第32話 雷斗のターゲット
雷斗はいつもの場所で父親の迎えを待って読書していた。転校して間もない頃、教頭の早瀬秀司と音楽教師の下條律子が言い争っていたのを思い出して、雷斗の口元は自然と綻んでいた。
溺れて必死に岸に近付く教頭を、雷斗は何度も棒切れで遠ざけて遊んだ。悪質な人間が、棒切れ一本で惨めに死んでいく姿は、結構楽しめた。
デジャブーなのかと思った。また同じ場所で市議の寺山則夫と見覚えのある女が会って不穏な空気を醸していた。その女は、かつて雷斗の家族を惨殺した動物愛護団体の人物で、白鷹中学校長の元妻、そして現在、県議である曽我巌の愛人・片山妃那子だ。
親の仇である片山妃那子に辿り着くまでには時間が掛かった。雷斗は子之神竜に引き取られ、幸せな幼少時代を過ごせたが、怖ろしい女に何度も追い駆けられる夢で悩まされながら育った。小学5年生の時、かごめとかくれんぼして潜んだ竜の書斎で見付けてしまった。自分の生い立ちの書類や、竜が取材で集めた資料の中に、夢で追い駆けられるあの恐ろしい女が写っている写真…彼女は動物愛護団体『ラブラ』の主宰者・片山妃那子という女だった。
自分の実の父が彼女の不正を暴き、法廷で証言することになっていた。その前日に自宅が襲撃され、両親は強引に毒物を飲まされたが、子どもを抱き抱えてそこから脱出した。
ずっと復讐のチャンスを狙っていた。何度も殺害のタイミングはあった。6年生の夏、自分の立てた計画を実行に移そうとした時、竜に止められた。その時、約束したことがある。『我々家族の敵は、我々家族全員で抹殺することを楽しむ』という家族の掟である。
白鷹中学の校舎の裏で、片山妃那子は寺山を脅していた。
「金本作治さんはどこで行方不明になったのかしら?」
「自然見学では生徒に注意が行っていたので、私も気付かなかったな」
「注意が行ってたのは私の娘にじゃないかしら…殺すために」
「何て事を !? もちろん、娘さんの安全にも気を配っていましたよ」
「じゃ、どの辺りで行方不明になったんですか…所謂、殺人未遂現場よね」
「そういう言い方はないでしょ、娘さんが怖い思いをされたことで冷静ではおれないお気持ちは分かりますが、私とは関係ないことなんです」
「特別引率をなさってたわけですから、関係ないことはないでしょ!」
「…そう言われても、山の中での場所指定は難しいですよ」
「金本作治は娘を山中に連れ込んだんです。そしてあなたはその行為を他の生徒たちに気付かれないよう気を引いて山の説明をしていたんでしょ?」
「まだ金本氏は発見されていないんですから、連れ去ったとか仰るのは…」
「連れ去ったんじゃなく、連れ込んだんです。連れ込まれた娘本人がそう言ってるんです。金本作治に山の中に連れ込まれたと」
「そうですか…それは警察の管轄ですから、私は何とも申し上げようがありません。不注意だったことはお詫びしますが、金本くんの行動までは責任を持てません」
「娘が連れ込まれる時、あなたと目が合ってるんです。口を押えられながらも必死であなたに無言の助けを求めたんです。あなたは娘の声なきSOSを無視したんです」
「身に覚えのないことを仰られても返答のしようがありませんよ」
「曽我に頼まれた事は分かってるのよ。娘を山に放り込んで熊にでも襲わせようとしたんでしょ、寺山さん」
「これは聞き捨てならないことを仰る。それって名誉棄損ですよ」
「それなら警察に訴えればいいじゃないですか…私は金本氏とあなたが結託して娘を殺そうとしたって警察に証言しますけど」
「片山さん、こういう憶測だけのお話はよしましょうよ。私もあなたの活動には理解を示し、出来るだけのご協力をしてるじゃありませんか」
「協力してるのは曽我巌の一声でしょ。曽我の犬であることは結構なことですが、あなた、犯罪を犯したんですよ。曽我のために殺人幇助まがいの行為…リスクが高過ぎるんじゃないですか? これまでのあなたのミスだらけの忠犬ぶりに応えて、曽我があなたの身を守ってくれるとでも思ってらっしゃるの?」
「・・・・・」
「曽我はいざとなれば、出来の悪いあなたを簡単に切り捨てるわよ」
「・・・!」
「魚心あれば水心じゃありませんか、寺山さん。本当のことを話してくださいよ」
「あんたのことだ…この会話を録音でもしてんでしょうが、私は曽我先生を裏切るようなことはしませんよ。娘さんが被害を受けたのがどういう経緯だったのかも私には分かりませんし、もうこれ以上私にそういう根も葉もないお話はしないでいただきたい」
「後悔しますよ」
校舎の正面のほうに救急車の近付く音がした。サイレンが校庭の辺りで止まった。寺山は胸騒ぎを覚え、走り出した。妃那子が呟いた。
「…もう、手遅れよ」
放課後の見回りをしていた警備員が、飼育室の中で泡を吹いて倒れている2名の生徒を発見して通報した。傍に転がっている毒物の入ったペットボトルから金本秀治と寺山杏の指紋だけが検出された。
その日の夜、鷹巣神社の境内で寺山則夫と曽我巌の秘書・藤田隆弘が会っていた。
「あなたの娘さんが殺されるのを見たというタレコミがありましたよ」
「・・・!」
「タレコミですから信憑性なんて確かじゃないですから、聞きたくなければお話しませんが…」
「話してください!」
「タレコミの内容を誰から聞いたかということが外部に漏れると、あなたの身も危険になりますけど、お聞きになりますか?」
「絶対に漏らさない! 頼む、教えてくれ!」
秘書の藤田はしゃがんで、土に文字を書き始めた。 “ 片山蘭 片山妃那子の娘 ” …そう書いて寺山則夫の顔を見上げた。寺山はゆっくり頷いた。藤田は立ち上がり、土の文字を足で掻き消した。
彼らから参道10メートル程のところにある公道沿いの鳥居前に一台の車が停まっていた。中から二人の様子を窺っていたのは子之神一家である。
「例の子のほうは?」
「治家小百合はやるよ」
「そうか…明日の熊牧場見学は、今までにない大神事になりそうだな」
「彼女一人で大丈夫なの?」
「あの秘書がお金大好きな若者を雇ったみたいよ」
車はゆっくりと発進して鷹巣神社を後にした。
片山妃那子は娘の蘭を前にして深刻な顔をしていた。
「その子、気付いてるはずよね」
「…多分」
蘭が杏の首を抑えて強引にペットボトルを口に持っていった時、杏は “雷斗、助けて!” と確かに叫んだ。その声は雷斗の耳に達していたはずだが、雷斗は見向きもせずに通り過ぎた。何故見向きもしなかったのか…妃那子にはそのことが妙に引っ掛かった。
「とにかく、ママに任せて。あなたは何もなかったようにしてなさい」
「あの子を殺すの?」
「そうよ、そうに決まってるでしょ?」
「あの子を甘く見ない方がいいわよ」
「あなた、いつからママにアドバイスできるようになったの?」
「アドバイスなんかじゃないわ。あの子はただの中学生じゃないわよ」
「あなた…その子が好きなの?」
「・・・・・」
「そういうことなのね。でも駄目よ。その子には死んでもらうしかないわ」
「ママ…」
「何?」
「ママは近いうち、あの子に殺されるわよ」
「まあ、随分と入れ込んじゃってるのね」
妃那子はそう言って笑った。
〈第33話「熊の餌」につづく〉
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