9.
「一人暮らしをしていた頃に唯一作れたのが炒飯だったらしいの。卵とネギとチャーシューだけの、パラパラな炒飯を作っていたみたいなんだけど」
栄養バランスを考えたのち、品数を増やすのではなく具材を増やす方向へと進んだそうだ。
味も良くボリュームもあるということで仲間内では夫の炒飯は好評だったという。
「そういうわけだから、主夫デーって言ったら最初の頃はいつも炒飯だったわ。回が進むにつれレシピ本を見ながらだけどいろんなものを作れるようになったから、そういえばしばらく炒飯は作っていなかったわね。最後に食べたのはいつだったかしら」
「苦手なのに、大変だったね」
篁が同情の色を見せる。
そうね、と一度は言葉を合わせた加須美だったが、すぐに首を横に振った。
「でもこれが意外と、パラパラなんだけどしっとりしていて、濃厚なのにしつこくなくて、不思議なことにたまに無性に食べたくなるのよね」
ぱあっと明るく、嬉しそうな顔つきで――そしてどこか不服そうな顔をして言った。なんだか悔しいのよねなどと茶目っ気たっぷりに続けるものだから、なんだかサエまで笑顔になってくる。
そして、口もとが緩めばついでによだれがこぼれそうになる。
「聞いてるだけでお腹が空いてきたよ! もう! 話の続きは料理をしながら聞くね!」
まずは下ごしらえからと食材を手に取った。
「にんじんは小さなサイコロ、ニンニクの芽は一センチくらいかな? しめじは小房に分けて、ショウガとニンニク、それから玉葱は粗みじん!」
ざくっざくっと、次から次へ包丁を入れていく。それは手際が良いというよりは、大胆で思い切りがいいという具合。
続けて鶏肉を手にするが、
「三センチ角くらいって、炒飯の具にするには大きくない?」
切った本人が驚くほどの存在感。
あっという間に材料を切り終えると、篁が驚いたように言った。
「あんたが言うほど、できない人じゃないみたいだけど」
加須美は最初は篁の言葉の意味を掴みきれず、きょとんと目を丸くしただけだった。しかしサエの動きが加須美の思い出の中にある夫の姿を元にしたものだと知ると、篁の言葉に合点がいったようだ。なるほどと言い愛おしそうに眺めていたが、やがて苦笑をもらした。
「調理自体ははじめからそこそこできたのよ。問題はね――」
言いながらすくっと席を立った加須美は、 厨房に立ち入りサエの隣りに立った。
「こうなのよ」
呆れたように視線を落とした先には、荒れたシンク。
使い終えた包丁やまな板、野菜のくずに、鶏肉が入っていたプラスチックのトレイなどが雑然と放り込まれていた。
「あららら。これは、ひどい」
調理していたサエ自身も、シンクの荒れっぷりに目を向けて肩を落とす。
「あなたの力というのはすごいのね。本当にあの人が料理してるみたい」
言いながら、加須美は腕まくりをした。
サエの隣りに立ち手際良くシンクの中を片付け始める。
「あの人の料理というのは、それはもう本当にひどかったのよ。どこに何があるかまったくわからないから、ことあるごとに大きな声で私を呼ぶの。その上この有様でしょ? あちこち散らかすにいいだけ散らかして。それなのに手伝おうとすると『いいから任せとけ』の一点張りで。それで、おとなしく従って台所から離れたら、『うわっ!』とか『あちゃー』とか聞こえてくるのよ。もう、ハラハラしちゃって心臓に悪かったわ」
そのせいで病気になったのかしらなどと笑えない冗談を言う。
「だけど、どんなものができるのかしらってワクワクもしたの。だって私のする料理とはまったく違うんですもの」
加須美は思い出してフフと笑った。
そっと胸に手を当てる。
「良くも悪くも、あの人が料理をするというのはこんなにも私の心臓に負担をかけていたのね。サエちゃん、このあとはなるべくハラハラドキドキさせないようにお願いね」
茶目っ気たっぷりに笑う加須美に対し、サエは任せておいてと自分の胸を叩いた。
叩きはしたが――
「大丈夫、だよね」
シンク内の惨状に視線を落とし力なく笑った。
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