5.Acɥidentö

天井を見上げながら昨夜のことを思い返す。

あの世界の光景が目に焼き付いている。もう、『変な夢』だとは思えなくなってきていた。

相変わらず意味のわからないことばかり起きる世界だったけれど、ただの夢にしては現実感があったし、何より話が繋がっていく。

あの日の夜、俺は愛美とかいう女に連れられてあの世界に入った。愛美は俺のことを探していたと言った。あの世界から帰ってきたあとに、あの子供、マナとか言ったな、に連れ戻される。サキの話からして、おそらく俺があの街に入り込んでしまったせいだと思う。昨日会った三島とかいう男も、よく考えればタイミングが良すぎる。あの男にもらった装置で俺はあの世界に行くことになったのだから。

テーブルを見ると昨日三島に渡されたあの装置があった。

ベッドから起き上がり装置を手に取る。

もしかして、三島もサキも愛美もグルなのか?

いや、サキは愛美のことを知らないみたいだったな。

俺を騙そうとしていた可能性もある。でもサキはあの三島とかいう男に比べて、まだ信用できそうに思えた。

いや、サキって実在しているのか?

もしかしてここからアブないクスリとかが吹き出してそれで変な幻覚でも見てたんじゃないか。そう考えると馬鹿馬鹿しく思えてくるのと同時に恐ろしくもなってくる。そっとそれを机に戻した。

考えてもしょうがない。気でも紛らわそうと携帯を手に取る。昼の12時。着信があった。

第一志望の会社からだ。

不安がずきりと胸を締め付けた。

恐る恐る電話をかけ直す。

「あっ、佐藤様ですね。折り返しいただいていたみたいで。次の面接の日程が決まりましたのでご連絡しました」

電話口の人は俺の予想に反して冷静だった。いや、まあ当たり前なんだけど。

連絡が遅いので落ちました、とか言われるものとビクビクしていたので、心がほっとするのを感じた。

電話を切り、はぁーっと息を吐いた。俺の考えすぎか。でもよかった。

安心してテレビをつける。

「六日に起きた世田谷区の火災で捜査に進展がありました」

ああ、火事。そんなニュースやってたな。

「亡くなったのは『白石サキ』さん。そして一緒にいた男の身元は特定されていません。警察では二人が無理心中を図ったものと見ています」

テレビに亡くなった女性の顔写真が映された。俺は目を疑った。

映し出されたのは昨日会った女、サキの顔だった。

いやいやいやいや。嘘だろ。

正夢みたいなやつだったのか……?それとも、幽霊……?

体がぞわっとした。いや、なんかの偶然かもしれないし。

そうだ……。誰かに聞いてみよう。携帯のメッセンジャーアプリを開く。すると、三島の名前が『新しく追加された友達』のところに表示された。三島に何か聞いてみようかとも思ったが、この男はどうも詐欺師みたいで信用できないので、この間連絡先を交換した愛美の名前を探してみた。しかしこちらはなぜだか検索をかけても見つからない。とてもモヤモヤする。何か手がかりを探せないか。



京王線は混雑していた。呑気な顔をした家族連れやもう飲んでいるのかというくらいテンションの高い大学生グループの中で西に向かう。明日から月曜が始まってしまうという思いなのか、皆がそれぞれの最後の日を過ごしている。決して快適とは言えないが、まあ日曜の人混みは平日のギスギスした雰囲気がないのはいい。しかし、その弛んだ雰囲気は一向に俺の心を癒してはくれなかった。

電車に揺られて小一時間、住宅街にひっそりと佇む小さな駅に降り立った。降りる人は俺だけだった。

駅の外はコンビニが一つある他には何もなく、マンションや住宅が立ち並んでいた。閑散としていたが、ロータリーに一台だけタクシーがいた。運転手が居眠りをこいていたので窓を叩いて起こした。

