第11話 鏡
皮膚が解けて目が浮き出した己の顔に、老夫婦は思わず目を逸らした。
「見ましたか? それがあなたたちの身勝手な醜さです」
「なぜ私どもがこんな目に…」
「それがあなたたちの素顔です。それだけの話です」
「それならば、殺人犯の須藤泰善は私どもより醜い姿のはずです」
「社会悪を成敗した彼には後光が射していると思いますよ」
「殺人犯に後光が射すわけがありません」
「もう一度、ご自分たちの素顔をご覧になりますか?」
竜は上山夫妻に鏡を差し出した。夫妻は両手で顔を覆った。
「その歪んだご自分の素顔に早く気付くべきでしたね。あなたはお父上を恨んでおられるようだが、それもあなたがお父上に寄生した息子だったからです。資産を一円も残してくれなかったと甘えた根性のくせに、ご自分は娘夫婦に寄生して、それが老後の幸せというのは、実に身勝手な料簡だ。あなたはお父上以下の人間ということの証明じゃありませんか」
「勝手なことを言うな! 何も分からんくせに!」
「何も分からないのはあなたです。見なさい、もう一度ご自分の真実の姿を!」
竜は玄関の大きな姿見を上山夫妻に向けた。融けた顔どころか、全身から黒い煙が出始めていた。
「普通は白い煙のはずですが、あなたたちは黒いですね。なぜだと思いますか?」
「・・・・・」
「成仏できない霊は黒い煙を撒き散らしながら地獄に落ちていくんですよ」
「し、白い煙ならどうだと言うんだ!」
「白い煙は成仏の煙です」
「・・・・・」
「ここに居ても、私の話でご不快になるだけですよ」
上山夫妻の幽霊は子之神家に居場所を失い、重い足取りで去って行った。竜は机に向かった。
□□□ 引籠りの馬場高子の隣室では、四十九日の線香が焚かれていた。小田桐啓蔵の息子の大河と、その妻の
「別れたほうがいいのかしら…」
「・・・・・」
「きっと…もう、うまくいかないわよね、私たち」
「・・・・・」
重い空気に妹の弥佳が口を開いた。
「朱里と
朱里はこの春、小学生になったばかりだった。啓蔵は幼い頃の朱里をとても可愛がったが、その弟の理志は自分の孫とは認めず、抱くことすらしなかった。美咲はそうした啓蔵の目を恐れた。夫の目は誤魔化せても、啓蔵の目は誤魔化せなかった。大河も理志が自分の子ではないかもしれないことは妊娠中から感付いていた。
「二人ともわたしが引き取りたいんだけど…」
「・・・・・」
「それでいい?」
「君が引き取るべきは、理志だけなんじゃないの?」
「え !?」
「裁判になったら、困るのはどっちだろうね」
大河はそれだけ言って口を噤んだ。美咲が二人目の子を妊娠した頃、大河は既に自分の子ではないかもしれないという疑問を持っていた。啓蔵は結婚前の美咲の交友関係を調査済みだった。そして件の妊娠の父親は、まだ切れていない交友関係の中の一人であることを突き止めていたが、大河には言わなかった。裁判になった場合、有利に運ぶための切り札の一つにしておきたかった。大河には一言だけ助言した。
「そろそろおまえは、新しい人生を始めるシュミレーションを描いておいたほうがいいかもしれないな。何があっても彼女を責めて夫婦喧嘩はするな。ボロは裏切っている側から自然に出させるものだ」
大河は父親が何を言わんとしているのか凡その見当がついた。心の底で異論はなかった。そして父の懸念が現実に向かい、父はそれを阻止したに過ぎない。妻の裏切りへの不問を代償に、美咲は理志と共に籍を抜き、大河の前から消えるしかなかった。
小学2年生になった朱里の担任が家庭訪問して来た。朱里が大好きな彼女は偶然にも大河と同じ中学時代の成績四天王のひとり・城山蘭だった。□□□
キィボードから手を放した竜は、いつものように冷めたコーヒーを美味しそうに啜った。
竜は久しぶりに屋上に出た。すると、先客のかごめが居た。かごめだけではなかった。クラスメートの唐沢聖、獅戸伽藍、女子サッカー部のエース・丹下つづら、そしてこのマンションに住む牡渡無蒼空たちが揃っていた。
「父です」
彼女たちは、それぞれ礼儀正しい挨拶で応えた。
「そうですか、かごめのクラスメートですか…えーと、お邪魔だったかな? 深呼吸したらすぐに撤退します」
「珍しいね、お父さんが屋上に来るなんて」
「ああ、幽霊の来客があってね」
幽霊の来客と聞いて、一同が唖然とした。
「父は小説を書いてるんです。主にホラー小説を…」
かごめが慌ててフォローしたが、クラスメートらはフリーズしたままだった。。
「あれー? みんな、金縛りに遭ったみたいだね」
竜は深呼吸すると、さっさとエレベーターに乗り込んだ。
「かごめのやつ、連合軍を作ったか」
〈第12話「滞納者」につづく〉
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