第7話
本当に今年は台風が多い。九月の体育祭も雨天延期になった。
平日開催で部外者が少ないというのは、在学生には喜ばしい事ではある。来校者に気を使わなくてもいいからね。
そして十月になっても台風の影響で雨が多く、そんな土砂降りのある日、頑張って学校までたどり着いた僕に特大のサプライズが待っていた。
ちょっと大袈裟だけど、例の上野君が保健室登校してきたのである。二学期になってからの初登校らしく、かなり緊張している。
朝の挨拶くらいはそうそうにすませたけど、その後が続かない。
さて、どうしたものかと思案していると不意に部屋の扉が開いた。
「・・・」
部屋にいた一同が絶句していた。おばちゃん先生さえも驚きに声を失っている。
部屋の入り口に立っていたのは、ずぶ濡れの一人の女子生徒だった。
傘もさしていなかったようで、長い髪が身体全体にびっしりはりついて、まるでホラーに出てくるセーラー服のゾンビのようだった。
「すみません。遅刻しました」
尋常ではない状態の生徒は、自分から普通に話しかけてきたので、やっと僕達も平常心を取り戻した。
「あらあらまぁ!」
おばちゃん先生はすばやくスチールの戸棚から白いバスタオルを取り出して彼女の身体を包み込んだ。
「ごめんなさい君たち、ちょっと席を外してくれるかな。ついでに廊下にモップかけしてくれると助かるんだけど」
僕と上野君は部屋を閉め出されてしまい、とりあえず言いつけられた廊下の掃除に取り掛かった。
保健室前から辿って行って三年の靴箱の前まで、落ちた水滴の後を消す。
それから僕達は図書室に移動することにした。鞄は保健室に置いてきてしまったし、他にすることもなかったからだ。
「あら、どうしたの?」
図書室の先生は二人が一緒にいることに驚いたようだったが、保健室を追い出された話をすると笑って自習室を貸してくれた。
そして、保健室に入れるようになったら連絡してくれるようにおばちゃん先生に内線電話で頼んでくれた。
「ここ良く来るの?」
上野君が小声で訊いて来る。
「僕はあんまり利用しないけど、教室に入りにくい人はいつでもどうぞって言われてたから」
僕達は歴史の授業に関連ありそうな本を借りて読書することにした。少しは勉強に役立てられるかと思ったからだ。
「失礼しまーす」
しばらくすると女性の声がして、ちょっと大き目の学校のジャージを着た生徒が図書室に入って来た。眼鏡をかけて髪を一つに括っているけど、今朝の彼女だ。
「あ、いたいた。ごめんね部屋追い出しちゃって。もう着替えたから帰ってきて」
僕達は彼女の後を付いて図書室を出た。
「廊下もお掃除してくれたんでしょ。ありがとう」
明るく振舞おうとしているのだが、土砂降りの中、ずぶ濡れで学校に来るなんて尋常じゃないに決まってる。
何があったんだろうと思いつつ、とり止めのない会話をしているうちに、保健室に着いた。
「すみませんその・・・常駐してるのは僕だけなので・・・」
保健室では、窓際の机は長いこと僕専用になっていた。あとは部屋の中央の机を四つくっつけた席があるだけだ。
「気にしないで。私、こっちの机でいいから。よろしくね。・・・えっと上野君?」
胸元のネームプレートを見て彼女は上野君に笑顔を向けた。
「私、三年の楡崎です。」
「あ、どうも・・・」
ちょっと照れたのか俯いた上野君をかばうように、おばちゃん先生が今日は久しぶりに登校して来たのよね?と声をかけた。
「そうなんだ・・・。伊藤君はいつもここに?」
「まぁ、ちょっと教室恐怖症で」
苦笑いでやり過ごしていると、大柄な先生が保健室にやってきた。
「楡崎。大丈夫か、傘壊れたんだって?」
「そうなんです。風で折れちゃったんです」
にこやかに話している二人の横で、彼女の顔が一瞬曇ったのを僕は見逃さなかった。
担任であろうその先生はそんな彼女の様子には気が付かなかったようだ。
「それは災難だったな。でも体操服借りたんなら、そのまま授業受ければいいんじゃないか?」
「えっ・・・」
「文化祭の打ち合わせもしたいから、次の時間は教室にいてくれないかな。学級委員がいないと話が進まなくて困るんだ」
先生に押し切られるようにして、彼女は保健室を後にした。
彼女の、今朝の謎の行動の原因はまだわからない。
このまま日常に戻って行くのはちょっと早計じゃないかなと、おばちゃん先生をチラ見したけど、先生も少し不安そうな表情を浮かべていた。
そして、事件がおこったのは昼休みの職員室だった。
