第6話
鈴村さんはチケット売り場の受付で、慣れた様子で学生証を提示した。
「今までにもここに来たことがあるんですか?」
そう尋ねると、彼女は待ってましたと言わんばかりに大きく頷いた。
「はい、もう何度も。以前ちょっとした機会があって、休館日に入ったこともあるんですよ」
「休館日にも展示物を観ることはできるんですか? 閉館中の博物館は真っ暗で、警備員が懐中電灯片手に徘徊……巡回しているようなイメージがありますけれど」
僕が以前観た映画のワンシーンを思い浮かべながら聞くと、鈴村さんは「どうでしょう」と首を傾げた。
「ひょっとしたら、普通の閉館の時ですと、山本さんが想像する通りの情景が広がっているのかもしれません。でも私が来たときは、どうやら館内清掃の日だったらしく、業者の方がたくさんいらっしゃいましたし、当然のこと照明もしっかりと点いていましたよ」
「清掃って、床磨きとかですか?」
これだけ広い建物だと、相当数人員を割かなければ、ただいい加減にモップを走らせるだけでも一苦労であろうと、業者の方々の苦労が思われる。
しかし、僕が頭に浮かべた光景は少し見当違いなものであるようだった。
「いいえ」
と小さく否定した後、鈴村さんはすらりと続ける。
「展示物の清掃です。エアーコンプレッサーと言うのでしょうか? 掃除機の風向きを逆にしたような機械を使って、埃を掃っていました」
「やっぱり博物館みたいに貴重なものが置いてある場合は、それ専門の清掃業者がいらっしゃるんでしょうか?」
今度は、サファリハットを頭に乗せた白髭の考古学者が刷毛を片手に送風機を操る姿を頭に浮かべてみたのだが、しかしその想像もどうやら外れているらしい。鈴村さんはうーんと小首を傾げた。
「どうなんでしょう。私の見た限りでは、意外に雑な掃除の仕方でしたよ。貝殻の化石なんて、手でジャラジャラと持ち上げながら埃をとばしていましたし、案外いわゆる普通の清掃業者かもしれませんね」
鈴村さんはそう言いながら、この話はもう終わりと言わんばかりに、勢いよく、館のパンフレットを広げた。
「ところで、山本さんはここに来るのは初めてですか?」
「はい。お恥ずかしながら、あまり文化的な人間ではないもので」
口にしてから思うが、文化的でないことが恥ずかしいなどとは、僕自身の直観からしてみれば少々奇妙な自虐であるような気がした。
文化的なる単語が芸術分野への関心を定義として包含することは間違いない。そして、僕は確かに芸術鑑賞などは少しも好まないのだが、とはいえ、そのことを自らの短所と感じたことは一度もなかった。
加えて言うならば、芸術への嗜好はともかくとして、芸術との縁と言う意味では、実のところ、僕は文化的な人間の定義に左足の小指程度は踏み込むだけの資格を有しているようにも思われた。大学に入学してからというもの、何の気なしに履修した授業で『芸術』の定義を探求するどこか哲学じみた講義が多かったものだから、意図せずも、いわゆる芸術作品に触れる機会が多かったのだ。
しかし今改めて考えると、文字で知れる程度の作品への知識など語るに値しないのではないか。肝要なのは、作品への積極的な没入という、まさに僕の持ちえない資質なのではないか。そのようなことが思われる。
芸術鑑賞とは現実の単なる模倣抽象を流し見ることではなく、芸術家たちが如何にして現実を見つめるのか、その術を知るための形成的な作業であるのだと、講義を担当した教員はさらりと述べていた。
受講当時はしょせん形而上の言葉遊びであろうと気にもかけなかったが、その定義に則っとり芸術鑑賞を好まない自らを見つめ直せば、芸術家たちの視角や彼らの見た現実を拒む、まさに現実から目を逸らすばかりの僕の姿が輪郭を表す。
ならば、先の自虐はもはや笑顔で話すことが許されるほど浅い告白ではなかった。
「フフッ、そうなんですか?」
しかし、僕の謙遜が可笑しかったのか、鈴村さんは肩を震わせ笑った。。
「まあここは子どもでも楽しめる施設ですから、仮に山本さんが……フフッ……文化的でないにしても、何かしら楽しめる展示があると思いますよ。まあ一日ですべてを観尽くすには広すぎますから、最初から狙いをつけておく必要はありますが……フッ……」
何がそんなに可笑しいのだろうか、鈴村さんは相も変わらず笑い続けていた。
ただでさえ思わぬ内省に気が滅入った折に、背景のぼやけた笑顔はひどく不愉快に感じられた。
とはいえ、今の僕は一人勝手に自らの欠点を再認し、一人勝手に消沈しているだけである。その不機嫌の咎を彼女に求めることは明らかに道理に合わない。
また、短い付き合いの中で知れた彼女の性格を考えると、少なくとも、彼女の笑顔が侮蔑的なニュアンスを含んでいないことだけは確かに思われる。ならば殊更に気にしたところで仕様がないのかもしれないと、僕は嫌な感情を振り払い、彼女の手元に広げられたパンフレットを覗き込んだ。
パンフレットには綺麗な写真と共に、各コーナーの簡単な説明文が記してあったが、僕の目はどうしても紙面上を滑り行くばかりである。
そもそもの話、この博物館への訪問自体が鈴村さんの提案であり、僕自身は見たいものがあるわけでもない。館内では、最初から最後まで彼女の後ろを大人しく着いていくつもりであった。
もちろん、彼女はツアーコンダクターではない。何でもかんでも任せきりというは、あまり真摯な態度とは言えないことも分かっている。とはいえ、下手に口を開いて無関心を暴露するよりは、彼女の言に従っていた方が、お互い嫌な思いをせずに済むと思ったのだ。
「鈴村さんのおすすめはありますか?」
かくして僕は尋ねたが、しかし鈴村さんは「ありません」と勢いよく言った。
あまりにもはっきりと言い切るものだから、僕は大いに面食らった。
「えっ、ないんですか?」
と素っ頓狂な声を上げると、鈴村さんは平然と頷いて見せた。
「はい、ありません。強いて言うならば、石を見るのが好きですが、強いて言わなければいけない時点でお勧めでも何でもないですしね。まあ、私はもうあらかた見て回りましたから、今日は山本さんの観たいコーナーに行きましょう」
「僕の観たいコーナー、と言われても……じゃあ、取り敢えず鉱物の展示を観ます?」
あれこれと考えるのが面倒であった。それこそ鉱物展であれば、少なくとも鈴村さんだけでも楽しむことができるだろうと、僕が半ばやけくそで提案すると、
「山本さんは石、お好きですか?」
と聞き返される。
「いえ、別に」
迂闊に好きだなんだと宣って、ありもしない博識を期待されては困る。
僕が正直に否定すると、
「じゃあ、止めておきましょう」
鈴村さんはそう言って、またもやパンフレットに目を落としてしまった。
これは困った、と思った。
鈴村さんが彼女なりに僕を楽しませようとしてくれていることは分かる。だからこそ彼女は、もっとも楽しめる展示物は何か、パンフレットとにらめっこしながら考えているのだろう。
しかし本当になんだって構わないのだ。どの展示を観たってきっとそれなりに楽しめるし、逆に言えばそれなりにしか楽しめない。僕はそういう人間なのだから。
とはいえ、そのような悪癖を鈴村さんに伝えることはどうにも憚られた。僕を楽しませようと頭を悩ませている人間に向かって、僕は何でもほどほどにしか楽しめませんよだなんて、それほど薄情な告白はないだろう。
困り果てた僕に向かって、鈴村さんはふと思いついたように目を大きく開いた。
「そう言えば、山本さんって大学では何を学んでいるんですか?」
「まだ二年で研究室に所属していないので、具体的には言えないんですけれど、学部は農学部です」
「理系だったんですね」
声音から判断するに、鈴村さんは少し驚いた様子であった。
「意外ですか?」
「そうですね……別に文系っぽいと思っていたわけではありませんが、ただ、理系だとも予想していませんでした」
何やら含みを持たせた言い回しである。
「文系でも理系でもないとしたら、僕は一体何なんですか?」
「何なんでしょうね……まあ、個人の特性は本来、文系らしい、理系らしいなんて言葉では語りえないことでしょうし、そもそも文系でないから理系だ、理系でないから文系だなんて論理は直観的にも少し奇妙に思えますし……つまり、山本さんは山本さんだということですよ」
主張の要点がつかめない曖昧な表現に、
「誤魔化しましたね」
僕がそうからかうと、
「だって上手く表現できないんですもん」
と、鈴村さんは唇を尖らせた。
鈴村さんは数秒の間僕のことをじとりとねめつけた後に、気を取り直したように真顔に戻った。
