2.
***
「サエちゃん。あのやりとり、もう何回目?」
頬杖をつきながら、ため息交じりで言う男。
カウンター席の一番奥の席を勝手に特等席だと指定して、顔を出せば一日中その場所を占拠しながらしかしコーヒー一杯しか頼まない男。
彼と同じような、いかにもおもしろくないといった表情になりながら、サエは空になったコーヒーカップを取り上げて、湯飲みに注いだほうじ茶を差し出した。
「
「お茶だろ」
「お寿司屋さんでは食事の最後に出るらしいよ」
「まあその場合、粉茶が一般的ではあるがな。そもそも、上がりの語源は遊郭で『来客に出された茶』らしいから、むしろ歓迎の意が込められているのかもな」
篁と呼ばれた男はわざと大きめに音を立てて茶をすする。毎月のように散髪しているという短く清潔に保たれた髪に、シワのない真っ白なワイシャツ、糸くずひとつ抜け毛一本ついていないダークグレーの背広は三つ揃いで抜け目なく。
そんな男が昭和の雰囲気漂う食堂で年季の入ったカウンターの天板に肘をつき、大きめの湯飲みを両手で包むようにして、ズズと飲む。自然とこぼれた「ほっ」という声のような呼吸のような音は、喉を通った熱いお茶が連れてきた安心感ゆえか。それとも少女のいら立ちを誘うためのイタズラ心からか。
サエは篁が発したほのぼのとした「ほっ」とはほど遠いトゲトゲしい吐息をもらしてみせた。わざとらしく、おおいなる怒りを込めて。
「あのね、篁さん! 私が言いたいのはつまり……」
『意味を込めた自分の行動』について解説を加えるのは、なんて間抜けな行為だろうなどとためらっていると、言葉の続きを取り上げるように、立て付けの悪いガラス戸がガタガタと必要以上に大きな音を立てて開いた。
店の入り口に姿を現したのは、ずいぶんとくたびれた様子の男だった。
背中を丸め両膝に手を置いて体を支えながら、全身で呼吸する。
「あら。今日はまた、お忙しいことで」
などと茶化しながら篁はゆったりとお茶をすする。
その動きとは対照的に、サエは大慌てでカウンターの外へ出て……もう一度戻ってたっぷり水の入ったグラスを手にすると、飛び出しそうな勢いで来客の前に立った。
「大丈夫ですか?」
言いながらグラスを突き出す。
細かい傷が目立つプラスチックのグラスの中でクラッシュアイスがしゃりっと跳ねた。
男は礼を言いながらそれを受け取ると、たちまちのうちに飲み干してしまう。おかわりはと尋ねると、もう一度丁寧に礼を言い、そしてヨレヨレのジャケットの袖で口もとを拭った。
「それよりも、ここはどこですか。私は、私はここまでずっと歩き通しで」
「ハイハイ。ゆっくり聞くから。とりあえず席に座って休んでね」
困惑している客人の体を支えて立ち上がる手伝いをすると、サエはそのまま四人がけのテーブル席に導いた。
「ここは……食堂、ですよね」
男はぐるりと見まわした。
カウンター五席、テーブル三卓の小さな店。
ビールメーカーの色褪せたポスターが白壁の一番目立つ場所を陣取り、その脇にオマケのように並ぶメニューの短冊。煙草か揚げ油かそれとも年季か。いい具合に薄茶色に滲んでいるが、おかしなことに何の文字も書かれていない。
「あ、二杯目からはセルフサービスね」
サエは笑顔でカウンター横に設置された冷水機を指差した。
男は目をぱちくりさせながら返す言葉を探しているようだ。
その様子を他人事のように眺めていた篁はわざと大きくため息をこぼした。
「説明すべきはそんなことじゃないだろ」
篁に言われて、サエはハッと手を叩く。
「そうだった!」
そしてすぐさま来訪者の向かいの席に腰を下ろしぐいと顔を近づけた。
「そうだったの! ごめんなさい、横道それちゃって。私、ここの店主のサエ。そっちは……まあいいとして。不安、不満、困っていること、なんでも言ってね。きっと力になるよ!」
サエはそう言って男の手を両手でしっかり握った。
しかしその強引さをもってしても、男の表情は晴れなかった。
「店主ってなんですか。ここはどこですか。私はどうなってしまったんだ!」
叫びに近い声色で男は言った。
それを茶化したわけではない。
うやむやにしようとしたわけでもない。
ただ、いつもの習慣として―いわば反射的にサエはそうしてしまった。
「ここは三途の川のホトリ食堂で、私は店主のサエ。……ということで、」
咳払いを一つ。
喉の調子を整えて、抜群の笑顔と決めポーズを披露する。
「ようこそ、三途の川のホトリ食堂へ! まだまだ続くなが~い旅路に備えて、お腹いっぱい、心いっぱいに満たされていってね!」
もちろんそれで男が納得するわけがなかったし、なにより、篁の厳しい視線がサエに突き刺さることになる。
「ま、状況整理のためにも、まず自分の身に起きたことを順に辿っていくんだな」
男二人は視線を交わし、サエを見て、そしてふたたび視線を合わせると悟ったように頷いた。
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