10.
***
片付けができないわけじゃあない。
炒飯という料理は、スピードが命だ。
だから片付けは、あえて後回しにしているんだ。
あえて後回しにしていると言っても、最初のうちは自分で片付けることはほとんどなかった。
作り終えればあたたかいうちに食べろと急かし、食べてしまえば腹一杯でちょっとひと休みしてからなどと横になってしまう。
シンクには、積み重ねられた洗い物。
加須美はそういうものを長い時間置いておきたくない質だから、夫が横になっているうちにさっさと片付けてしまうのだ。
そうすると必ず、
「任せとけって言ったのに」
という、不機嫌そうな一言が返ってくる。
「そもそもね、まな板とか包丁とかを綺麗に片付けてから炒める工程に入ればいいだけの話だと思うのよねえ」
どうしてそういう流れにならないのか心底不思議でならないといった様子だった。
そう話している間にもテキパキと手は動き。
シンクと調理台はすっきり綺麗に片付いた。
「ほら、この方がやりやすいでしょ?」
散らかったせいで片隅に追いやられていた食材を、すっかり片付いた作業台に広げる。
下ごしらえの済んだ野菜と鶏肉。オイスターソースやら焼き肉のタレやらに豆板醤を加えた特製ダレ。
その横に溶き卵や白飯を並べようとしたところでサエに止められた。
「あのね、加須美さん。大丈夫だからあとは私に任せて!」
自信たっぷりに言う姿が夫と重なった。
「……そう?」
なかば強制的に厨房から追い出されて席に着く。あえて不満そうな視線を送ってみるが、サエは気づかぬふりで料理を続けた。
「それじゃあこれから炒めるよ! まずは鶏肉と野菜から!」
サエが仕切り直しとばかりに元気な声を上げた。
油をなじませたフライパンが熱くなりすぎないうちに、刻んだニンニクとショウガを放り込む。じゃっと水気がはじけた音はすぐにおとなしくなって、ぱちぱちと控え目な音に変わった。
ふんわりと立ちのぼる、ニンニクとショウガの匂い。
くんと鼻を鳴らしその匂いを嗅ぎ取ると、鶏肉、ニンニクの芽、玉葱、にんじんと、次々に入れて炒め合わせていく。野菜の青臭さや辛みに混じってあまい香りが上がってきたらサラッと塩、コショウ。
じゃっ、じゃっ、じゃっ、とリズム良くフライパンを振る。
あちこちに油がはねているのではないか。食材がちらばっているのではないか。そうだとしたら後片付けが大変になるわね、などと心配で心配で。カウンター越しに見えるサエの動きに、加須美はそわそわと落ち着かない。
しかしその浮き足だったような感覚は、豪快な調理風景だけが原因ではなかった。
コンロの前に立つ姿が、頼もしく見えれば見えるほど、加須美の胸はチクリと痛む。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ」
篁はそう声をかけてからお茶を啜った。加須美と目を合わせることはなく、湯呑みを置いたあとも何食わぬ顔で厨房のサエの様子を眺めるだけだった。
「何か言ったー?」
炒める音に邪魔されて満足に聞き取れなかったようで、サエが大きな声で問いかける。
「なんでもないよ。楽しみだねって話をしてただけ」
そうでしょと視線を送る篁に、加須美は戸惑いながらも「ええ」と笑顔を作ってみせた。
声を聞いていただけのサエは不審に思うようなこともなく、
「私も楽しみだよ! どんな味になるんだろうね!」
などと言いながら調理を続けた。
鶏肉に火が通りふっくらとして見えたら、しめじと特製ダレを加えてもう一混ぜ。
熱々のフライパンに熱せられタレの匂いが膨らむと、その匂いだけでぐうっと腹が鳴った。
炒めた肉と野菜をいったんバットに上げて、フライパンの汚れをさっと拭き取る。
いよいよ仕上げだ。
「あっという間にできあがるからね! 食べる準備をして待っててね!」
そう告げたあと、サエは深く息を吸った。まるでこれから水に潜るのだというような深呼吸。
大きなかけ声で気合いを入れて、熱した油の中に溶き卵を注ぎ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます