その2

 真っ暗闇の中を光の玉を――魔女の姿を追ってひたすら進み続ける。

 外は想像以上の猛吹雪だった。絶えず雪の粒が身体に叩きつけられ、冷気は情け容赦無く身体を切りつけてくる。頭からかぶっている毛布のおかげで寒さの方は多少マシではあるが、風が強く吹くたびにリンの細い身体は右に左によろける。対して魔女はこれだけの悪天候の中を何事もないかのようにないかのようにまっすぐ淡々と進み続けていた。よく見るととても山道を歩けるとは思えないかかとの高い靴を履いているのに、その歩みは少しも止まらない。やはり人ではないナニカだ――という認識をリンは改めて強くする。

 そんな風にどれだけの時間を歩いただろうか、突然視界が開け黒く大きい影が目の前に現れた。近づいていくにつれ、影はすこしずつその真の姿をあらわにしていく。石のレンガを幾重にも積み重ねて造られた四角い建物で、さらに近づくとその表面はだいぶボロボロで、先程までリンがいたほこらと同じくあまり手入れはされていないようだった。少なくとも人の気配というものは感じられない。

「ここは?」

「砦よ。昔はここにも防衛用の拠点があったの。今は使われていないけど」

 魔女は後ろも振り返らずに答える。彼女が指を鳴らすと壁にかかった松明に火が付き、闇の中に入り口らしき扉が浮かび上がった。魔女は扉を開け、リンに入るよう促す。

「何をしているの、入りなさいな」

「えっと――」

 リンがまごまごしていると魔女は大きくわざとらしくため息をついた。それからリンの方を向いて続ける。

「別に親切じゃないわよ。さっきも言ったけど、あなたあのままあそこにいたら間違いなく朝まで持たないし、『食べる』前に死なれたら困るから連れてきたの。それだけよ」

「……死んでからのほうが『食べる』には楽なんじゃ?」

「――死んだら意味がないのよ」

 魔女は開いた扉に手をかけ、改めてリンに入るよう促す。これ以上聞きたければ中で、ということだろうか。リンは観念して中に入る。

 砦の中も冷気に支配されていたが外よりはマシだった。カビ臭い石造りの通路を、早足で進みながら魔女は続ける。

「私が食うのは人の肉じゃなくて魂なの――死ねば当然魂は身体から失われるわ。だから生きたまま『食う』必要がある」

「だったらあの場でわたしを食べてしまえばよかったんじゃ――」

「――今日はそういう気分じゃないのよ。さ、ここよ」

 どうにも歯切れが悪い魔女をリンがいぶかしんでいると、彼女は扉の一つの前で足を止めた。扉を開くと、ろうそくに火が灯り部屋の中が映し出される。荒れ果ててはいるものの、そこかしらにタンスやベッドといった調度品(無論あちこちボロボロだが)が置かれていた。どうやらもとは立場ある人の部屋だったらしい。

「ここは?」

「私の部屋よ。――今日はそこのベッドで眠りなさい」

 魔女はそう言って天蓋付きのベッドを指さした。よく見ると外の家具と比べるとボロボロ度合いが少ない。日常的に使われているのは確かなようだった。

「古くてホコリっぽいけど凍え死にはしないはずよ。私が言っても説得力無いかもしれないけど」

「いえ、ありがたいです――でも、あなたはどこで?」

「私は魔女よ。どこで寝たって死にやしないわ」

 そう言って魔女はリンを置いて部屋を出ようとする。と、次の瞬間足を止めた。

「――今日は気分が乗らないから生かしておいてあげるけど、二三日の間に必ず『食べる』から覚悟しておきなさい。あと、逃げようとしても無駄よ。ここらへん一体は魔力で常に『見て』いるから何かあれば即座に捕まえられるから」

 そう一気に言ってから付け加えるように「おやすみなさい」とつぶやいて魔女は部屋を出た。足音が遠ざかっていくのを聞いてから、リンはベッドの縁に腰掛け大きく息をつく。

(――助かった、のかな)

 何がなんだかよく分からないが、命拾いはしたことは確かなようだった。少なくともこの瞬間は。

 リンはベッドに寝転がった。強い緊張から解き放たれたからかひどくまぶたが重い。掛け布団をめくって、ベッドの中へと潜りこんだ。確かにホコリっぽいがベッドの中は十分に暖かく、冷えた身体が温まっていく。

 (もっと――怖いものだと思っていたけど)

 遠のいていく意識の中でリンは思う。確かに言い伝えに聞く魔女らしい一面も見た。けれど今こうしてリンを助けたのも魔女で、その落差にリンは少し混乱する。けれどそれも長くは続かず、やがてすべて暗闇の底に飲み込まれていった。




(――何やってるんだか)

 部屋を出てから魔女は心の中でつぶやいた。砦の石造りの廊下は暗く、時折冷たい空気が刃物のように切りつけてくるが魔女は関係ないとばかりにスタスタと歩いていく。普段使っている寝床を明け渡してしまったのでとりあえず今夜一晩過ごせる適当な場所を探さねばならない。いくら食べたり(この場合は普通の人間の食事だが)寝たりしなくても良い身体であっても、疲労感を回復するため多少の「睡眠」は必要だった。幸いどこで寝ようともこの身体は耐えられる。たとえどれだけ薄暗くて寂しい場所でも。

 歩きながら例の子供のことを考える。あのときためらわなければ――いや、あのあとすぐに戻って「食べて」しまえばこんなことにならなかったのに。後悔から歩調は早くなる。

 正直あの子供を「食べて」しまわなければこちらも色々と困る。けれども今この瞬間魔女はひどくためらってしまっていた――原因は分かっている。

 ――「あの子」だ。あの瞬間あの娘と「あの子」を重ね合わせてしまった。これまで何十年もそんなことは無かったというのに、伸ばしかけた手が止まってしまった。暗い砦の廊下で魔女は独り苦笑する。いまさら善良な人間ヅラをしてなんになるというのか。これまで「食べて」きた人間にはあんな子供が何人もいたというのに。

 そのうち大広間にたどり着いた。もともと兵士たちが食事を取ったりしていた場所だ。ここでいいだろう。部屋の隅の周囲を見渡せるところに適当な布を敷き、その上に寝転がった。人並みに寒さは感じるが、眠りに支障はない。

 すぐにでも――少なくとも二三日の間にはあの娘を「食べ」なければ。そうしなければますますその命を奪いづらくなるという強い予感があった。けれど同時にあと数日の間に彼女を食べられないのではないか――という予感もあった。そうしたら自分は――いまさら、どうすればいいのだろう。暗い大広間の、空っぽな空間に問いかけても答えは返ってこない。

 自問自答の内に魔女は眠りに落ちた。「あの子」のことが夢にでも出るかと思ったが――結局出ることはなかった。




 部屋の中に差してくる細い光でリンは目を覚ました。

 重い身体をゆっくりと起こし、周囲を見回す。カーテンの隙間から漏れ出た光が、掛け布団から舞い上がったホコリとともに部屋の中を映し出す。無造作に置かれたタンスなどの調度品は長い年月を経たせいで色あせ、部屋の片隅に置かれた大きな鏡にはヒビが入っている。床の一面に敷かれたカーペットはホコリが積もり、歩くと跡が付きそうだった。

 ここは――確か――眠たい頭で必死に昨日の晩の出来事を思い出した瞬間、眠気に支配されていた頭が一気に覚醒した。自分の体をまさぐり五体満足であることを確認する――まだ生きている。

(――まだ、生きてる)

 リンは手を力なく下ろし、ベッドの上で所在無げに座り込む。本当なら今頃この時間には――昨日のうちには自分という存在はすっかりこの世から消えているはずだったのに、どういうわけだか今もまだ生きている。それも自分の命を奪うはずだった存在の手によって――自分でもよく分からないめぐり合わせに、リンは何も知らない土地にいきなり放り出されたような気分になる。

 そうしてしばらくリンがボーッとしていると、突然腹が鳴った。よく考えてみると一昨日の晩から何も食べていないことに気付く。しばらく布団にくるまりうまくやり過ごせないかと試してみたが、やがて限界が来た。しばらく逡巡したあと、ベッドの中から出て部屋を出る。死ぬつもりで来たくせに我ながら情けないとは思うが――何か食べるものを探さねばならない。

