第10話 吸血鬼

翌朝早々隼人にたたき起こされた蝶子は、普段どおり学校へ向かった。

蝶子の気持ちとは裏腹によく晴れた日だった。

女学校では朝、藤堂光子は休み、とだけ伝えられた。

ぽっかりと空いた光子の席を眺めながら、蝶子は一人胸を痛めていた。

それは光の君がまだ見つからないことを意味していたからだ。

嫌な想像ばかりが蝶子の頭の中を駆け巡った。

いつも通りハルさんが作ってくれたお弁当も、今日は喉を通らない。

ハルさんには悪いと思いつつ、ほとんど手をつけないまま弁当の蓋を閉じた。

もしまた昨日のような男に出会ったら、確実に次はないとわかっている。

あのとき感じた恐怖が蝶子の胸に幾度となく蘇った。

それでも、光の君を探したい。

少女はそう思っていた。

光の君は誰にでも平等に親切で明るく、皆から慕われていた。

蝶子はそんな光の君にいつも救われていたのだ。


午後学校が終わると蝶子は一目散に校門に向かった。

しかし、そこには思いもよらない人物が立っていた。

「あなたは……一条殿……?」

警察の制服を身にまとった一条時雨が、そこには立っていた。

女学校の生徒たちは二人をチラチラと見ながら脇を通り過ぎていく。


「こんなところで何をしているんです?」


蝶子が彼に話しかけると、彼はおもむろに口を開いた。


「君、昨日藤堂光子を探していて警察に保護されたそうだな」


少女はその言葉に一瞬驚いた。


「一条殿の耳にも入っていたのですか……」

「ああ。そのことで君にちょっと話があってな」

「話?」


蝶子は怪訝な顔をした。


「実は、藤堂光子が見つかった」


時雨はさらりと重大なことを口にした。

蝶子は目を丸くする。


「本当!?彼女は無事なの?」


少女は思わず時雨に掴みかかる勢いで詰め寄った。

時雨は必死な彼女の様子にやや驚いたようだったが、少しの間のあと言葉を続けた。


「……生きている。少し問題はあるが」

「問題……?」

蝶子は嫌な予感がしつつ、時雨と共に光子の家へと急いだ。


藤堂家の広い屋敷を訪れると、そこには憔悴しきった様子の光子の母、栄(さかえ)がいた。

栄は、今光子は寝ているから会わせられない、と言った。

蝶子はどうも栄の対応に違和感を感じた。

少女が戸惑っていると、時雨が横から口を挟んだ。


「光子さんの様子がおかしいんじゃないですか?

栄ははっとした表情をすると、今にも泣き出しそうな顔をした。

そして重い口を開いた。


「実は…昨日深夜にふらりと戻ってきてから……光子が光子じゃなくなってしまっていて……」

「どういうことですか?」


蝶子は栄の目を見ながら質問した。

栄はやっと実情を話すことを決めたのか、中へと案内した。

通された薄暗い和室は光子の部屋ではなかったが、そこで光子は寝ていた。


――縄で柱にくくりつけられた姿で。


「おばさま……これは一体どういうことですか?」


首もとには白い包帯が巻かれ、口は手ぬぐいを噛まされた状態だった。

彼女の痛々しい姿に、蝶子はそう問わずにはいられなかった。

栄は涙ながらに語った。


「みっちゃんは私達を襲おうとしたの……それを旦那と息子が必死で押さえつけて。夜が明ける頃には眠ってくれたんだけど……」


そんな栄に時雨は確信めいた質問を投げかける。


「日の光を嫌がりませんか?」


栄はまたびっくりした顔をした。


「どうしてあなたはわかるんですか?」


青年は表情を変えずに答えた。


「私は警察の特殊捜査官です。今回の光子さんのような一連の事件を担当しています」


蝶子は時雨の顔を見上げた。

今までぼかしていた部分を始めて語ったからだ。


「おそらく夜にはまた発作が起こりますから、縄は外さないで下さい。それと通常の食事は受け付けないので、輸血用の血液か鶏の血を与えて下さい」

「血……?」


蝶子と栄の二人は驚いて目を見合わせた。


「わかりやすく言うと、光子さんは吸血鬼になってしまったのです」


時雨は顔色を変えずにとんでもないことを言ってのけた。

栄はさーっと青ざめると、とても受け入れられない、という顔をした。


「そんな、光子が吸血鬼だなんて……!どうにかもとに戻す方法はないんですか!?」


栄は時雨にすがるように詰め寄ったが、彼は冷静に答えた。


「今のところお嬢さんをもとに戻す方法は見つかっていません。先ほどお伝えした方法で延命をはかるしかありません」

「一生柱にくくりつけて血をすすらせろなんて……それなら、それなら、死んだ方がマシじゃないですか!!」


栄は堰を切ったように泣き崩れた。


「おばさま、しっかりしてください……!」


蝶子は栄の背中をさすりながら、慰めることしかできなかった。

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