僕らの居場所は保健室だった

間柴隆之

第1話

 初夏の学校。中学校の朝は早い。八時には教室に入っていなければならない。そして朝の読書の後に、先生がいつものように出席を取り始める。


「青木」


「はい」


「明石」


「はーい」


「伊藤」


「せんせー伊藤君はいませんよ」


 学級委員が声を掛ける。


「そうだったな」


 先生はそのまま出席を取り続け、女子はそこここでヒソヒソ話を始める。


「伊藤君、また保健室なの?」


「授業サボれていいよね」


 多少ざわついたまま二年一組の朝のHRが始まる頃。


「へ・・・くしっ・・・へっくしっ・・・」


 窓辺にいた僕は急にくしゃみを連発していた。


「あら」


 保健室の白い部屋の中、紺色のジャージの保健の先生が、朝早くから来る急病人の世話をしながら振り返った。


「伊藤君、風邪?」


「いえ。花粉が飛んでるかも。窓閉めますね」


 僕は窓を閉めた。窓辺に置かれた机で一人教科書を広げていたが、ながめているだけで、頭に入っているわけではない。パラパラとページをめくったりノートに鉛筆を走らせたりしているが、英単語を覚えているわけでもない。

 ぼーっとしているだけでは保健室にいさせてくれないから、それらはただのカモフラージュに過ぎない。

 それでも、そんな面倒くさい思いをしても、僕にはここ以外に居場所はなかった。


 これは、僕が教室から逃れ、保健室に入り浸っていた中学校時代の話である。



******** 



 その頃、僕の中学校では各クラスに一、二名は不登校の生徒がおり、それ以外にも度々学校を休む者、教室で授業が受けられずに特別室で授業を受ける者がいた。

 また、僕のように保健室登校をする者も少なからずいた。


「おはよーございまーす」


 一時間目の始業ベルと同時に元気に保健室に駆け込んで来たのは、一つ下の学年の女子だった。


「おはよー、菜子ちゃん。今朝は遅かったね」


 机に向かって書き物をしていた保健室の年配の先生が、彼女に声をかけた。


「私、今日お弁当作ってきたんですよぉ」


 彼女がにこにこして話しているのは調子がいい時。先生も嬉しそうにおしゃべりに付き合っている。 

 とりとめのない二人の会話を聞きながら自習していると、扉が勢いよく開いた。


「おはようございます。教頭先生」


 髪を七三に分けた教頭は、返事をする間もなく僕の方につかつかと歩み寄って来た。


「伊藤君」


「あ。おはようございま・・・」


 音をたてて机に両手を置かれて、僕は反射的に椅子から立ち上がった。椅子が嫌な音をたてて後ろに下がる。


「君はまだここで自習しているのかね。そろそろ教室で授業を聞いてもいいんじゃないか?」


「えっ、教室ですか?」


 すでに教室という言葉を聞いただけで、背筋に冷たいものが走った。


「先日の県内学力テストだって優秀な成績だったじゃないか。教室で授業を受けたらもっと成績が伸びるかもしれないぞ」


 詰め寄られて、口ごもる。胸の鼓動が耳に響く。

 思い出したくもないクラスメートのいる教室の雰囲気が蘇り、なんだかんだと一人でしゃべっている教頭の声が級友達の騒々しさにかき消され、ヤバイと思った時には意識が飛んだ。


「ーーー!!」


 超音波のような金切り声と、床に倒れこんだ痛さですぐに意識は戻ったけれど、こんな形で僕の進級して第一回目の卒倒シーンは始まったのである。


「えっえっ・・・」


 菜子ちゃんは怯えて泣きじゃくり、教頭は廊下に引きずり出されて説教され頭を掻いている。


『何度も言ってますでしょう。伊藤君も菜子ちゃんも理由があってここにいるんです』


『しかし他の生徒達の手前、あんまり特別扱いをするのも・・・』 


『何かあったら私が責任をとります。だからここは私に任せてもらえませんか』


 頑張れおばちゃん先生、と僕は心の中で思った。保健の先生だけど役職は教頭と同等だという事を僕は知っている。

 まだ納得出来ない素振りの教頭が立ち去った後、さっきまでのはしゃぎようと打って変わって菜子ちゃんは大人しくなった。

 彼女は感情の起伏が激しい。自分でコントロール出来れば全然問題ないんだけど、まだまだそういうわけにはいかないらしい。


「菜子ちゃん、折り紙折ろうか、昨日の続き?」


 先生が折り紙の入ったケースを手にする。


「ううん」


 俯いた彼女はそのまま机に突っ伏した。半分は僕のせいなんだよね。なんとかしてあげたいけど僕にもどうやっていいのか・・・。

 考えている間に一時間目の終わりのチャイムがなり、ガヤガヤと生徒達の声が聞こえてきて、ガラッと扉が開いた。


「菜子ちゃ~ん」


 女の子が二人ずかずかと保健室に入ってくる。


「次の時間ダンスだってよ。菜子ちゃん来ないと寂しいよ~」


 さっきまでとは別人のように元気になった菜子ちゃんは、荷物を全部持って部屋を出ていった。

 友達が迎えに来るのか。ちょっとうらやましいと思ったせいか頭痛がしてきた僕は、いつもの窓際の席の机に突っ伏した。


 教室に入れたら・・・。


 入るだけなら簡単だ。授業中はまだいい。授業中以外が問題なんだ。先生と言う監視の目がない時の教室は針のムシロだ。気を抜くと誰に絡まれるかわからない。

 彼らは予測出来ない暴言を気軽に吐きかけてくる。無邪気に笑いながら。

 その言葉で人が傷つくなんて思いもしないように。いや、普通は傷つきもしないのかも知れない。


 心の弱い者だけが居場所をなくしてしまう。

 それが学校・・・なのか?


ーーーーー次回予告・卓球少女

 

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