7.

     ***


 サエはどうしていいかわからなくて、とりあえずお茶を淹れることにした。

 三つの湯飲みを用意して均等に注いでいく。

「サエちゃん、俺コーヒーがいいなあ」

 篁がマイペースに言う。

 サエは篁の前に、乱暴に湯飲みを置いた。

 一方、崕少年には「熱いから気をつけてね」と優しい一言を添えて差し出す。崕もしっかりと頭を下げて礼を言った。

 ずずずっとお茶をすする音が重なる。

「というわけで、ここで働かせてもらうってのはどう?」

 口火を切ったのは崕だった。

「バイトの経験とかはないけど、たぶん働けると思う」

 ぐっと拳を握ってみせる。

 その根拠のない自信もそうだが、何より、今までの客たちにはなかった発想にサエは驚くしかなかった。

「ええと。そういうのって、」

 言いながらいろいろと考えてみるが何も浮かんではこない。しかし崕は期待たっぷりにサエの返答を待っている。

 崕には愛想笑いでごまかし、くるりと向きを変えると、忙しく表情を一転させて篁に助けを求めた。

「そういうのって、大丈夫なのかな?」

 困惑を隠さずにすがりつく。

 篁は「さあね」とわざわざ意地悪な台詞を言ってからサエの問いに答えた。

「ここで働くとかいうのはともかくとして。本人にその気がないのなら、生まれかわっても意味がないからね」

「生まれかわらないとどうなるの?」

「魂が消滅するとかじゃない?」

 これについては篁もはっきりとしたことは知らないようで、お手上げのサインを見せた。

「え、でも二人はずっとここにいるんじゃないの?」

 サエたちのやりとりを聞いて崕がすかさず口をはさむ。

「俺はいろいろ行ったり来たりしてるんで」

 篁はあえて答えをうやむやにし、

「私は……ええと、ちょっといろいろありまして」

 照れ笑いを浮かべたのはごまかすためだったのか。それとも純粋に照れくさかったのか。

 どちらかを明らかにしないままサエは胸のあたりで腕を組み難しい顔をする。

「どちらにしても、たぶん十王様のおゆるしが必要なんじゃないかな?」

 そしてそのためには、とりあえず三途の川を渡り次の王に会う必要があるだろうと篁が補足した。

「えー。そうなのか。それはまた……」

 崕の視線は自然と店の外へと向かう。

 向こう岸の見えない大河に、思わず表情が濁る。

「そこまでしなくちゃなんないなら、別にふつうに生まれかわるのでいいか」

 意外なことに、あっさりと方向転換をした。

「え? 生まれかわりたくなかったんじゃないの? どうしても嫌だから、ここに来たんじゃないの?」

「『どうしても』ってわけじゃないよ。正直、どっちでもいいんだ、俺は」

 自分の言葉に「うん」と頷いて、崕はお茶を啜った。たまにはこういう年寄りくさいのもいいねと笑う。そして何事もなかったかのようにぼんやりと店の外を眺めるのだ。

「サエちゃん、不満そうだね」

 同じくお茶をすすりながら篁が声をかける。

「不満ではないけど……」

 そう言いながらも、サエは不満そうな顔つきで腕組みを解こうとしなかった。

「料理していないのに解決しちゃったんだもの。そもそも解決したのかどうかもよくわからないし。本当にこれでいいのかなあ」

 むうっと唸り声を上げるサエ。不満と言うよりは不安になったようだった。

「たまには楽していいんじゃないの」

「でもそれじゃあ私のいる意味がないような気がするの」

「サエちゃんはホント真面目さんだねえ」

 皮肉のように篁が言うので、サエは表情をいっそう険しくさせた。

 篁はその姿を見ながら意地悪に笑うと、そのままの顔つきで、サエと真っ直ぐに視線を合わせた。

「でもさあ、意味がなくなるからやるの?」

 意地悪であるのに、いつもよりも少しだけやわらかな声色であると感じた。そう感じると笑顔までも優しく見えてくる。サエを包み込むように、導くように、そっとささやいた一言のように思えてくる。

だがそれはサエの勘違いだったのかもしれない。

「まあ、それならそれでもいいんだけどね」

 篁はその幻を打ち消すように、いっそう意地悪な笑みを口の端に浮かべた。本当に憎たらしい顔をしてサエから視線をはずす。

 ちらっとずらした視線の先は、壁に並んだ白紙の短冊に向けられていた。

 知らないうちにその視線の行方を追っていたサエは、一呼吸分遅れて短冊を見る。

 何も書かれていない短冊。

 サエはぎゅっと口を結んだ。

 短冊を見上げて、頷いた。

 一度では足りない気がして、二度三度と繰り返した。

 そうしてから崕を見て、篁を見た。睨みつけるような強い眼差しを二人に向けてから、にいっと屈託のない笑顔を咲かせた。

「違うよ! そんなんじゃない。私がやりたいからやるの!」

 言うなり崕の目の前に進み出て仁王立ちをする。これでもかと胸を張り、両手は腰に当て、瞳をキラキラと輝かせた。希望と自信をたっぷり詰め込んだ輝きだった。

「いい? 私があなたの思い出の料理を作ってあげる! それを食べたら、モヤモヤした気持ちなんてどこかに吹き飛んじゃうから! そうしたら、もっと前を向いて先に進めるようになるんだからね!」

「別に俺はそんなことしてもらわなくても……」

「ダメよ! 私がやるって言ったらやるの! 食べてもらうの! それが三途の川のホトリ食堂のきまりなの! そういうことだから、作るよ。頑張るよ。えい、えい、おー!」

 そんなきまり初めて聞いたよと篁が呆れ顔でこぼしたが、サエは聞こえないふりをして両腕を突き上げた。

「ということで、篁さん! いつものアレ、お願いね!」

 すっかり機嫌を良くしたようで、おねだりにウインクをおまけする。

 しかしその調子も長くは続かなかった。

「今日は無理だよ。立て続けにお客さんが来たから用紙が底をついちゃった」

 空になった書類ケースを鞄から抜き出し、ひらひらと扇ぐ。

「そんなことってあるの? すぐに届けてもらえたりしないの? じゃあ、私はどうすればいいの!」

「いい機会だ。たまには自分の頭で考えてごらん」

 矢継ぎ早に質問を浴びせるサエの動揺っぷりには触れもせず、篁はしれっと言い放った。


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