第3話 誰がためのシナモンロール
1.
目の前に差し出されたオーブンの天板には、ぐるぐると渦を巻いた形のパンが並んでいた。
焼きたてのパンというものはこれほどまでにおいしそうな匂いがするのかと驚きもしたが、それ以上に少年を魅了したものがあった。
まず鼻先に届き、かつ最期までまとわりついた甘い不思議な香りだった。
小麦の甘さとも違う。酵母の少し独特なにおいとも明らかに異なる。それはまさしく『かぐわしい』と表現したくなる香りで、甘くはあるのだが、鼻の奥までしっかり届くのに爽やかに抜けていく。
少年は深呼吸するようにその香りを吸い込んで目を輝かせた。
だが、その直後に表情は陰った。
『思い出の料理をごちそうしてあげる』
と言われたはずなのに、彼はその食べ物に見覚えがなかったのだ。
腕組みをし、首を傾げ、むむむと唸ってみたが、それでも答えは変わらなかった。
「俺、このパン知らないんだけど」
一緒に天板をのぞき込んでいた少女と男の顔を順に見て、少年はばつが悪そうに笑った。
「だってさ。サエちゃん」
ため息まじりで男が呼びかけると、少女は分厚いミトンを着けたままの両手を腰に当て、得意げな顔を見せた。頭に巻いた三角巾からのぞくやわらかな巻き毛が元気に揺れる。
「大丈夫! もうちょっとしたら、きっとわかるから!」
サエは自信たっぷりの笑顔を見せたかと思うと、後片付けやら何やらとせわしなく動き回る。
その一生懸命な眼差しに、少年は何かを思い出しそうになった。それはとても大切な何かだった。
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