タクシーに乗り込み住所を伝える。

「お客さん、こんな時間にどうしたの?」

運転手はあくびをしながら他愛のない質問をしてくる。

「まぁ、ちょっと、家に忘れ物しちゃって」

とっさに嘘をついた。

「そう。最近物騒なこと多いからね。大事なもんは持ち歩いたほうがいいよ。ほら、君ん家の近くでも火事あったでしょ」

火事。

「ああ、なんかあったみたいですね。気をつけなきゃ」

「亡くなった人、宗教系のセミナーにハマってたらしいね。守護霊だとかなんだとか、あー怖い怖い」

『守護霊みたいな話は聞いたことあるでしょ?』

サキの言葉が蘇る。

「あの、もしかして、何か知っていたりするんですか?」

「いや、テレビで言ってたことだよ。なに?知り合いの人?」

「えっ……いや、近くで起きた事件だったから、怖いなーって思って」

ははは、と笑いながら誤魔化した。

「ほんと、気味が悪いよね。早く犯人が見つかればいいのに」

男は再びあくびをした。

三十分ほど車に揺られて、伝えた住所の近くに着いた。

料金を払ってタクシーを見送る。すぐそばに火事現場があるというのに住宅街はとても静かで、それは当たり前なんだろうけど却って不気味に感じた。

意を決して足を進める。何も確信がないのに、あの火事の現場に行けば何か手がかりが見つかるかもしれない、そんな思いだけでここまで来てしまった。

我ながら少し衝動的だったと思う。

路地に入って少し先のT字路を曲がると目的地がある。交差点に設置されたカーブミラーから何やらどす黒いものが映っている。

道を曲がると、正面にその廃墟が現れた。

一階部分は炭となって崩れており、焼け爛れた柱が二階部分を支えているだけだった。吹きさらしの家の中から大小様々な燃えかすが外に溢れ出てくるように散乱していた。

もしこの火事とあの夢に何か関係があるとしたら、何か分かるかもしれない。

家の周りに黄色いテープがいくつも張られている。

辺りを見回して、俺はそのテープを跨ぐ。

「入っちゃダメだよ」

ふと後ろのほうから声がした。知っている声。振り向くと、交差点のあたりに三島が立っていた。



「そう、じゃあサキちゃんに会ったんだ」

「はい」

寂れた喫茶店の中を焙煎されたコーヒ豆の匂いが漂う。二つ奥の席のサラリーマン風の男が煙草を蒸しながら大きな欠伸をしている。

「なんで僕の居場所がわかったんですか。探してたんですよね?」

「ははは。勘だよ」

三島はコーヒーカップを持ちながら、笑顔を崩さずに言った。

「えっ偶然なんですか」

「うーん、偶然ではないかな。『勘』を働かせたんだよ」

「どういうことですか?」

「じゃあ聞くけど、君はなんであの現場に行ったのかな?」

なんで……。そう聞かれると難しい。なんとなくあそこに行けば何か分かる気がして、その思いだけで衝動的に動いてしまった。

「予想だけど確証もないのにあそこに行けば何かサキちゃんのことが分かるような気がして行ったとかじゃない?」

図星だった。

「そうです。なんだかよく分からないけど、何かヒントがある気がして」

三島はニヤリと口角を上げた。

「そう。それ。あっちに行くとみんなそういう能力を身につける。それが『勘』」

「そうなんですか」

「うん、もちろんそういう感覚はあっちの世界に行かなくても持ってたりするけど、あっちに行けばそれを育てることができるんだ」

三島はコーヒーを一口飲んだ。

「どうやればいいんですか?」

「勝つこと。そして生き残ること。チャクラのレベルを上げれば自然とその力は上がっていくよ。まぁ、詳しいことはサキちゃんに聞いてよ」

店内はとても静かで、時計の秒針のコチコチと動く音が響いた。

「あの、サキさんは、やっぱりもう亡くなっているんですか?」

三島はその言葉を聞いて、言葉を選ぶように『あー……』と言った。

「うん。サキちゃんはね、本当は生きてたんだけど、ちょっとあっちで失敗しちゃったんだよね」

「失敗?何か起きたんですか?」

「あの『鍵』、わかる?」

「はい。なんか透明な棒?みたいなやつですよね」

「そう、それが壊れちゃうとこっちに帰ってこれなくなっちゃうんだけどさ。それを壊されちゃったみたいなんだよ」

「壊された……?」

「うん。本人は死にたくなんかなかっただろうし可哀想だよねえ」

「そうなんですか。それも裁きで?」

「いや、あんまり詳しくは教えてくれなかったけど、『襲われた』って言ってたし違うんじゃないかなあ」

気がつけば夕日が朱色を帯びていた。

「裁き以外で襲われたりとかするんですか」

「うん。それをマナに言えば裁きはできるかもしれないけど」

「なんでやらないんですか?」

「多分相手が強すぎるんだと思うよ。裁きやって負けたら意味ないし」

「そういうもんなんですか」

「そう。勝たないと意味ないからね。それが一番大事」

ということは強くなって勝てばいいのか?思ったより単純な世界だ。

「そういえば、あの雨はなんなんですか?」

「あーあれはね。天からの恵みの雨」

「浴びるとどうなるんですか?」

「楽しい気分になって、チャクラのレベルも上がるよ」

チャクラ?がなんなのかよくわかっていないが、とりあえず浴びたほうが良さそうに聞こえる。でもサキは『浴びちゃダメだ』と言っていた。

「じゃあ、浴びたほうがいいんんですね?」

「オススメはしないな。あれ浴び続けると街に捉われちゃうからね」

「どういうことですか?」

「あの街は意思を持ってる。浮遊霊を使って街を改造したり、マナを使って人を呼び寄せたりする。あの雨を浴び続けると、そのうち自分の自我がなくなって街のいいように動かされるロボットみたいになっちゃうんだよ。たまに見ない?霊媒師とかやってた人が気をおかしくして死んじゃったりするやつ」