 部屋の外に出ると朝日が山の縁から顔を出し、窓から砦の廊下を明るく照らしていた。多少暖かくなっている石の床を、なんとなく音を立てないようにしてリンは歩く。当たり前だが砦の中は静かで人気一つ無く、足音ですらどこまでも響きそうなほど静かだ。正直音を立てたところで魔女相手にたかが知れたもの――実際今この瞬間もリンを何らかの形で監視している可能性のほうが高い――だと理解しているが、リンは抜き足差し足で砦の中を歩き続ける。

 そうこうしている内に建物の敷地の隅にある一角にたどり着いた。そっと覗き込むと使い込まれたかまどや調理台が見える――台所だ。ここなら何か――と思った矢先に、はたと足が止まる――ものを食べる必要のない人が、台所なんて使う? というよりそもそも食べるもの自体ある? 

 しかし改めてよく見ると、どういうわけだか砦の他の場所と比べても妙に整理されていて生活感があり、日常的に使われているような印象を受けた。やや逡巡したあと、思い切ってリンは飛び込む。

 結論から言えば、あった。台所の奥の方、入り口からは見えづらいところ――そこに無造作に食料が置かれている。リンの住んでいた村でも造られていた芋や野菜、付近の山で取れる山菜に、干し肉。そしてどこから持ってきたのか調味料――ここらへん一体の地域の普通の家ならあってもおかしくない食料がいくつかの木箱の中に積まれていた。これならリンでも人並みのものは作れる――そう思うのと同時に疑問も生じる。果たして一体これは誰が食べるためのものなのか。

 そう思った瞬間リンの腹がまた鳴る。考えている時間はあまりなさそうだった。

(――よし)

 リンは作業台の近くにある木製のバケツを手にとり台所を出る。井戸のある場所は先程砦をうろついているときに把握済みだった――使えれば、だが。




 魔女がする睡眠は人間のそれとは違う。魔女の肉体は基本的に疲労というものと無縁であり、従ってそれを回復するための眠りも必要ない。しかし一方でその精神は完全に疲れ知らずとまではいかず、定期的な「睡眠」が必要だった。その気になればずっと眠らないでいることも出来るが、魔力の行使などに影響が出るのを魔女はある程度身を持って体感している。そのため彼女はできるだけ毎日一定時間こうして「睡眠」を取るのが常だった。

 そして今この瞬間の魔女も自らの精神を眠らせる「睡眠」を、昨晩から砦の大広間の片隅で取っていた。精神は眠っているものの肉体の方は眠ること無く、周囲に魔力で「感覚」を張り巡らし、何かあれば精神の方に働きかけて覚醒を促すようになっていた。無論今その「何か」には生贄の娘――すなわちリンのことも含まれており、砦から逃亡し一定距離――魔力を使って一瞬で駆けつけられる距離――に入れば、精神が覚醒するようにしてある。

 幸いそのようなことはめったに無く、今日この日も魔女は普通の「目覚め」を迎えた。周囲を見回し、その場で少し伸びをする。いくら痛みが肉体そのものへのダメージに直結しない身体とはいえ、寒い場所に硬い床で眠るというのは身体に応えるものがある。なにせ痛みそのものは感覚を遮断しない限り感じるのだ。

 その場で立ち上がってこわばった筋肉をほぐしながら、リンのことを探す。砦から一定距離からの逃亡以外にも魔女への「敵意」を持って行動し始めたときなどに覚醒を促すようにしてあったが、それすら無かったということはとりあえず逃げずにおとなしく砦の中にいるということのようだった。「感覚」を砦の中に集中させるとリンはすぐに見つかった。砦の隅にある台所――そこからあまり動かずにじっとしている。最初は何をしているのかピンとこなかったが、ややあって気付く。