「まあ、それは置いておくとして、農学部ってどのようなことを学ぶんですか? やっぱりお米の品種改良とか?」
「そうですね。そういう、いわゆる育種を行っている研究室もあるとは思います。ただ農学部の中でも色々と専攻が分かれていて、僕の所属するところは、生命工学や生命化学と呼ばれるような、生物体内のイベントを遺伝子やタンパク質といった少しミクロな観点から研究する分野だそうです。まあ僕もまだ不勉強なもので、具体的にどのようにして研究を行っているのかは全く知らないんですけれど、微生物を扱うような研究室が多いとは聞いています」
「微生物っていうと、黄色ブドウ球菌のような?」
「病気に関わるようなものは、ひょっとしたら医学部の領域かもしれませんが……まあイメージとしてはそんな感じです」
僕が小さく頷くと、鈴村さんは「なるほどなるほど」と呟きながら、再びパンフレットを見つめ、しばらくの無言の後に、自信のない小声で言った。
「キノコも微生物ですよね?」
視線を手元に向けたまま尋ねる鈴村さんに、「はい」と僕は声だけで返事をする。
「じゃあ取り敢えず、キノコが展示されているところに行ってみましょうか」
「はい」
果たしてキノコを見て楽しめるとも思えなかったが、他の展示ならば楽しめる保証もない。僕は意気揚々と歩き始める鈴村さんの後ろを追いかけた。
キノコの標本を見ても、何一つ面白くはなかった。
同じ興味がないにしても、あるいは恐竜の化石や動物の標本であれば、まだスケールの大きさを楽しむことができたのかもしれないが、キノコはどうにも見かけに華がないものだから、気分が上がらなかった。
しかし僕のうんざりとした心持とは対照的に、鈴村さんはとても楽しそうだった。
「いつ見ても、菌には見えませんね」
そう言って鈴村さんは前かがみに顔を近づけ、標本に目を凝らしながら尋ねる。
「講義ではキノコについても習うんですか?」
「はい。最低限の分類くらいは習うらしいです」
僕の曖昧な物言いに、「らしい?」と鈴村さんが振り返る。
「ちょうど今、微生物の基礎を学ぶ講義を履修していて、そのシラバスを見るとキノコの予定があったんです。でもそれは学期の後半のようで、まだ習っていなくて」
「ああ、なるほど。じゃあキノコについて学ぶのは今日が初めてなんですね」
「そうですね。まあ、いわゆるオムニバス形式の講義だと、キノコについて熱弁を振るう先生もいましたけれど」
講義の中には、単独の講師できちんとした体系的な知識を教えるものと、色々な講師を招いて彼らが専門とするニッチな分野を紹介するような横断的なものがある。
僕は後者の方が好きだった。というのも、前者の学期を通して基礎知識を教えるような講義では、ともすれば教員側も嫌々と言葉を紡いでいる節があって、身につけるべきものは多い一方で楽しいと感じられる瞬間が少ない。
逆にオムニバス形式の講義では、学生たちが分野に関する正確な知識を習得することなどは、教員たちもはなから求めていない。各々の愛する分野に関する面白いエピソードを数多く詰め込んで、とにもかくにも色々な分野に興味を持たせることだけを目指す。そのため、話の内容自体が魅力的に感じられるのは言うまでもないことながら、僕の場合は彼らの熱量に押される形で、きちんと構成された体系的授業よりも身についた知識が多いようにも思われた。
ともあれ、キノコを語った講義の内容は割と細かいところまで思い出すことが出来た。講義の記憶をたどるにつれてぼんやりと内に籠り始めた僕の精神を、鈴村さんの声が引き留める。
「その講義ではどのようなことを習ったんですか?」
「……バイオマスについてです」
「バイオマスというと……」
「バイオマスという概念自体は結構色々なものを内包するようですけれど、授業ではいわゆるバイオエタノール……トウモロコシなどから作る油のような、石油の代替物に関するお話しがされていました」
そう簡単に説明すると、鈴村さんは腑に落ちたようで「ああ」と頷いた。
「石油の枯渇ってニュースでも良く話題になりますもんね。やっぱり風力発電とか地熱発電と比べても、バイオマスを利用した方が効率がいいんですか?」
