6.


     ***


 篁に手紙を託し三途の川へと向かったはずの加須美が食堂に戻ってきた。

 事情を尋ねると不思議なことを言う。

「いくら歩いても、三途の川にたどり着かないの」

 困ったような表情ではあったが、声色に含まれていたのは、どちらかといえば困惑というよりは好奇心のようだった。

「だって、狐につままれたみたいなんだもの」

 大河はたしかに見えているのに、いくら歩いてもその距離は縮まらず。不思議に思い首を傾げると、視界の端にうっすら食堂の影が見えたという。

「だいぶ離れたと思ったのに、本当に不思議ねえ」

 もう一度首を傾げて、加須美はまるで他人事のように言った。

 サエと篁は顔を見合わせ、そして揃って壁に貼ってある短冊を見た。

「アレだよね?」

「あれだろうね」

 もう一度視線を合わせて、うんうんと頷いた。

 一足遅れて加須美がその動きを追う。

「さっきのお話よね。『ご飯を食べて、問題を解決!』っていう」

 サエの仕草を真似て言う。

 そうしてから腑に落ちないといった様子で眉根を寄せた。

「問題は解決できなかったということかしら」

 夫への伝言を残すことができたのだから、川を渡れない理由はなくなったはずだ。

 しかし加須美はここにいる。

 実際に夫に渡してからでなければ問題解決とならないのだろうかとか、そもそも篁が加須美を騙そうとしているのではないかとか、様々な憶測が飛び交ったが、ではどうするかという話になると三人の意見は一致した。

「やっぱり、ここは『三途の川のホトリ食堂』だから料理で解決しなくちゃダメってことじゃないかなあ?」

「そういうことなのかしらねえ」

「考えても仕方ないから、とりあえやってみればいいんじゃない?」

 篁が手にした書類をひらひらとさせる。

 そうね、と加須美がため息をこぼした。

 そうだよ、と続いたサエは手にしていたお盆で口もとを隠した。喜ぶべきではないとわかっていても、加須美の思い出の料理を食べられるのだと思うと顔が緩むのをおさえることはできなかった。

「それじゃあ、さっそく加須美さんの思い出を覗かせてね」

 サエは篁が用意した書類を加須美の前に差し出した。

 言われるまま、加須美は一番下の空白にさらさらと自分の名前を記す。やわらかな筆致。

 こんなステキな文字がどんな料理へと変わるのかと期待が膨らむ。

 篁がさっと書類を取りあげた。

 その手から逃れるように、加須美の書いた文字だけがふうわりと宙に残った。

 揺れながら、しかし迷うことなく短冊を目指し進む。ふっと息を吹きかければどこかに飛んでいきそうな細く繊細な字で書かれた加須美の名は、途中でほぐれて一本一本に分かれるとなおさら頼りなく、サエや加須美を不安にさせた。

 二人はじっと、線の行方を目で追った。

 一本目の線が短冊に触れると、サエはほっと胸をなで下ろした。

 一拍おいて、加須美がわあっと声を上げた。

 自分の書いた文字が短冊の表面で八つのメニューへと変わっていく様を、加須美は興奮気味に見守っていた。

「これが『思い出を覗く』ということなの?」

 加須美は八枚の短冊を順に眺めた。

 懐かしそうに、愛おしそうに。苦笑いを交えたり、ときには首を傾げたり。くるくる表情を変えながら視線を移し、最後の一枚を確認すると目をぱちくりとさせた。

「この中から、私が選んでいいのかしら」

 サエはえへへと取り繕うように笑ってから、そっと右手を伸ばした。

「ごめんなさい。何を作るかはもう決まっているの」

 指先が一枚の短冊に触れる。

「これが、私にはキラキラ輝いて見えるんだ」

「キラキラと? 私には、みんな同じに見えるわ」

「ちゃんと輝いて、加須美さんのための特別メニューを教えてくれてるんだよ!」

 そう言ってサエが選んだのは『炒飯』という短冊。

 これこそが、加須美が三途の川を渡るために必要なメニューなのだと告げた。


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