 忘れていた――彼女は「生身」の人間なのだ。

 魔女は頭を抑えながら、台所に向かって歩き出した。こういうとき本当に普通の肉体を持った人間というのは面倒だ――そう思いながら。




 魔女が台所に着くと、そこではリンが熱心に作業をしていた。かまどには火がくべられ、ふたをした鍋の中からはグタグタとものが煮える音が響いている。手際はなかなかのもので、日常的に家事をしていたのがよく分かった――と、次の瞬間目が合い、リンの動きが止まる。

「あ――その――」

「……ずいぶんたくましいわねあなた」

 リンは獰猛な獣とうっかり目を合わせてしまった小動物のようにその場に釘付けになっていた。そのさまがあまりにも情けないので魔女はその場でため息をつく。昨晩の予感は少しずつ当たりつつある。

「……別にいいわよ。食べないと死んじゃうんでしょ」

「でも――」

「食う前に死なれると困るわ――元気があるほうがこちらとしては都合がいいし」

 人間を「食う」と得られる寿命は健康であればあるほど多少多くなるのは確かだ。けれど、魔女が今リンに手を付けないでいるのはそれだけが理由ではない。

「……正直、あとしばらくはそういう気になれないわ。砦の中にあるものは好きに使っていいからせいぜい生き延びなさいな」

「……ありがとう、ございます」

 リンは小さい体をペコリと折り曲げて魔女に頭を下げると作業に戻った。小さい身体に短く切った黒い髪を後ろで束ねただけの簡素な髪型。「あの子」に少し似ているかもしれない――そんな考えがほんの少しだけ浮かぶ。

「……ねえ」

「あ、はい、何でしょう?」

 リンが弾かれたように振り返った。……やはりあまり似ていないかもしれない。そう、とりあえず結論付ける。実際記憶の中にある「あの子」とは似ても似つかない。

「……その鍋の中身、すこしくれない?」

「これ、ですか? 構いませんが……」

 リンはお椀を一つ手に取り、鍋の中身を少しすくって入れた。この地域の冬の主食量である芋と野菜を煮込んだスープのようだ。少し煮崩れて丸くなった具とスープを口の中に流し込む――味はそこまで悪くはない、だが――

「――あんまり美味しくないわね」

「まあ、本当にそこら辺にある食材で作ったので……というかなんでこんなところに食材が――」

「……作ったのよ」

 魔女のつぶやいた言葉にリンは驚いた表情を向ける。魔女は淡々と言葉を続けた。

「魂を『食う』とその人間の記憶とかも一緒に取り込むことが出来るの。生贄にはここら一体の農夫もいたから見よう見まねだけど食えなくは無いものは作れるわ」

「育てたってことですか? えっと、でも……」

「『食べる必要が無いのに』でしょ? ……そうね、実際必要ないわ。普通の食べ物を食べなくても生きてはいける。でもね、要らなくても『必要無い』ってわけじゃないの」

 そこまで話して魔女の口ははたと止まる――なにを話しているのか。この娘に話してもしょうがないことだろうに。

 「……喋りすぎたわ」

 そう言うと魔女はリンから背を向け、急いで台所から出ようとする。だが次の瞬間「あ、あのっ!」というリンの声が響いた。振り向くとリンがお椀を両手に持って立っている。中には先程味見したスープが入っていた。

「なに?」

「あの、良ければこれ……食べませんか? 一人じゃその……食べきれないんで。必要ないのは分かってます。でも……残っちゃうのももったいないですし」

 そう一気にリンは言って、魔女の顔を真っ直ぐ見つめてくる。どこか必死そうな光を湛えた黒い瞳。その光に耐えられなくて、魔女は思わず目をそらす。

「……一応もらっておくわ。気が向いたら食べる」

 そう言ってリンの手から乱暴に奪い取るようにしてお椀を取り、慌てて台所を出る。来たときより早足で大広間まで戻り、中に入ると入り口のドアを背にして座り込んだ。

(――何やってるんだか)

 心の中でそうつぶやくと、手の上のお椀を眺めた。出来たてのスープはじんわりと熱を持っていて、それがお椀を通して手のひらまで伝わってくる。正直食べる気にはならない。けれど、そのまま捨てる気にもなれなかった。

 魔女は手のひらのお椀がすっかり冷めるまで、そこに座り込んでいた。完全に冷めたあとも、そうしていた。

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