「効率がいいかどうかはごめんなさい、知りません。ただ、風力や地熱、あとは太陽光なんかもそうですけれど、そこから得られるのは代替エネルギー、つまり電気だけでしょう? 石油製品というと例えばガソリンやその素となるナフサがありますけれど、それらはまず原油を分留することで得られますよね。もちろんその中でも、火力発電や車の燃料に用いるガソリンは電気そのもので代替できるかもしれませんが、合成樹脂など化学用原料として用いられるナフサは、純粋に原油がなければどうしようもありませんから」
そこまで言って、ちらりと鈴村さんを見ると、彼女は少しだけ首を傾げ、曖昧な笑みを浮かべていた。明らかに、僕の言葉は右から左に通り抜けている様子であった。
あまり上手い説明ではなかったなと、僕は慌てて捕捉を加える。
「えっと、つまりですね。原油……石油はエネルギー以外にも色々と用途があるので、仮に代替エネルギーの活用が進んでエネルギーに用いるガソリンの使用量が減ったとしても、他の用途に用いる分を減らせない限り、石油の消費も減らすことができないんです。だからこそ、エネルギーにも、他の用途にも活用できる、本当の意味での石油代替物が必要だと言われていて、バイオマスがそれを可能にするかもしれない、というのが講義の内容でした」
「なるほど……ごめんなさい、私の頭では分かったような、分からなかったような……要するに、石油に似た油そのものが必要だという理解で大丈夫ですか?」
「はい。まあ僕もきちんとは理解していませんけれど」
「いえいえ、とんでもない。えっと、じゃあ、そのバイオマスとキノコはどう関係するんですか?」
「詳しくは僕も分かりませんけれど、バイオマス開発戦略の一つに樹木からバイオエタノールを得るというものがあるそうです。ただ、そのために樹木を化学的に分解するのが曲者らしくて」
「曲者?」
そう言って小首をかしげる鈴村さんに向けて、僕は一つ大げさに頷いて見せた。
「はい。と言うのも、樹木はリグニンとか……つまり、色々と分解の難しい物質を持っているそうで、現時点の技術では、コストに見合うような効率的な分解ができないんです」
「はあ……でもキノコならできるんですか?」
「はい。キノコに限りませんけれど、いわゆる腐朽菌はリグニン分解酵素を持っているらしいですよ。なのでキノコを研究すれば、効率よくバイオマス開発を行う上での重要な手掛かりが得られるかもしれません」
「キノコってすごいんですね」
鈴村さんは呆けたように呟くが、それについては僕も意見を同じくする。
「ええ、本当に。そのキノコを研究する先生が自慢げに話していましたけれど、石炭紀の終焉は、キクラゲがシダ植物を分解し尽くしたからだそうです。植物とキノコは生命が生まれて以来ずっといたちごっこを続けていて、植物が何か分解の難しい物質をつくれば、キノコがそれを分解する酵素を手に入れて、それならばと植物がリグニンのような新しい難分解性の物質を作り出せば、またもやキノコがそれに対する分解酵素を獲得してといった風に、追いかけっこをしているそうです」
「最後に勝つのはどっちなんでしょう?」
「いたちごっこという表現が適切なら、勝敗は一生つかないんでしょう。でも僕はそんなにキノコが好きではないので、どちらかと言うと植物に勝って欲しい気もします」
「そうですね、私もどちらかというと植物に勝ってほしいです。……というか山本さん、キノコ好きじゃなかったんですね」
鈴村さんはそう言って小さく一つため息を吐いた。
思えば、僕を楽しませようとこの場所に連れてきてくれたのに、キノコなんて好きではないとは、少し残酷な告白であった。
彼女の落ち込んだ表情を見ていると、ふわふわと浮遊しているような居心地の悪さを感じた。僕はそこから逃れたい一心でいい加減に取り繕う。
「まあ……でも今日から好きになれるかも知れません」
「……だとしたら、私も少しは心休まります」
鈴村さんはそう言ってもう一度だけ、ため息を吐くのやら呼吸を整えるのやら、小さく一つ息を吐き出して、気を取り直したように微笑んだ。
「キノコ以外にはバイオマスを活用する手段はないんですか?」
明るい声で話す鈴村さんにほっとする。
同時に、僕は記憶の中にある講義の断片を必死に探った。
