第34話 五頭と五人の弔い
鬼ノ子村熊牧場の飼育長である神成作次郎から、然辰巳に連絡が入った。
「終わりました」
辰巳は、松橋英雄に連絡し、手筈どおりに大型トラックの手配をしてから、長老の松橋貞八に報告を入れた。
「ご苦労さん、すぐ行く」
貞八は、若手のマタギの弟子である柴田松之助、高堰勲、石田元の三人を連れ、鬼ノ子村熊牧場に向かった。貞八が到着してみると、檻の中は凄惨な状態だった。一頭の熊が一人の人間をほぼ喰い尽くし、貞八らを見るや狂暴さを剝き出しにして檻の鉄柵に体当たりを繰り返した。貞八は微動だにせず、呟いた。
「おめえらは悪くねえ。山神様の使いとしてその役割を果たしたまでだ。仕方ねえ。気の毒にな…」
そう言うと、貞八は柴田から鉄砲を受け取った。貞八が熊に照準を中てると、柴田、高堰、石田、そして然辰巳も同時にそれぞれの熊に照準を中てて構えた。貞八が呪文を唱え始めた。
『南無財宝無量寿岳仏、南無財宝無量寿岳仏、南無財宝無量寿岳仏、南無財宝無量寿岳仏、南無財宝無量寿岳仏、南無財宝無量寿岳仏、南無財宝無量寿岳仏』
すると、不思議にも熊たちはおとなしくなった。貞八の呪文は続いた。
『光明真言、光明真言、光明真言、コレヨリノチノ世ニ生マレテ良イ音ヲキケ』
一斉に発砲された。それぞれの熊の頭部に銃弾が命中し、5頭は糸が切れた人形のように地べたに落ちた。敷かれたワラは、喰われた人間の血と殺処分された熊たちの血をたっぷり吸って真っ赤に染まっていった。
松橋英雄の運転する大型トラックが到着すると、五頭の熊を荷台に乗せ、柴田は助手席に便乗し、高堰、石田らは軽トラで続き、深夜の山深く入って行った。
一同を見送った貞八と辰巳、そして飼育長の作次郎は血に染まった深夜の檻の掃除を始めた。片山妃那子が餌食になった檻を掃除していた辰巳が、喰い千切られたシャツのポケットから一枚の写真を見付けた。裏を見ると、 “雷斗と虎鈴(三歳)” の文字が書かれてあった。辰巳の記憶が、あの日に遡った。
追手から逃れるように、夫婦はそれぞれ3歳の雷斗と
「山はすぐに暗くなる。夜の山は危険だ。明日になさったらどうだい?」
英雄の問い掛けに夫婦は力尽きてその場に頽れ、子どもを差し出した。英雄と辰巳は子どもたちをそれぞれひとりづつ受け取って抱き抱えると、夫婦は英雄たちに手を合わせた。
「どうか…この子たちを…」
夫婦は嘔吐して卒倒し息絶えた。山道の入口から人の気配が近付いて来た。英雄は赤子二人を辰巳に抱かせ、折った枝の葉先で嘔吐の跡を掻き消し、夫婦を山道から雑木生茂る斜面に隠し、自分たちも赤子を抱いて奥深くに潜んで様子を窺った。
「おまえたち、おとなしくしててくれよ」
間もなく山道に片山妃那子と彼女が雇った強面二人が現れた。
「こっちで間違いないの?」
「確かにガキを抱いた二人はこの道に入った」
片山妃那子の足が英雄たちの潜んでいる斜面の山道で止まった。緊張が走った。
「英雄さん、万が一の時はどうします?」
「見ろ、この子たちの笑顔」
「逞しいですよね」
「この村は悪い人が消える村…ショウブ(マタギ猟語で“仕留める”の意)しかないだろ」
「ですよね」
辰巳は腰のナガサに手を掛けた。
足を止めた妃那子が参道脇に落ちている一枚の写真を見付けて拾い上げた。
「間違いない…山に向かった」
「片山さん、この時間からの山はヤバいよ。もう熊が出る」
「向こうは毒が回ってるのよ。すぐに追いつくでしょ。弱みを握られたまま生かしてはおけないのよ!」
「獣は動物愛護団体だからって手加減してくれませんよ」
「グダグダ言ってないで、早く行って片付けて来なさい!」
「オレたち二人で行けってことですか?」
「当たり前でしょ。高い金払ってるんだから、みあった仕事して頂戴! すぐ追いつくわよ!」
強面二人は仕方なく山道を登って行った。妃那子は山の殺気に圧され、彼らが見えなくなると、来た道を一目散に戻った。
「何が動物愛護だ。生き物を金儲けの出汁に使いやがって」
「久太郎の出番だな」
そう言って英雄は山頂に向かって犬笛を吹いた。
強面二人は結局山頂に辿り着いた。狭い山頂には社殿建築とは程遠い粗末なトタン張りの物置のような御堂がひっそりと佇んでいた。
「居るとすればこの中か…おい、観念して出て来い!」
中からの返答はなかった。
「隠れているのは分かってんだ、出て来い!」
強面が怒鳴ると、御堂の陰から巨大な熊が現れた。英雄が小熊の頃から餌付けして育てた久太郎である。慌てた強面二人が先を争って山を下りようと振り向いた先に二頭の熊が待ち構えていた。久太郎の子どもたちだ。
「辰巳さん、どうした?」
檻掃除を終えた貞八の声に辰巳はやっと我に返った。
「貞八さん…この写真」
貞八は裏に書かれてある名前を見て苦虫を噛んだ。
「しつこい女だったな。何れにしろ、山神様の使いが連れて行ってくれた…さあ、除霊だ」
貞八は蝋燭を灯し、モロビ(アオモリトドマツ)の葉を炎に翳して燻した。燻したモロビの葉は独特の良い香りがする。マタギたちは厄除け、魔除けとしてその場を浄化するために使った。
五つの檻にモロビの煙が広がり、徐々に血の臭いが消えていった。
人里から遠く離れた深山の一角から赤い光が滲んだ。英雄たちは、炭焼き窯で五頭と五人を荼毘に伏していた。
〈第35話「淘汰する者たち」につづく〉
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