「……聞いたことくらいは」

「ああいうの大体がこれのせいだから。本当に気をつけたほうがいいよ。長生きしたいならね」

「……でもあっちの世界ってもう亡くなってる人もいるんですよね?そういう人はどうなっちゃうんですか?」

「そういう人も同じ。自我がなくなっちゃうんだよ。そのうちそういう人も見ると思うよ」

自我を消されて働かされ続けるのはどんな感覚なのだろう?考え始めるとだんだん怖くなってきて、想像するのをやめた。

「あの、もうあの世界から離れることはできないんでしょうか」

「まず無理かな。もしあっちに行かなかったとして佐藤くんには守護者がいないんだよ」

「守護者っていうのは『守護霊』みたいなものでしたっけ」

サキに教わった知識を思い出しながら言った。

「そう。この世に生きる人はみんな守護者に守られてる。だから普通に生活できるんだよ」

「いないと不幸になったりするって聞きました。悪霊?みたいなやつらに狙われるからとか」

「うん、だからたまたま守護者のいなかった人は不幸な目にあって大変なことになったりする。可哀想だけど、そういう風になっちゃってるから仕方ない」

「なんか悲しいですね。」

コーヒーを飲み終えて、俺と三島は別れた。家に帰る頃には夜になっていたので、俺はコンビニで買った夕食を食べながらネットであの世界の情報を漁った。

オーラ、チャクラ、守護者、そういった語を検索にかけるたびに見るからに怪しいサイトや商品のページが引っかかった。

頭に叩き込もうともしたが、どうも読むたびに頭痛を感じるような文章で全く頭に入ってこなかった。

テーブルの上に置かれた例の装置を拾い上げる。

やっぱりこれしかないか。



今度はマナは現れなかった。装置をつけてしばらくするとまた真っ白な部屋の中にいたので、同じように壁に向かって鍵を差し出し、壁に生まれたドアに鍵を差し込んで開けた。

再びやってきてしまった。透明なビル群に薄暗い空。とにかくサキを探さなくては。

しかし、ここで気づいた。どう探せばいい?

くそう。こんな場所じゃ警察も頼れる人も居ない。

『マナを頼りな』とサキは言っていた。

そうだ。マナを呼べばどうにかなるかもしれない。

しかし。

マナってどうやって呼び出すんだ?

俺は再び途方に暮れた。サキを探す方法も三島に聞いておくべきだった。

ここで三島の言葉を思い出す。

『勘』

そうだ。この世界では『勘』を冴え渡らせればどうにかなるかもしれないのだ。

よく分からないけれど、とりあえずサキのことを頭に思い浮かべながら、居そうな方向に進んでみることにするか。俺は目を閉じ、サキの顔を浮かべる。

するとどうだ。なぜだか知らないが『あっちのほうに居そう』という感覚がしてくる。少し不安だったが、その感覚を信じて数十分くらい歩いたところで、ビルの中にサキのいる感覚が猛烈にした。しかし、それとともになぜだか嫌な予感も……

おそらくこの中にいる。中が見えないので、ビルの何階かは分からないが、あの日と同じようにビルの壁に向かって手のひらを開ける。

手を当てるとビルは明るく光ったが、途端に輝きを失った。これはあの日と同じように強く念じろということか。

そう思いながらもう一度手を翳す。しかしドアは全く開こうとしない。

深呼吸をしてもう一度試す……ダメだ。

そんなことを繰り返しているうちに、ドアが開いた。しかし、何やら様子がおかしい。

目の前にゴツい身体をした男がドアを開けている。

「おい、何の用だ」

「あっ、いや。中に入りたくて」

男は鍵を握っている俺の左手をちらりと見た。

「お前生き霊だな。帰れ。生き霊に出す飲みもんはねえよ」

「えっ、なんでですか」

「俺もここの客もお前みたいな生き霊が大っ嫌いなんだよ!さっさと帰れ!」

何を言っているんだ。せっかくサキに会えるというのに。このままでは引き下がれない。

「少しだけでいいから中に入らせてください」

「ダメだって言ってんだろ、このクソが!」

男は俺の首根っこを掴んで放り投げた。うあっ、と思わず声が出る。

「二度と来るんじゃねえぞ」

俺は道をツルツルと滑って隣の建物に激突した。

痛え。

すると、目の前に二本の足が見えた。

「はぁ、なにやってんの?」

俺は顔を上げる。

サキが呆れ顔で立っていた。

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