
気がつけば俺は自分の部屋にいた。
目覚まし時計がけたたましく鳴る。
手を伸ばし、アラームを消そうとして気がついた。
『8日 AM6:13』
デジタルの数字が長方形の画面の中に光る。
『貴方が見たいものを貴方がみたい形で見れるわ』
魔導師の言葉が
「見たい形って、そういうことか……」
久しぶりにあの世界に行ったからか、頭が少しガンガンする。
「痛っ……」
ポケットに手を突っ込もうとして何かが指を刺した。
『株式会社
それはあのとき受け取った名刺だった。
『どうか、頼むから!話だけでも!!』
あんなに
でもなんで。
ていうかなんで愛美が現れたんだ。いや、そもそも愛美は何者なんだ。
答えのわからない疑問が頭の中で現れてはぐるぐると泳ぎ回った。
『このアストラルに住めるのはね、善いことを為したり、人から敬われたりしている魂だけなの。つまり徳が高いということね』
魔導師は徳の高い住民を選別するために裁きが行われると言った。
徳ってどいうしたら身につくんだ……。
人助け……とか?
ポケットに入れっぱなしで少し縒れてしまった名刺が朝日に照らされる。
「よし!」
裁きのために呪文覚えなきゃいけないのはわかっているけど、どうしても一度話しだけでも聞かなければいけない気がした。急いで身支度をして部屋を出る。
名刺に書いてあった住所をスマホの地図アプリで検索する。
その会社は東京湾沿いの、水路が入り組んで陸から切り離された埋立地の中にあるみたいだった。
俺は電車を乗り継ぎ人混みの中を揺られて、約1時間後、海沿いのそれほど大きくない駅にやって来た。
真昼の日の光の粒を反射する
直方体のコンテナがいくつも並ぶ大きな船舶とともに濃紺の海が現れた。
駅を出ると大通りがあった。スマホの地図を参照しながら大通りに交差する細い道に入る。道の突き当たりには新しい小綺麗なビルがあった。エントランスの案内板には『株式会社 Cüreate』の名前があった。間違いない。
電話するの忘れてたけど大丈夫かな……。
エレベーターを上がり、事務所のドアの前まで来た。平日の昼間だというのに、中からは物音が全くしない。
「失礼します」
ドアには鍵はかかっていなかった。
そのままドアを開けると、誰もいないオフィスの中に一人でパソコンを叩く佐山の姿があった。
佐山は目が合うと「おお、来てくれたか」と言った。
佐山の目はあの街で見たときよりも若干疲れて見えた。
「事務所の中で話すのもあれだ。場所を移そう」
佐山にはエレベーターを上がって屋上へ行くよう言われた。
先に向かっててほしいというので、屋上に上がって待っていると「コーヒーは飲めるかい?」と後ろから声がした。
「ええ、はい」
彼は青い微糖の缶を俺に差し向けた。
「ありがとうございます」
缶はキンキンに冷えていた。
佐山はフェンスに腕をかけて遠くの空を見つめる。
「すまないね」
「いえ、でもなんで僕に?」
彼は俺の質問には答えずに缶コーヒーを口にした。
「……見たかい?あの事務所。平日の昼間だというのに社員が誰一人いない」
「……ええ。お休みですか?」
彼は大きくため息をついた。
「潰しちまったのさ。会社を」
その一言に俺はなんと返していいかわからず、彼から目を背けた。
「きっかけは一つの記事を書いたことだった」
「記事?」
「そうだ。うちはネット上の情報をわかりやすくまとめて記事にして公開する仕事をしている」
彼は目を細め、続ける。
「うちはそこらの変な業者と違って、炎上商法なんてもってのほか、健全な記事を書くのがポリシーだった。だが、海外のネットで話題になっていた新しい科学情報の記事を載せたとき、日本の科学者たちから批判が起きてね。デマを巻く会社として炎上してしまったんだ」
「……そうだったんですか」
「ああ、それで済めばいいものの、うちは新しいサービスの開発費用で借金をしていたこともあって株価が滅茶苦茶に下がってしまってね。もう、手に負えなくなってしまった。今は倒産に伴う処理のために会社に出向く日々だ」
彼の声は弱々しかった。
「しかし、従業員の退職金や新サービスに伴う借金の負債でもうどうすればいいかわからなくなってしまってね。正直死ぬことも考えたよ」
「死ぬなんて、そんな」
「でも私は思いとどまったよ。私には家族がいる。まだ幼い子供と妻を残して死ぬわけにはいかない。どうしても死ねないんだ」
彼は缶コーヒーを再び口にした。
「そうして打ちひしがれている時に、あの女の子が現れた」
「愛美のことですか?」
「ああ、そうだ。名前は愛美と言った。彼女は私にこの状況を打破する唯一の方法があると告げた。しかし、よくよく話を聞いてみると怪しいオカルトじみた宗教の話ばかり。私は思わず怒ってしまった。こんな状況で、こんな八方塞がりの私を食い物にして良心は痛まないのかと。私はそんなに馬鹿じゃないと」
誰だってそうだ。あんな世界の論理なんて信じる方がおかしい。
「すると彼女は私を無理やりあの街に連れていったのさ。あの時はもう絶望のあまり自分の頭がおかしくなってしまったのかと思ったよ。でも彼女はあの街の仕組みを淡々と説明した。あなたは幸運を奪われただけだ、この街は運を司っている、この街の住人を頼れ、とね」
相変わらず手荒なやつだ、と俺は思った。
「そうして紹介されたのが君だったんだよ。正直、君がここに来てくれるまでは、あの街で見た情景は私の恐怖が生み出した幻影だと疑っていた」
佐山は俺を強く見つめた。
「そうなんですか。でも何をすればいいんですか」
彼は再び視線を街に移した。
「彼女は君に私の失った幸運を取り返す必要があると言った。そのためには君に『裁き』というのをしてもらえばいいと言った」
裁き?サキみたいに俺がこの人の守護者となってこの人を助けられるように戦うということだろうか。こんな状態の俺が人の分まで戦えるとは到底思えない。荷が重すぎる。
「……あの、すみませんが僕はあなたの力になれる気がしません。自分のことで必死なんです。僕は自分が生きていけるかどうかを決める裁きに挑まなくちゃいけないことになっているんです。それも勝てるのかわからないのに。それに……」
俺はあの裁きが終われば、あの街を出て普通の人間として暮らしたいと思っている。
「僕は今就活中なんです。そんなことをやっている時間がないんです。お気持ちはお察ししますが」
佐山は意を決したように顔を息を吸い込んだ。
「君は今大変な状況なのかもしれない。でもしかし、頼む。この通りだ」
彼はその場で膝をつき、頭を地面につけた。
「ちょ、ちょっと、やめてください」
「いいや、やめない。私にはこれしかないんだ。あの子は私を救えるのはただ一人、君しかいないと言った。お願いだ。せめて、私はどうなってもいいから家族だけでも!」
家族……。
「……わかりました。わかりましたから」
「本当か?」
「ただ、さっきも言ったように今は人のことを考える余裕がありません。ちょっと考えさせてください」
「タダにとは言わない。必ず、恩には報いる。君は就活生だと言ったね。もし私の会社でよければ、もし会社を残せればの話だが、君を雇うこともできる。悪いようにはしない」
「えっ、急に、そんな」
「大丈夫。滑り止めだと思ってくれればいい。就職活動もそれで少しは気が楽になるんじゃないかな」
面倒なことになってしまった。
フェンスの向こう側には弧を描くように海岸線が広がり、陸には原生林のような高層ビルの群が生えそろっていた。
家に戻るなり、俺はパソコンを開いた。
あの世界で魔導師に聞いたことを少し調べたくなったのだ。
もしかしたら俺の他にあの世界を行き来している人間がいたりするかもしれないし、魔導師が言っていたことはこっちの世界でも知られているのか気になったからだ。
まず手始めに『アセンション 異世界』と調べてみた。
検索ボタンを押すと、俺が欲しかった以上に氾濫した情報が目に飛び込んで来た。
アセンションは生命のパワーだの、もうこの世界は終わるだの、運命を変える波動だの、もう見るだけで精神が摩耗してしまいそうな言葉ばかり表示されて、思わずため息が出てしまった。
でも魔導師が話していたのはこんな感じのことだった。そう考えるとやはり、「早くあの世界から抜け出したいな」と思うほかなかった。
表示されたページを一つ開く。俺はあることに気がついた。
他のサイトも見てみるが、やはりおかしい。
魔導師が言っていたことと、微妙に違う。それどころか、どのサイトも独自のオカルト論理を展開させていて、そのサイトごとに言っている内容が微妙に異なっているのだ。
「なんなんだよこれ」
俺は思わず画面に独り言をぶつけた。
そんな中で一つの占い師のサイトを見つけた。
『榊明美 時を見通す予言占い師』
