4.Batalent et rhposent

「誰?」

ぽかんと見つめる俺の手を引き、彼女は俺を人ごみから引きずり出した。

「帰りたいんでしょ?あんなものに目を惹かれちゃダメだよ。佐藤くん」

「なんで俺の名前を」

彼女は俺を哀れむように見つめる。

「詳しいことは後で話すから。こっちきて」

彼女に案内され、ガラガラになった店内を歩いて窓際の席に座った。

ガヤガヤとした喧騒が店の外から相変わらず響いてくる。

「で、この世界のことはどれくらい知ってるの?」

対面に座った彼女は真っ白な机の上に手のひらを組んで置く。

「いや、どれくらいも何も。何も知らない。っていうか君誰」

「あ、私はサキ。よろしく」

サキと名乗るその女は手も差し出さず、真顔でそう言った。『よろしく』の意思が感じられない。

「サキさん?は何者なの」

「私はあなたの守護者。わかる?守護者って」

「いや、わからないですけど」

「あなたはなぜかこの世界に迷い込んでしまって、受け入れられてしまったみたいなの。だから守る人がいない。それで私が守ることになったの」

わけのわからないワードにわけのわからない説明がついた。脳みそが混乱してくる。

「よくわからないんだけど、守るってなに?ここの人たちは誰かに守られてるもんなの?」

「そうでもない人もいるし、そうでない人もいる。今の状態の君は誰かが守らないと大変なことになる。それで私が選ばれた。理解した?」

俺は彼女の一言一句を理解するために齧り付くように言葉を聞いた。

「……とりあえず、君が俺のことを守ってくれるんだね」

「そう。で、どうやってここに来たの?」

「いやわからないよ。変な人に連れてこられて、夢だと思ったら変な子供に連れ戻されて」

「変な子供ってマナのこと?」

「マナ?なにそれ」

彼女は心の奥底に溜まった軽蔑を吐き出すようにため息をついた。

「本当に何も知らないのね」

「いやだって、本当に何も知らないし。それにここはどこなの。あと、守るって何から」

彼女は胸元のネックレスを引き出してその先にくっついていた宝石のようなものを撫でる。

「幾つも質問しないで。はぁ……もう時間ないから、それは後で説明するとして、ちょっとついて来て」

彼女はその宝石に目線を移したままそう言った。

彼女に連れられて俺は店の外に出て、道路のど真ん中で立ち止まった。いつの間にか雨は上がっていて、店の前に戻る人の流れができていた。

「ったく、最近の恵みはみじけえな」

一人の男が目を赤く光らせながら文句を言っている。『恵み』とはさっきの雨のことなのだろうか。

「ほら、よそ見しない。もう始まるんだから」

何が始まると言うのか。この道路のど真ん中で。

「ねえ、何が始まるのかくらい説明してくれない?」

彼女は鬱陶しそうに俺を睨む。

「見てればわかるから。その辺ににいて」

彼女に促されて俺は道路の脇に移動した。

少しして、道路の反対側にサングラスをかけた小太りの男が現れた。

「おい、小娘。まだ消えないでいたか」

男が呼びかける。

「当たり前でしょ。そっちこそ生きてたのね」

「ああ、俺はもう死んでるからな。これ以上死なねえよ」

「だといいけどね!」

売り言葉に買い言葉といった感じのやりとりを二人が終えると、サキと男の間の道路上に円と星の組み合わさった図形が回転しながら浮かび上がった。

「おい、はじまるぞ!」

横から声がした。気がつけば、俺の周り、いや回転する図形の周りに人だかりができていた。

彼女の方に目を移すと、今度は彼女のそばに人間の姿が浮かび上がった。身長は俺の腰くらい。子供の姿。それも俺を連れ去った子供の姿だ。

「あなたに正義はありますか?」

子供はサキにそう聞いた。

「あったりまえでしょ。必ずやっつけるから」

「そう。じゃあ裁きを始めます」

そういって子供は姿を消した。よく見ると向こう側にも子供がいて、その子供は男に何かを聞いたように見えたあと同じように姿を消した。


回転していた図形が止まる。赤く光り出す。それと同時に図形の表面から湯気が立ち上がり十センチほどの厚みを持った雲の塊のようになった。

その時、目の前で風が動くのを感じた。サキが駆け出したのだった。サキの腕は蛍光灯のように光り輝いている。一方の男はゆっくりとその雲の上に登る。サキは目にも留まらぬ早さで男の元へ向かうと鎌のようにねじ曲がった自らの腕を男の頭上に叩き落とそうとしていた。男はそれを脇に見ながら手のひらをサキのほうへ向ける。

