第46話 虎鈴と蘭
虎鈴は蘭と一緒に鬱蒼とした山の斜面からカマス集落を見つめていた。牙家はそこから少し離れた繁みに潜んで、虎鈴と蘭を見守りながらカマス集落の動向を注視していた。
「寒くない、蘭?」
「…大丈夫」
虎鈴は痩せ我慢をしている蘭に、微笑みながら軍手を差し出した。
「人は手から冷えるよ」
蘭は黙って受け取って履いた。
「これも…」
虎鈴は尻に巻いていた犬の毛皮を蘭に差し出した。
「虎鈴が寒くなるよ」
「私は慣れてるから大丈夫。それにこんな冷える山に遊びに来るとは思わなかったでしょ?」
「思わなかった」
二人は声を殺して笑った。
「ほら、お尻が少しでも温かくなるから着けなよ」
蘭は素直に受け取って腰に巻こうとした。
「あ、それ逆だよ。毛のほうを内側にして着けるの。でないと温かくないから」
「コートとかは毛を表にして着るよね」
「あれは見栄でね。私はこんなに希少な毛皮のブランドコートを着てますってね」
「私を産んだ母親も動物愛護を名乗ってたくせに毛皮のブランドコートを沢山隠し持ってたわ。バッグもね」
「どう? 温かいでしょ、犬の毛って?」
「犬ーっ !?」
「犬よ。飼ってた猟犬のね」
「飼ってた !?」
「その犬はね、私を引き取ってくれた英雄お祖父ちゃんを助けるために熊と格闘して怪我しちゃった “才蔵” っていう猟犬なの。お蔭で熊は仕留めたけど、才蔵はその二、三日後に死んじゃったの。供養のために村の人たちみんなで食べた」
「食べた !? 犬を食べた !?」
「この土地では供養のために食べるの。犬の魂と肉体を自分の中に入れるためよ」
「そんな大切なものはいただけないよ」
蘭が毛皮を腰から外そうとした。
「気持ち悪いんでしょ」
「そんなことない!」
「でも、それは今後蘭ちゃんが山に入る時、私からの御守として必ず身に着けていてほしいの」
いつの間にか隣に牙家が来ていた。
「蘭さん、貰っておきなよ。虎鈴が御守というのには根拠があるんだよ。才蔵はほんとに賢い猟犬だった。優れた猟犬の臭いは熊が嫌がる。熊除けの鈴よりずっと効果があるんだよ」
「牙おじちゃん、今は熊除けの鈴は逆効果だよ。食える人間の居場所を教えるようなもんだよ」
「そんな時代になっちまったな。兎に角、貰っておきな、蘭さん」
「ありがとう、虎鈴! 私、何にも知らなくて」
「ありがたく思えよ」
二人はまた笑った。
「静かに!」
牙家が二人を制して繁みの奥に目をやった。腰のナガサに手が掛かっていた。虎鈴と蘭は緊張した。
「オレだよ、牙さん」
マタギ猟友会の石田元だった。石田はマムシの
三つのカマス集落の中でも主導権を握る
「手筈は?」
「間に合った。蛇頭連中は思ったより早く動きやがった」
そこに伊藤照子が斜面を登って来た。照子は伏影のリンゴ農園を経営している老女だ。70歳を越えても、マタギ衆顔負けの身軽さで、何よりカマス語を器用に話せる。カマス族殲滅計画では、重要な役割を担っていた。今回、蛇頭集落の住人のふりをして蛇腹集落に潜入していた。
「蛇腹集落の長は?」
「接触出来たか !?」
「感付かれなかったか?」
「兎に角、蛇頭集落の者だと名乗って、“早く逃げろ”と伝えた。裏切り者とでも思ってくれればいいのだが…」
「出て来た!」
薄暗がりの蛇腹集落の家から、ひとりまたひとりと人の動きがあり、どうやら背後の山への集団移動を決めたようだ。
「照さん、でかした!」
「うまくいったようだな。彼らが黙って焼き討ちされるわけがない。あの背後の山中には武器弾薬があるはずだ。そこで武装して逆襲に掛かる手筈だろう」
「じゃ、あたしは次に行くよ!」
「頼んだぞ、照さん!」
照子が斜面を抜けて山道に出ると、バイクの梅林が待っていた。照子が後部座席に飛び乗ると、バイクは蛇骨集落に向かって走り出した。
牙家たちが潜む山中からは、蛇腹集落の俊敏な集団移動が良く見えた。日頃から訓練していたのだろう。カマスの歴史は裏切りの歴史でもある。日本人より、同族こそが油断ならない相手だった。牙家たちはそのカマスの習性を利用した計画を立てていた。
「やつらだ!」
蛇頭集落の斥候が2名潜入して来た。蛇腹集落に動きがないと見た斥候は、本隊に合図を送った。本体の小隊が蛇腹集落の長の家の玄関を蹴破って入った。少しして家が蛻の殻であることを本隊に伝えようとしたが、本隊は既に一斉攻撃を開始して集落に侵入して来た。その時、山中から一斉に銃弾が放たれた。蛇頭の本隊は怯まず各戸に火を放ち、山中には手榴弾を投げ入れた。
「愈々、潰し合いが始まるぞ。虎鈴、今だ!」
虎鈴は養父・松橋英雄に預かった犬笛を吹いた。
「音、出ないの !?」
蘭が心配げに聞いた。
「犬笛の音は人間には聞こえないサイクルなの」
「じゃ、鳴ってるかどうか、どうやって確かめるの?」
「あそこでこれから起こることを見てれば分かるよ」
「でも、真っ暗で何も見えないよ」
「根性出せば見える!」
犬笛での指令は英雄が大熊・久太郎に躾たものだ。久太郎がその意味を解し、他の熊を動かしていた。本来、熊除けには鋭い音の熊笛やサバイバルホイッスルを使うが、昨今、熊除けの鈴と同じように、餌という認識になりつつある人間の位置を知らせる負の効果もあって、一概に安全とは言えない。犬笛の高周波は熊にも聞こえるが刺激のある音ではないので殆どの熊は反応しない。
集落が燃え始めたのと大差なく、蛇腹集落の民が逃げ込んだ山も火を吹き出した。紅葉が過ぎて乾燥した山は見る見る火の勢いを増して、場所によっては竜巻の火柱が上がった。
蛇頭側にもかなりの犠牲者が出て、撤退命令が出た。ところが、撤退する民兵らが次々に悶絶して倒れて行った。石田の仕掛けたマムシ罠が炸裂していたのだ。罠を抜けて、反対側から抜け出た連中も立ち往生をしていた。熊が出たのだ。暗闇の中で黒い何頭もの熊が彼らに襲い掛かった。
「あの唸り声とか悲鳴とかって…何が起こってるの !?」
「蘭は見えなくてよかったかも…」
「見たいよ、何が起こってるの !?」
「何頭もの熊が人間を襲いまくってる。結構、グロいよ」
「あ~あ、いいな~虎鈴って。私も見たいよ」
「人間の頭とか喰い千切られてるし…結構凄惨」
「…見えなくて良かったかも」
民家の火の勢いが増して来た。そのあかりで、次第に全貌が見渡せるようになった。蛇頭集落の民兵も次々に炎に包まれる集熱地獄絵図が繰り広げられていた。
「ウソ~ッ、映画みたい」
「現実だよ、蘭ちゃん」
蛇腹集落の全民家が次々に焼け落ちて、攻めて来た蛇頭集落の民兵らの真っ黒な焼死体が煙を吐いて転がっていた。次第に火は衰え始めたが、集落の山側斜面から頂上に向かう炎は勢いを増して行った。
〈第47話「カマス掃討作戦」につづく〉
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