保健室は職員室の隣にあって、扉が少しでも開いていたら声が漏れてくるのだが、言い争う声といろんなものが叩き落されるような音がした後、大勢の人が廊下を走って行った。
僕と上野君は昼食を食べていたのだが、二人ともそのままの体勢で廊下を覗き込み、廊下にいた先生から部屋に押し戻されてしまった。
音だけでは状況はわからなかったけど、あれだけ先生たちがいたのだから、まかせるしかないかと思った。
すぐに若先生が来て、生徒が相談を受けているからおばちゃん先生はしばらく不在であることを伝えられた。
その日、おばちゃん先生も楡崎さんも戻って来ず、僕と上野君は六時間目まで過ごした後、帰路についた。
「今日は驚きっぱなしだった」
上野君は小さくため息をついた。
「ほんとにね」
別れ際に手を振りながら、僕は彼がまた登校してきてくれることを願った。
********
翌日、楡崎さんの不安定な心の原因はわかった。
成績優秀で正義感に溢れた彼女は、学級委員を絵に描いたような人で、クラスをまとめて先生を補助し、みんなから信頼されていたのだが、頼りにされ過ぎたのだ。
担任の仕事を手伝わされて、それ以外にもあれこれと用事を言いつけられて、自分の時間がなくなってしまった。
塾の宿題もあるのでと断ろうとしたら「徹夜すればいいじゃないか」と笑顔で言われて、なにかが彼女の中で壊れたのだ。
楡崎さんはあの日から一週間ほど欠席していたらしいが、今日は保健室登校してきた。
「楡崎さん。机で寝ると風邪引きますよ」
机を四つくっつけた席で、彼女は鞄を枕にして顔を伏せている。
先生達は緊急会議で他に誰もいない。上野君は彼女と入れ替わるように今日は欠席だった。
「昔話を思い出してたの。・・・伊藤君、聞いてくれる?」
顔も上げずに、彼女は話し始めた。僕は俯いて数学の問題を解きながら聞いていた。
「私、昔から先生に用事を頼まれる事が多くて。五年生の時に、クラスで感情の不安定な子の面倒を見てくれって頼まれたの。私がその子の側にいたら、落ち着いてくれて。だからずっと一緒にいなきゃって思った。そしたらそれまで仲良しだった子達がわたしから離れていったの」
僕は手を止めて彼女を見た。
「六年生になって、卒業アルバムの写真を仲良しグループで撮ったけど、私達は二人っきりだった。修学旅行の写真も二人きり。その子が嫌いだったわけじゃないけど、どうして私だけがそんな立場にならなきゃいけなかったのか。今でも思い出すと胸が苦しい。誰にもわかって貰えなかった。私、あの時とても寂しかったんだって思うの」
「それ誰にも話さなかったんですか」
彼女は顔を上げて頬杖をついた。
「母には話したけど。・・・うちの母はなんというかとても気が強い人なの。泣き言を許さないタイプ。先生の言うことをやりとげたのになにが悲しいのって感じ」
そうして彼女は、僕のほうに顔を向けて微笑んだ。
********
楡崎さんは父親が単身赴任しているマレーシアに母親と共についていくことにしたらしい。
しばらく日本を離れてのんびりした方がいいからという結論のようだ。高校受験まではもう少しあるし、大学に行くことを考えているなら、高校は場所を選ばないし。
「伊藤君?」
楡崎さんの見送りに行ったおばちゃん先生が戻ってきて、僕を見て心配そうに声をかけてきた。
「なんでもないです・・・」
僕は小さい声で言った。何度も鼻をかみ過ぎて鼻の頭が赤くなっているだろう。
心が痛い。どうにもならない思いに胸が苦しい。
誰が悪いわけでもなく、ただ彼女の胸の痛みはしこりとなって残っていくのだろう。
奪われた時間は取り戻せない。
『伊藤君。泣いてくれてるのね』
嗚咽をこらえている僕に、彼女は言った。
『あなたが保健室の主って呼ばれてるの知ってる?』
僕は首を横に振った。
『保健室に来るとね、あなたがいつも生真面目に勉強してる姿を見るの。そして、先生たちがいない時でも、無駄な詮索とかぜんぜんなくて、ほっといてくれる。でも、困った時には親切にしてくれるって。・・・私も、あなたなら私の気持ちわかってくれるんじゃないかと思ってた。話を聞いてくれてありがとう。知り合えてよかったわ』
涙目になっている僕とは対照的に、彼女は微笑みを浮かべていた。
彼女の方が傷ついている筈なのに。最後の最後まで、彼女は優等生の学級委員なのだ。
いつか、彼女の気持ちが楽になる日がくればいい。すぐでなくても。
僕にはただ、そう祈るしかなかった。
ーーーー次回予告・自炊男子
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