第2話

 その日は朝から保健室は慌しかった。教頭が朝からおばちゃん先生に一人の生徒が保健室に来るからその対応をしてくれるようにと頼んでいった。

 二時限の始まったくらいに保健室にやってきたのは、半泣きのままスポーツバッグを抱きしめた小柄な女子だった。隣のクラスの子だと一瞬でわかったけど、スポーツ好きで健康的な雰囲気があったので、保健室に来るような感じではなかったのに。


「伊藤君、先生はちょっと個別指導室にいくから誰か来たら応対よろしくね」


「わかりました」


 あいにくと若先生(若い方の先生)が研修で留守だったため、保健室常任の僕が、後を預かった。といっても、授業中にここに来るのは常連か怪我人だけなのでたいしたことはない。


 というか、昼休みにかかったらアウトだけど。


 昼休み時間の保健室の混沌さといったらない。急病人怪我人付き添いはおろか先生とちょっと話したいとか言う生徒が山のように来る。

 でも、ここで受け止めてやらないと学校に来なくなる子とかもいて、おばちゃん先生的には、来た子はここで受け止めるというスタンス。

 とりあえずの隠れ家的な存在でいいんじゃないかという考えには、反対する先生達もいて、いろいろ大変そうだ。

 いや、僕としてはどちらも正論だと思うし、世の中は白黒以外のグレーゾーンもなくてはならないものだとも思う。


「あれ、先生は?」


 何時の間にか休み時間になり、菜子ちゃんが部屋を覗きにきていた。


「個別指導室だけど」


「そっかぁ。若先生もいないんだぁ。じゃこれ先輩にあげるね」


 菜子ちゃんは可愛くラッピングされたクッキーの小袋を手渡してきた。


「調子どう?」


「ばっちりだよー」


 小さく手を振ってばたばたと走っていった。先生たちの顔を見にきたんだろうな。今は具合もよさそうだ。ただ、いつ何があって戻ってくるかも知れない。

 でも、守られた保健室から、大海原に漕ぎ出す小さな船の上に乗れるだけいいのかも。ただ海岸線に立ち尽くしている僕からしてみたら。

 何度も傷つけられるのに怖くなり、僕はここの常連になったのだから。


「伊藤君、お昼だよ」


 気が付けばとっくにお昼になっていたらしい。僕は慌てて鞄から弁当を取り出した。無意識に部屋を出て廊下の手洗い場に向かうと、たまたま移動教室の帰りだったクラスメイト達とばったり出会った。


「お、伊藤君じゃん」


「あ・・・」


「お前学校来てんのか?そんなんじゃ内申書悪くなるぜ」


「こいつは頭いいんだから高校行かないで大学行くんだろ。いいよな、保健室で寝てりゃいいんだからなぁ」


 口々にはやしたてる彼らを振り切って、僕は保健室に飛び込んだ。


「あれ、伊藤君どうかした?顔色が・・・」


「なんでもないです」


 扉を閉める直前に言われた言葉が頭の中を駆け巡る。


『あいつ仮病なんだろ?』


 一番聞きたくない言葉だった。



 ******** 



 朝の一件で保健室登校者が一人増えたという話を小耳に挟んだ。

 彼女の名前は小春ちゃんという。卓球部所属。

 小さくて可愛い感じなんだが、そのせいでクラスメートの一部の男子からはからかいの対象になっていた。

 最初はちょっとした事から始まるからかいはやがてエスカレートして行く。

 耐えられなくなって学校を二日程休んだところで母親が気付き、学校に連絡を入れて来たらしい。

 本人としては部活動は続けたいということだったので、授業中は保健室にいて部活は普通に参加するという結論になった。

 いい案だと思ったが、これが思わぬ事件の引き金になるとは誰も思っていなかった。


 小春ちゃんが保健室登校を始めて二週間が過ぎた頃、朝早く保健室に駆け込んだ彼女は自分の鞄に顔を埋めて号泣した。呆気に取られた僕は声を掛けそびれたが、若先生が話を聞き出したところによると、今朝は授業受けてみようと思い、保健室とは反対側の階段を上ろうとしたところ、部活の顧問の先生に遭遇した。

 出会いがしらに保健室通いをなじられ、授業を受けないんだったら部活に来るなと怒鳴られた。という事だった。


 推察するに、彼女が授業に出ていない事を、嫌味に注意した先生がいたんだろう。

 それは酷い。他人の僕でも胸が痛くなる。


 結局、暴言を吐いた先生に対して何か処罰が行われたかとかは秘密事項として生徒には教えて貰えなかったが、卓球の別の顧問の先生が駆けつけてくれて


「なんであいつはそんなこと言ったんだろうねぇ」


 と言って小春ちゃんを慰めてくれて、一緒に先生に謝罪の文章と、一日3時間は授業を受けるという誓約書を書いて、なんとか部活を続けて行くことを許して貰った。


 それもなんだかなぁ、と思ったけど、色々と穏便に済ませた方が後々都合がいいのはお互い様である。


 そんなこんなで、小春ちゃんは最低一日3時間は授業を受けるために教室に戻って行く。

 泣きながら戻って来る事もあるけど、卓球を続ける為に彼女は頑張っている。

 大事なものの為に頑張る。


 まぁ僕には一番欠けている部分かも・・・知れない。


ーーーー次回予告・眼鏡男子

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