「そうですね……そのオムニバス講義で他の先生が説明していたことですが、微細藻類……水に浮かぶ小さな藻の仲間を活用することも考えられているそうです」
「その藻? 微細藻類? それも樹木を分解できるんですか?」
「いいえ、分解はたぶんできないと思います。ただ微細藻類の場合は、石油代替物そのものを合成する能力があるそうです。そもそも微細藻類の場合は光合成ができますから、勝手に炭素固定を行って、その上で勝手に石油代替物を生産してくれます。つまり極端な話、その微細藻類の生育環境を整えさえすれば、あとは放置していてもどんどん石油代替物が手に入ることになります」
「その微細藻類の生育は簡単にできることなんですか?」
「それはごめんなさい、知りません。ただ微細藻類は生物群の種類もその生育環境もすごく多様なそうですから、中には簡単に繁殖させられるものもいるかもしれません。ついでに言うと、この生物群の多様性というのはとても重要で、今あるバイオエタノールよりも組成が石油により近しい物質をつくる種類もいるはずですし、ひょっとしたら今まで人間が見たことないような有用な物質が発見されるかもしれません」
「はぁ、微細藻類もすごいんですね」
気の抜けた相槌とは裏腹に、キノコの話よりも心なしか楽しそうな表情を浮かべる鈴村さんを見て、この授業はきちんと出席していて良かったと、僕は少しだけ大学に感謝した。
もしも語れるうんちくがなかったら、果たしてこの場でどのような会話が繰り広げられたのだろうか。あるいは無言のまま二人並んでキノコを見つめるような、あまり愉快でない情景が繰り広げられたのかもしれない。
僕がそんなことを考えながら「ですね」などといい加減な相槌を打って、一人苦笑していると、鈴村さんはうーんと悩みながら質問を重ねた。
「結局、キノコと微細藻類、どちらに頼った方が効率的なんですか?」
「それは分かりません。キノコの先生に聞けば、キノコの方が有用だと答えるでしょうし、藻類の先生に聞けば微細藻類の方が効率的だと答えると思います」
「では、山本さん的にはどちらがおすすめの方針ですか?」
「手間や費用については全く知識がないので、言えることはありません。ただ、石油代替物を大量に生産することを考えれば、微細藻類の方が有利なのかなとは思います」
「どうしてですか?」
「樹木に比べたら、微生物の方がずっと速く成長しますから、再生産が容易な気がするんです。それに樹木由来の燃料と言ったって、その樹木を得るために農業用地を森林に変えてしまっては、食糧生産に滞りを出してしまうかもしれません。本来、単純な衣食住で構成された生活に彩を加えてくれるのが石油製品のはずですから、そのために根本の食生活を圧迫しては本末転倒に思えます」
「そう言われてみると、キノコよりも優れている気がしてきますね」
鈴村さんはそう言って、うんうんと頷いた。
「山本さんはそういう……バイオ資源開発に興味があるんですか?」
「いや、別にそういう訳ではないんです……もともと、きちんとした目的があって農学部に進学したわけでもないので、現時点では何を研究したいとかそういう願望は持っていません。本当に、たまたま授業でそんな話があったというだけなんです」
まだ教養課程を終えたばかりで、専門的な知識などはこれっぽっちも持っていない。今はまだ、次々と姿を見せるまだ見ぬ世界に目を輝かせるべき時間なのだと、誰かが言っていた。
あるいはこの先知識が身について学ぶ内容の専門性が高まるほどに、結局どの分野にも関心を持てなかったなどという悲しい終わりを迎えることも、僕の性格を考えればあり得るのかもしれない。
しかし今ばかりはその暗い予言から目を背けていたかった。
きっと何か一つくらいは、僕の興味が向かう領域が存在するはずである。
僕の盲目的な決意など知る由もないであろう鈴村さんはしかし、
「山本さんなら、どんな研究だって楽しめそうですね」
なんて優しく微笑んだ。
あるいはそれは単なる社交辞令に過ぎないのかもしれない。
それでも今この瞬間、僕の気持ちが少しだけ前に進んだのは確かなことで、いとも簡単に笑顔を浮かべてみせる鈴村さんは、とても素敵な人だと思った。
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