第33話 熊の餌

 動物愛護団体『ラブラ』の電話が鳴った。琉生の実母・片山妃那子が運営するNPO法人だ。


「鬼ノ子村クマ牧場で飼育員による動物虐待が日常的に行われています」

「もしもし、もしもし…」


 電話は直ぐに切れた。


 鬼ノ子村熊牧場は「くまくま園」と違い、鬼ノ子村の自治体が運営していた。里山から民家を狙って下りて来て罠に掛かった熊たちの牧場だ。

 この日は辰巳の誘いで子之神一家が見学に来ていた。飼育長の神成作次郎が案内していた。


「一度でも人を襲った熊たちを放っておくと、作物のみならず人間の命すら危険に晒されるんでね。動物愛護団体は反対してるが、先手処分が最良の手段なんだよ。この熊たちはいずれ鬼ノ子村の土産物になり、地域の収益となって住民に還元されることになってる」


 動物愛護団体『ラブラ』はその手の通報を印籠代わりにして資金を稼いでいた。匿名通報があれば、何の根拠も裏取りもせずに動く。それは本来あるべき姿ではないが、自治体運営の熊牧場は以前から狙っていた。今回の通報は渡りに船だった。

 動物愛護団体メンバー5人は片山妃那子を筆頭に、鬼ノ子村熊牧場にプラカードを掲げて駆け付け、飼育長の神成作次郎を捉まえた。妃那子は娘を助けてもらった恩のある牧場の責任者・然辰巳がいないので内心ホッとしていた。


「飼育室を見せてください!」

「一般の方々は危険なのでご案内できませんよ。あなたたちにもそのぐらい分かりそうなものでしょ?」


 飼育長の神成作次郎はそっけなく言うと、子之神一家の案内を続けて去って行った。


「あの子…」

「どうかしましたか、片山さん !?」

「いえ、何でもないわ」


 妃那子は、雷斗の面影に違和感を覚えたが、別の飼育員がやって来たので抗議に向かった。


「何かご用でしょうか?」

「飼育室を見せてください!」

「いいですよ、ついて来てください」


 さっきとは打って変って、あまりにあっさり了承されたので、片山ら5人は拍子抜けしながらも、その飼育員の後に続いた。飼育員は入園者用の休憩室に案内した。


「ここは飼育室じゃないでしょ」

「そう慌てなくても、折角お越しになったんですから、お茶ぐらい入れますよ」

「お茶を飲みに来たわけじゃありません!」

「あんたがた、熊の犠牲にはなりたくはないでしょ。飼育室は万が一のことがあれば危険なので、いくつか注意点をお話しするだけですよ」


 飼育員は一同にお茶を入れた。


「こんなことしてる時間はありません。早く飼育室に案内してください」

「こちらも安全上、見学手続きの段取りがあります。すぐ済みますから、まずお越しになった理由から聞かせてください。お茶を飲みながら伺います。5分も掛からないでしょ。皆さんもお茶をどうぞ!」


 一同はそれぞれにお茶に口を付け始めた。片山も仕方なくそれに続いた。


「お話は?」

「通報があったんですよ」

「通報? どんな?」

「飼育員の動物虐待を見たという通報です」

「熊は山神様からの授かりものです。虐待は有り得ません」

「通報は嘘だとでも仰るんですか?」

「そうは言ってませんが…そこまでお疑いなら、分かりました。お茶を飲み終わったらご案内しましょう。どうぞグッと空けてください」


 一同はお茶を飲みほして立ち上がった。飼育室は通路沿いに檻が並び、捕らえられた熊が1頭づつ入っていた。


「可哀そうに…」


 愛護団体の女性メンバーの一人が檻に近付くと、熊はいきなり物凄い勢いで突進して彼女の目の前の鉄柵に激突した。女性メンバーは恐怖で腰を抜かし、失禁してしまった。


「気を付けてくださいと言ったでしょ。ユルキャらじゃないんですから。一度人間を襲った熊は、人間が弱い敵か、餌に見えるんです」


他のメンバーがその女性を立たせようとするや、急に足下がふらつき、膝から折れるように倒れて行った。


「みんなどうした…」


 と、言い終わらぬうちに、片山妃那子も膝から頽れながら飼育員に呟いた。


「何を飲ませた…」


 小百合が出て来て、妃那子の頭部を思い切り蹴り飛ばした。妃那子はそのまま地面にうつ伏して動かなくなった。


「クソババア! 一輝、急げ! もうすぐ閉園で他の熊が檻に戻って来る!」

「やべぇ!」


 一輝とは小百合の彼氏だ。ちゃっかり飼育員に扮して熊牧場に紛れ込んでいた。お茶に薬物を溶かして片山たちに飲ませ、倒れたこの時点で熊の檻に入れる計画を立てていた。小百合にとっては、自分の母を刺させた憎むべき琉生を追い詰めるために、同じように琉生の母親を抹殺する目的。一輝にとっては曽我巌に高額で雇われてのことで、目的は執拗に集って来る団体潰しだった。


 一輝は得意のピッキングで5ヵ所の檻を開けた。


「こいつらを入れたらすぐにワラを被せろよ」


 小百合が片山妃那子を引き摺っていると、他の連中を入れ終えた一輝が手伝ってワラを被せた。檻に鍵を掛け終えると、奥から作次郎の声がした。作次郎は子之神一家と一緒に入って来た。


「この中が裏側でね。餌をやったら剝き出しになった熊の本性が見れるよ」


 作次郎はそう言って笑った。


一輝と小百合は慌てて反対側の出口に向かい、作次郎たちと寸でのところで入れ違いに外に出ることが出来た。


「一輝!」

「なんだよ」

「飼育員の上着、早く脱いで!」

「おお、やべぇ!」


 二人は退園する疎らな客に交じって熊牧場を出た。作次郎と竜たちは一輝と小百合が出て行く姿をじっと見ていた。


「雷斗は?」

「まだ、中に居るよ」

「そうか」

「呼んで来た方がいい?」


 かごめは竜の答は分かっていたが、一応聞いてみた。


「いや、ここで待ってよう」


 雷斗は片山妃那子が入れられた檻の前に立っていた。暫くすると、それぞれの檻に熊が入って来た。熊はすぐにワラの下の豪華な餌に気付いた。獰猛な唸り声を発しながらワラの中の餌に突進して噛み付き、振り回し、引き千切った。


 朦朧としながらも激痛と恐怖に無防備の片山妃那子は、一瞬、雷斗と目が合った。熊に噛まれて振り回されながら、そこに立っている雷斗が動物愛護団体の活動実態を暴こうとした雷斗の実の父親に見えて目を剥いた。


「島崎林太郎!」


 雷斗の実の両親である島崎林太郎、詩織夫妻は、この女のために命を落とした。生き残った雷斗は、目の前で生命反応が残酷に失われていく憎むべき片山妃那子に、満面の笑顔を贈り続けていた。


 雷斗は熊に呟いた。


「ありがとう」


〈第34話「五頭と五人の弔い」につづく〉

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