男の手がサキの手に触れたその瞬間、その衝突点から眩い閃光が走った。俺はあまりの眩しさに目を背ける。

太陽を直接見てしまった時のように視界が歪んだ。目慣れして来た頃にはサキは消えている。いや、違う。声がする。

「くそっ、早く負けなさいよ」

「ふははは、小娘も強くなったなあ」

声の主を追うように視界を凝らす。よく見れば間下に広がる雲の上空、ちょうどさっきまでいた店の窓くらいの高さで、二人は戦いを始めていた。

男は手からSF映画に出てくるビーム砲のようなものをサキに撃ち、彼女はそれを飛びながら交わしている。男は青や緑の光をひたすら放っていたが、サキも負けじと飛び回って至近距離の攻撃を仕掛けていた。彼らの攻防が一進一退するたびに、聴衆がざわめき、色とりどりの罵声を浴びせた。よく見ると、男は手から光を放つ前に力を溜めるような動作を見せ、サキはその隙をついて攻撃しているようだった。

幾度目かの攻防の末、サキに好機が訪れた。

サキが男の不意をつき、男が体勢を崩してよろめいたのだ。サキはすかさず男に腕の鎌を振り上げる。すると、男の手の先から何やら赤い糸のようなものがあなたれた。その糸はサキの足に絡みつき、二人は真っ逆さまに地面へと落ちた。

二人が落ちた瞬間、地面からは蒸気が光を帯びて舞い上がった。

しばらくすると、蒸気は風に溶け、二本足でたたずむ男と、その目の前にサキが赤い糸にがんじがらめにされて倒れていた。サキは観念してしまったように目をつぶっている。

男はゆっくりと歩を進めると、サキのおでこあたりに手のひらを広げた。ここからではよく聞こえないが、何やら独り言をぶつぶつとつぶやいているようだった。途端にサキのおでこは電球のように光り出し、その光が流れを作って男の手のひらの中へ吸い込まれていくようだった。

俺は彼女が心配になり、思わずその雲の上に足を進めようとした。

「来るな!」

サキが大声を張り上げてこちらを睨みつける。俺はそれを見て足を下げた。

サキも男と同じように何か独り言を言っているようだった。

俺は心配になりながら彼女の姿を見ていると、男が突然「ウワァッ」と声をあげた。

よく見ると、男の手はドロドロに溶け、高温で熱せられた金属のようになっている。サキは赤い糸をブチブチと破り、再び光り輝いた腕の鎌で男の首を切った。

その瞬間に、彼らのステージを作っていた雲の塊は消え、サキは地面に着地した。

俺はそれを見て先に駆け寄る。彼女は俺の手を払って「いいから、大丈夫」といった。その割にはすごく憔悴している顔だったので「大丈夫?」と声をかけると、サキは「うん、大丈夫だから」と言った。

向こうを見ると、先ほどの男の胴体が頭を探しているかのようにさまよい歩いていたが、戦いの前に出て来たあの子供が男の頭を手渡すと、胴体はそれを首にはめて首をグリグリと動かした。

俺が唖然に取られていると、サキが「ほら、乗って」と言った。

目の前にいつの間にか車が停まっていて、運転席にサキが座っていた。

俺とサキはそこから数十分くらい車に乗って、黒光りする建物の前に着いた。

途中、透明な建物の中に突っ込んだり、急ブレーキや急加速を繰り返したりするので、俺は気が気でなかった。

「着いたよ。降りて」

「ここはどこ?」

「基地。早く。中に入って」

彼女は焦っているうに見えた。俺が車から降りると、彼女は左手にネックレスを持ちながら右手で車の縁を撫でた。すると車は火花のように弾け、消えてしまった。

俺はその光景に戸惑いながらも、彼女に促されて建物の中へ入った。



部屋は真っ暗で、床には格子状の青い光が張り巡らされていた。

彼女がドアを閉めると地面と天井が白く光り、視界が開けた。

「で、何が知りたいんだっけ」

部屋は広く、殺風景だった。カウンターのような机があって、彼女がその上で手を擦ると中からキラキラ輝く半透明の石が何十粒も出て来た。

「色々聞きたいことはあるけど、さっきあの人と戦ってたのはなんで?」

サキは出てきた宝石をミキサーのようなものの中に入れていく。

「あれはね。『裁き』。天の裁きとか言うでしょ?あれがそれ」

彼女はミキサーの蓋を閉め、ぐいと押し込む。ミキサーがガラガラと回り出す。

「どっちがどっちを裁いていたの?」

それを聞いてサキは笑った。

「どっちがとかじゃないよ。お互いに裁こうとしてる」

サキはミキサーを止め、中のものをカップに注いだ。中からキラキラとした液体がカップに流れていく。

「お互いに『相手が間違ってる』って思ってるってこと?」

「まあ、そんな感じかな」

サキはそう言いながら俺にカップを手渡した。中の液体はオーロラのように輝いている。

「ありがとう。……それって、勝った方が正しいってこと?」

サキがカップの液体をすする。これ、やっぱり飲み物なんだ。

「違う。正しい方が勝つ」

「同じじゃん」

「違う。そのうちわかるよ」

俺は彼女の言葉に納得できず、手に持っていた液体を飲んだ。甘くて優しい味がした。

「そういえば、あの子供、マナって言ったっけ。あれは何?」

「この街を守ったり、私たちが困った時に助けたりしてくれる子達」

助けてくれる?俺はあいつらに無理やり連れてこられたんだぞ。そのせいで普通の生活も送れなくなりそうだというのに。

「ところで、君はどうやってこの世界に来たの?」

「わからない。よく思い出せないんだ。なんか変な女に連れてこられたのが最初だったと思う」

サキは怪訝な顔をした。

「変なの」

この変な街に住んでる奴に言われたくない。

「まあ、今日は帰りな。疲れたでしょ?」

「帰り方わかんないんだけど」

「その鍵、っていうとわかんないかな。ここに来る前に渡された棒を捻ればまたゲートができるからそれで帰れるよ」

棒、あの透明な棒のことか。ここに来るまで存在を忘れていた。

ポケットを弄り棒を取り出す。そんなに簡単に帰れるなら最初から教えて欲しかった。

「で、帰ってもいいけどちゃんと戻って来てね」

「え?なんで」

「戻ってこないと大変なことになるよ」

「え?どうして」

「君は今守ってくれる人がいないんだよ。それに私は君を守る役目になってるから、君が勝手にいなくなっちゃうと困るの」

「『守る』って誰から?」

「いろんなもの。さっきの戦いの相手だってそう。ここには悪いやつもいて、そういうやつに狙われる可能性があるの。わかる?」

「狙われるとどうなるの?」

「相手にもよるけど、とんでもない不幸にあったりする。今までは守ってくれる人がいたから大丈夫だったかもしれないけど、もういないの。守護霊みたいな話は聞いたことあるでしょ?」

「うーんまあ。あんまりそういうの好きじゃないけど」

「好きでも嫌いでも、そういう仕組みなんだからしょうがないの」

「でもなんで今まで俺を守ってくれた守護霊?はもういないの?」

「それはここに入って来てしまったから。どうやって入ったかはわからないけど、その時に守護者とのカルマが一回途切れたの」

「カルマって?」

「うーん、一言では言いづらいかな。まあ『繋がり』みたいなもの」

「そうなんだ。ちゃんとは理解できてないけど、とりあえず戻ってくることにするよ。君が守ってくれるんでしょ?」

「うん、でも君が一人で生きていけるようになるまでの間だけね。私が守護者をやる役目になってるのは」

「わかった。俺、戦い方とか、この世界のこと何もわからないから、教えてくれると助かる」

「言われなくてもそうするよ。キツくてもちゃんと着いて来て」

ふふふ、と彼女が笑った。

「続きはまた今度。今日は帰って休みな」

「うん、そうする。いろいろ教えてくれてありがとう」

彼女は静かに頷いた。

俺は立ち上がり、ここに来たときと同じように目の前に棒を差し出すと、ドアが現れた。ほっと胸を撫で下ろす。よかった。これでやっと帰れる。

「じゃ」

「私がいない時はマナを頼りな」

マナ、俺は信用したくないがこの街の住人からは信頼されているみたいだな。

「うん、そうする」

俺はドアノブを捻り、開いたその先に足を進める。



……目覚ましの音が鳴った。

俺はベッドの上にいた。朝日がカーテンの隙間から差し込む。

俺の部屋。昨日と似たような朝。

しかし違うことが一つだけあった。今、俺はあの世界で起きたことを全てはっきりと覚えている。

俺は目覚ましをそっと消す。

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