10.

「これ、うちじゃないか」

 知っている壁や天井に束の間の安堵がやってくる。

 しかしそれはすぐに違和感に変わった。

 ダイニングテーブルが違う。カーテンの柄が違うような気がする。そして、キッチンで洗い物をしている母の顔がずいぶんと若々しく見えるのだ。

 実際、それは若いときの母の姿だったのだろう。髪が長い母を見るのは久しぶりだった。

 だとすると、リビングを散らかし遊んでいる小さな子どもは幼い頃の自分だろうか。

 小学校に入る前くらいの自分と、もう一人、同じくらいの年頃の女の子がそこにいた。

「昔の……夢を見てるのか? なんでこんな夢を」

「パンを食べたからよ」

 いつの間にか、崕の背後にサエが立っていた。

 サエは大人びた口調で続ける。

「あれはね――あのシナモンロールはね、ある女の子の思い出の料理なの。この食堂ではお客さんの思い出の料理を作って、その場にいる人たちみんなで味わうことができるの。でもね、」

 この三途の川のホトリ食堂において美味しいものを分かち合うためには、たったひとつ条件がある。

『味だけではなく、思い出も感覚も分かち合うこと』

 崕はゴクリと唾を飲み込んだ。

 口の中にまだ残っていたらしい甘い香りがふうわりと香った。

「ある女の子って、」

 声が少しうわずった。

 サエが思い出をのぞいたということは、『ある女の子』は食堂を訪れたということだ。

 それはつまり。

 不意に目の前の子どもが顔を上げた。幼い頃の自分ではなく、もう一人の、女の子の方だ。彼女が顔を上げ、崕たちがいる辺りに視線を向けた。崕がよく知る女の子だった。

「女の子の名前は三国みくに紗那さなさん。知ってるよね?」

 寂しそうな顔で問いかけるサエに、崕は無言のまま頷いた。

 よく知っている。

 一生懸命で、キラキラしていたあの子だ。


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