12.

「まずは、材料をそろえるよ! 強力粉にお砂糖、牛乳、ドライイースト」

「それと卵、バター、グラニュー糖と……シナモン。どれもちょうどの分量で冷蔵庫から出てくるなんてすごいわね。いったいどんな仕組みになっているの?」

 冷蔵庫のドアを開けたり閉めたり繰り返して、その謎を解明しようとする。

「すごいのはあなたの方だよ。全部の分量をしっかり覚えているなんて! 私は記憶を飲み込んだからスラスラ出てきて当然なんだけど」

 感心したような、少し悔しがるような言いぶりでサエが言った。

「何回も作って練習したもの」

 少女は微笑みを見せたが、どこかぎこちない。

 本来ならば、客の思い出の料理というものはサエが一人で作るものなのだが、少女は一緒に作りたいと申し出た。それは気を落ち着かせるためでもあったが、なにより、その料理の思い出が『食べた』ことではなく『作った』ことであったからだ。

「牛乳は人肌に温めて、粉とイーストを混ぜて、」

 サエが作り少女がそれを手伝うという構図で始まったパン作りであったが――

「粉に牛乳を入れて混ぜてね。最初はベタベタ手にくっついて大変だけど…………ああ、私がやるわ。いい? こうやって捏ねていくとだんだんまとまってくるから」

 いつの間にか生地が入ったボウルは少女の手に移り、サエの方が助手の役目を担うことになっていた。

「あれ? おかしいな?」

と首を傾げるが、

「サエさん、ここでバターを入れてちょうだい」

 さあ早くと指示が飛ぶので深く考えている余裕がなくなった。

「ま、いっか」

 生地を捏ねる少女の目がキラキラと輝いているのに気がついて、サエはふふふと笑った。

 少しずつまとまってきた生地にバターが練り込まれていく。生地のぬくもりがゆるやかに伝わると、イーストや小麦の匂いを包み込むようにバターが香った。

「ここからさらに捏ねます」

 講師のような口調で少女は続けた。

 作業台に取り出した生地に体重をかけ、手のひらの付け根の辺りでぐいと押す。平たく伸びた生地をたたみ、また押して。

 何度も何度も、強く強く、力を込めて捏ねる。それは、どうにもならない感情をぶつけるような行為に見えた。

 少女はぎゅっと口を結び、黙々とこね続けた。

 時々、店の入り口の方で物音がすると、少女はびくっと身を縮め、恐る恐るそちらに目を向けた。

 風かなにかで揺れただけだとわかると、ほっと胸をなで下ろす。しかし一方で寂しげな顔も見せるのだ。

 誰かを待っているのか。それとも、来てくれるなと願っているのだろうか。

 そんな彼女の逡巡は、生地の発酵を待つ間も続いていた。

「ねえ、少し話をしてもいいかしら」

 ボウルの中で膨らみ始めた生地を見つめながら、少女はぽつりと言った。今一度入り口のガラス戸に目をやり、控えめなため息をこぼしたあとのことだった。

 彼女は自分の身に起こったことをゆっくりと丁寧に話し始めた。

 彼女は修学旅行の途中、鉄道の事故に遭ってなくなったのだという。他にもたくさんの死傷者が出て、同じ学校の生徒が死んでいくのも目撃した。

「ここに来る途中で会った人もいた。その人からさらに他の人の話も聞いた」

 だが、一番知りたい人の情報はいつまでたっても聞こえてこなかった。

「それが、最初に言っていた子?」

 サエが尋ねると少女ははっきりと頷いた。

「保育園の時からの幼馴染みでね、いつもふらふら・へらへらしている、どうしようもないやつ。目標もないしプライドもないし、自分がない。どうしてあんな風に育ってしまったのかとガッカリしているわ」

 辛辣な言葉を重ねるが、少年の姿を思い出しながら話す彼女の眼差しには慈愛のような優しさが感じられた。

「でも、ここに来たかが気になったのね?」

 サエは話しながらお茶の用意をしている。

「そうね、」

 少女はサエの問いに少し考えた。

 それほどかからずに答えは用意できたようだったが、それを口にするべきかどうかでまた頭を悩ませている。

 少女は困ったように笑ってから言った。

「その前に仕上げてしまいましょうよ」

 少女は腕時計に目をやった。時間だと言いながら生地の様子を確認する。

 話から逃げたのではなく、より美味しいパンを作るためのタイミングを逃したくなかったからだ。そう思いたかったのに、ほっとした自分がいるのは明らかだった。

「せっかくお茶がはいったのに。あ、ここでは『そういう時間調節』とかができるから、あとにまわしても大丈夫だよ? ねえ、先にお茶にしない?」

 サエの言う『そういう時間調節』というものが何であるかまったくわからなかったが、少女は「猫舌だし、ちょうどいいのよ」などと言って強引に作業を再開させた。

 発酵の済んだ生地を四角く伸ばし、その上にグラニュー糖とシナモンパウダーを満遍なく散らす。今までは小麦やバターが香っていたのに、シナモンの登場によって辺りの香りは一変してしまった。

「いい匂い。私、シナモンの匂い好きよ!」

 サエが屈託なく笑う。

「あとは巻いて切って……巻き寿司みたいね! わあっ! 渦巻きがきれい!」

 少女の作業を眺めサエが声を上げた。

 ぐるぐると渦を巻くパン生地。その内側を縁取るシナモンの茶色い螺旋。等間隔で美しく並べられた渦巻きは、そんな図柄のハンコを押したような印象を与えながら、しかしどれも少しずつ異なって愛らしくもある。

 香りだけでなく、見た目でも人の心を惹きつける。

 オーブンへと天板を運ぶ少女の表情も自然と和らいだ。

「これで、もうお茶にしても大丈夫?」

 そわそわしながらサエが言う。

「そうね。そうしましょうか」

 そして焼きたてを食べるのもいいわねと少女は笑う。

 だが焼き上がりを口にしたとき、少女から笑顔は消えることになる。そんなこととはつゆ知らず、少女はオーブンを眺めながら、シナモンの香りに包まれながら笑っていた。


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