それは他のオカルトサイトと比べても遜色なく胡散臭いものであったが、そこに書かれた文章をよく読んでみると、魔導師が言っていた内容にそっくりであることに気がついた。
『上位世界アマガハラとの交信により、過去と未来を見通します。あなたの運命を切り開く道を指し示します』
アマガハラに言及しているのはこのサイトしかない。
この占い師は、あの街に行き来している可能性が高い。
下には電話番号が載っていた。
三島や愛美以外の現世人と話がしたい。電話をかけてしまおうか。
でも、もし変なやつだったら、何をされるかわからない。
どうしようかと迷っていると、後ろから「もしもーし、ちゃんとやってる?」と声がした。サキの声だった。
振り返ると、魔導師から与えられた水晶が青く光っていた。
水晶を手に取る。
「サキ?」
「……そうだよ」
「これ、電話みたいに使えるんだ」
「……そうだよ、便利だからね。そっちの様子も見れるよ」
「えっ、そうなんだ」
「……そんなことより、ちゃんとやってるの?」
「あ……や、やってるよ」
俺はとっさに嘘をついた。
「……本当?ちゃんとやらないと消されるんだからね!」
少しラグがあるのはこちらとあちらの時間がズレているからなのか。
「わかってる」
「……じゃあちょっとやってみて」
「えっ、ここで?」
「……そっちじゃ実際の技は出せないだろうから、イメージでいいよ。練習したんでしょ?」
「じゃ、じゃあ、
そう唱えて、目の前に敵がいると想像して切りつける動きをした。
我ながら、こんなの幼稚園以来だな、とも思った。
「どう?」
「……全っ然ダメ。隙ありすぎだし。もっと重心を下げないと」
「じゃあ……」
俺はもう一度斬りかかる真似をした。
「どう?」
「……違う!今度は動きが遅くなってる」
そのままサキの特訓が始まった。サキに一挙手一投足を指摘されながら、体がヘトヘトになるまで『戦いごっこ』を自分の部屋の中で続けた。
サキとの通信はラグがあるせいで休み休みではあったが、気がつけば窓の外は再び明るくなっていた。
「……とりあえずここまで。ちょっと長かったかもしれないけど」
「ああ、疲れた……」
「……あとこっちの時間で2日と5時間、頑張って」
「うん、とりあえず今日の講義は午後からだから一回寝ることにするよ」
「……そう。じゃなんかわからないことあったら聞いて」
「うん、ありがとう」
そうして俺はサキとの通信を終え、泥のように眠りについた。
目がさめるともう昼前だったので、急いで支度をして大学へ向かった。
その日からは講義に出席するだけ出席して、あとは呪文を覚えたり戦いをイメージトレーニングする時間に使った。
高橋や他の同級生にはできるだけ感づかれないように気をつけてはいたが、「お前なんだよそのクマ、変な宗教でもやってんのか?」と笑われたときには気づかれたのかと思って声が上ずってしまった。
家に帰ればサキに通信を送り、動きを見てもらいながら戦い方を調整していく。
サキの話によると、今回の裁きはどんな相手が来るかわからないので作戦の立てようがないからとにかく戦いの練習をするしかないらしい。
そんな日々を送り、ちょうど一週間くらい経った。
大学の講義を終えた俺は家に帰り、水晶を掴む。
デジタル表示が、今日が『12日』であることを告げた。
「ついに来たか」
あの日からあの世界の時間でちょうど3日。
しばらくして、俺の目の前に人影が現れた。
「『裁き』の召集です。拒否はできません」
マナだった。
「わかってる」
「わかりました。それではあなたをアマガハラへ転送します」
すると、目眩がするように視界が歪んだかと思えば目の前の景色が目まぐるしく変わり、気がつけば群青色の空の下で地面に広がる円形の霧を目の前にしていた。ぼやけていた視界が鮮明になるにつれてここを取り囲むように生えそろった透明な高層ビル群が目に入って来て、アマガハラに入ったことを確信した。
「ちゃんと来たわね。サキから聞いているわ。自信を持って挑みなさい」
後ろから魔導師の声がした。振り向くと隣にはサキもいた。
「負けたら許さないよ」
「わかってるって」
俺は再び前を向く。
霧状の戦場を取り囲むように大勢の観衆が集まっている。
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